◆ 六月
◆ 六月
一時的に気温が下がった先月から一転、今月に入って一気に気温が上がってきた。半袖一枚でいいどころか、多くの人が半袖一枚でないと暑くて
もっとも先月の段階で普通に半袖で過ごしていた人は、これくらいの気温だともうヒイヒイ言い始めているかもしれない。逆に少し気温が下がった時期に半袖を着て後悔した人は、それを踏まえて今日この頃に長袖を着て「半袖でよかった」と再び後悔する人もいるかもしれない。それについては若干
すなわち何が言いたいのかというと、もうこれ以降はしばらく暑い時期が続くだろうから、冒頭で気温について触れるのは一旦これで最後にしようと思う。次の季節の変わり目までこの日記を続けているかはわからないが、その時期になって再び気温の話を始めたら「またこの季節がやってきた」なんて風物詩になっていたりしないかと、想像を膨らませる次第である。そもそもこの日記が誰かの目に触れることは、おそらくないだろうが。
こうやって必死に平静を装ってはいるものの、最近の私はあることにずっと考えが囚われている。それは何を隠そう、ラーメン屋と喫茶店で終始私に視線を送ってきたあの男のことだ。最初は全くもって見当のつかない視線であったのだが、段々とあの男が近所で見覚えのある男だと気付き、もしかするとご近所トラブルが火種ではないかと気もそぞろになっていたのが、まだまだ夜だけは春の余韻が残る今日この頃である。
しかしついこの間、私は大変な事実に気付いた。確かに私はあの男にどこか見覚えがあったのだが、あの男はなんと、同じアパートの住人であった。しかもそれだけではなく、隣の部屋の住人だったのだ。そんなことあり得ないと辟易されそうな展開なのは私も理解している。だがそれ以上に、隣の部屋に住む人間ですら把握していないほど、私にとっての地域コミュニティは縁遠いものとなっていると言わざるを得ない。それが危うい状態であることは充分に察知している。あの男が近所で見覚えがあると気付く前からご近所トラブルが原因でないかと思い当たるほど、自分の中で目を
そうしてこの機会に色々と見直してみようと思った矢先、男がこのアパートの住人であることを知った。ちょうど部屋に帰ってくる瞬間を、私は自分の部屋から目撃したのだ。
驚愕と納得が同時に押し寄せてきて、
そんなバラバラな頭の中に絶望していると、ふと、ある一つの男の名前が頭に浮かんだ。
虎藤虎太郎。
あの男は、もしかしたら、虎藤虎太郎なのではないか。
いや、さすがにあり得ない。あの男は正真正銘私の隣の部屋に住む男だし、その男は確かに面識のない男だったけれども、さすがに虎藤虎太郎本人のはずはない。仮にそうだとしたら大家が気付くはずだし、気付いたら私に言うはずだし、とにかくあの男が虎藤虎太郎なんてことは、普通に考えたらあり得ないはずだ。
だがだとしたら、なぜあの男は私を見ていたのだ。何の理由があって、あそこまで私に視線を注いでいたのだ。今更言うが、あの視線に敵意なるもののような意思は一切含まれていなかったと私は見ている。あくまで私の主観的印象に過ぎないが、あれは何か私に主張したいとかではなく、私に対する純粋な興味・関心が、あのような視線を浴びせた動機なのではないかと今更ながらに思うのだ。そうなると、ご近所トラブルの線は必然的に可能性が低くなる。そっちがきっかけの線を避けたいという個人的な願望はもちろんあるものの、私への興味・関心を軸に考えれば、これはある程度の説得力を持っているのも頷けると思う。
だからこそここで重要になってくるのは、なぜあの男が私に対して興味・関心を持っているかだ。部屋が隣同士というのは理由の一つにはなるだろうが、あそこまでの視線を送るだけの理由としては少し弱い。少なくとも私であれば、隣に住むのがどんな美女であろうと、あんなあからさまな視線は欲望に負けたとしても送らないだろう。
しかし、あの男が虎藤虎太郎だとしたらどうだろうか。仮に虎藤虎太郎が大家の目をかいくぐりいつの間にか隣の部屋に住みついていたとして、元の自分の部屋に住んでいる男と外でふとした瞬間に遭遇したら、思わず視線が釘付けになってもおかしくはない。今まで隣に住んでいたにもかかわらず
その上で私の存在は、虎藤虎太郎にとってイレギュラーだったのかもしれない。虎藤虎太郎はアパートに戻ってくる際、自分の部屋が空き部屋だと踏んでいて、しかしその部屋には既に見知らぬ男が入居していて、その男と接触したいのだが、自らの存在が大家らに悟られるとそれはそれで困る、だから一度隣の部屋で様子を見て、機があればその男、すなわち私に接触しようという算段──、今ざっくりと筋道を立ててみたのだが、一応私としてはこれを根拠として、あの男が虎藤虎太郎だったのではないかという仮説を提唱する次第だ。
だがもちろん、これは本当に根拠が弱く、私にとっても都合の良い仮説だ。ご近所付き合いというずっと目を背けていた問題に改めて蓋をするだけでなく、私の存在を
とにかく問題は何一つとして進展していないが、こんな日々は今まで体験したことがなかったのでなかなか刺激的で面白い。こんなくだらない空想をどんどんと繰り広げている自分に驚くほど、自分でも気付かぬほど、刺激的なのだと思う。こういうのを見返すと、この日記を始めてよかったと思えることも、私にとっては刺激的な感情なのかもしれない。
それでは、また会う日まで。
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