王都を追い払われた公爵令嬢は、まだ十歳だけど世界最初の女騎士を目指す
コラム
序章
何の変哲もない午前の時間。
赤毛の母子がお茶を飲みながら向かい合っていた。
二人は彼女たちが住むアテリシヤ王国の貴族――ソクラテスト公爵の夫人とその娘だ。
「イレーネ! もっと背筋を伸ばしなさい!」
公爵夫人――母カサンドラの鋭い声が、静かな屋敷の空気を切り裂くように響いた。
無理やり背筋を伸ばしていた娘――イレーネは、ため息をつきながら心の中で剣を振るう姿を思い描く。
彼女の思考は常に、伝説の剣士への憧れで満ちていた。
現実では、イレーネは貴族の娘としての責務を果たすことを求められていた。
淑女としての作法を厳しく教え込まれ、背筋を伸ばし、礼儀正しく振る舞うことが当然とされた。
彼女の心はそれに抗うように、自由な戦士の姿を夢見ていたが、現実の枠から抜け出すことはできなかった。
「イレーネ、先生が来たよ。一緒に授業を受けに行こう」
窓の外から聞こえてくる声に、イレーネはハッと我に返った。
声の主はロドクルス·セノフォン――彼女の幼なじみの公爵令息であり、心の支えだった。
ロドクルスの存在がイレーネにとって唯一の逃げ道であり、彼との時間だけが彼女の心を解放してくれた。
「待っててロドクルス! 今行くから!」
「まったく、この子は……」
イレーネは母親から逃げるように部屋を飛び出した。
カサンドラはその様子を見て、再び呆れていた。
庭園の一角に設けられた勉強部屋に向かう途中、イレーネはロドクルスに話しかける。
「ねえ、今日は何の授業だっけ?」
彼女の顔には微笑みが浮かんでいた。
ロドクルスが笑顔で答える。
「今日はたしかボクらの好きなことを教えてくれるって言ってたよ」
「おおッ! 一気にやる気が出てきた! 早く行こう、ロドクルス!」
二人の目はいつも夢見るように輝いていた。
ダスカロ先生の授業は、単なる知識の詰め込みではなく、世界の広さを教えてくれるものだった。
彼の話を聞くたびに、イレーネとロドクルスの心は広がり、彼らの知りたいという欲は一層強くなった。
ダスカロ先生は特別に、イレーネに剣術も教えてくれている。
その理由は、彼女が伝説の剣士に憧れていることを知っているからだ。
「イレーネ、剣の基本姿勢を見せてごらん」
屋敷の庭で、ダスカロは優しく微笑みながら言った。
イレーネは真剣な表情で木剣を握り、基本姿勢をとる。
「よし、その調子だよ。しっかりと地に足をつけて、バランスを保つんだ」
ダスカロの言葉に励まされながら、イレーネは剣を振る練習を続けた。
彼はイレーネの父が国の外で知り合った男だ。
淑女として教育を受けていたイレーネだったが、これまでに何人もの家庭教師が彼女の破天荒さに辞めてしまったのもあって、父ソクラテストがわざわざお願いした教師である。
一見して少し頼りなさそうな印象を受けるが、イレーネはダスカロの柔軟な教え方に異を唱えることなく、ちゃんと教えを受けている。
ちなみにロドクルスの家――セノフォン家とソクラテスト家の関係から、彼もイレーネとともに学ばせてほしいと頼み、一緒に勉強していた。
「では、本日はここまで。明日は二人の嫌いな礼儀作法の授業だけど、真面目にやるようにね」
「でも、終わったからまた剣を教えてくれるんだよね?」
「もちろん魔術もですよね?」
イレーネとロドクルスの言葉に対し、ダスカロは笑顔で頷き、授業の後に二人の望みを叶えることを約束した。
授業が終わった後、二人は庭園の奥にある小さな小屋に向かった。
そこには、もう一人の友人――オレオが待っていた。
オレオは銀色の羽毛を持つメスの皇帝ペンギンで、イレーネが幼い頃に救った小さな命だった。
この小さなペンギンは今や二人の家族のような関係であり、静かに彼らを見守る存在となっている。
ある日にイレーネが屋敷の庭で見つけたオレオは、そのときから彼女にとって特別な存在。
どこからやってきたのか、庭で震えていたオレオを抱きしめた瞬間から、イレーネはこの小さな命を守ることを誓った。
そして、オレオはその誓いに応えるかのように、いつも彼女のそばにいる。
「おーい、オレオ」
イレーネは小さなペンギンに手を振り、オレオは翼をパタパタさせて応えた。
ペンギンの大きな目には、いつもイレーネへの信頼と愛情が映っていた。
オレオの静かな応援が、イレーネに勇気を与えてくれる。
それは彼女の夢には障害が多く、これまでに何度もくじけそうになっていたからだ。
イレーネたちが住むアテリシヤ王国は海に囲まれた大陸に位置し、階級制度が厳しく、男尊女卑が根深い国だった。
しかし、かつてこの国にはアテナという伝説の女剣士がいた。
彼女は世界を襲った四匹の竜を退治し、平和をもたらした英雄だった。
イレーネはそのアテナに憧れ、いつか自分もそんな存在になりたいと夢見ていた。
それでも現実は厳しく、貴族の娘として淑女の道を歩むことが求められている。
だが、イレーネが自分の夢を諦めることはなかった。
この世界には、女性の剣士などおとぎ話にしか出てこない。
そんな中でもこの幼き公爵令嬢は、世界初の女騎士を目指している。
子どもの戯言だとバカにされながらも、イレーネは必ず夢を叶えるとこれまで気を吐き続けていた。
そして、ロドクルスもまたそんな彼女に触発され、ダスカロの話から自分の夢を持つようになる。
「ロドクルス、オレオ、いつかアタシたちの夢を叶えようね」
イレーネは手で拳を作って突き出した。
ロドクルスは彼女が差し出した拳に自分の拳を合わせて、オレオは「キューキュー」と鳴きながら翼を重ねる。
イレーネたちの夢はまだ始まったばかりだ。
未来には今以上の困難が待ち受けているかもしれない。
しかし、彼女らの心には希望が満ちていた。
これはひとり少女が剣を手にし、世界に立ち向かう物語。
行く先々で出会う様々な階級の人間や種族と、ときに戦い、ときに手を取り合って進んでいく――赤毛の公爵令嬢イレーネ·ソクラテストの夢への道だ。
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