「辻褄と、理屈の合致」

森本 晃次

第1話 人間消滅事件

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年8月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。


 今から半世紀ほど前になるであろうか? 社会問題として、

「人間消失事件」

 というものが、流行っていた時期があった。

 それを、当時の言葉として、

「蒸発」

 という言葉が使われていたが、考えてみれば、恐ろしいことであり。

 ある日人間、昨日まで一緒にいた人が、忽然といなくなるのだ。かかわりのある人であれば、来ているべき人がいなければ、

「どうしたんだろう?」

 と感じるはずだ。

 その人がいないことで、

「世の中がおかしくなる」

 ということはないだろう。

 もっとも、

「未来に起こることなのだから、誰が予知できるかというもので、もし、予知できたとしても、それが正しいことだったのかということは、誰にも証明できない」

 といえるだろう。

 昔見た映画の中で、

「歴史が答えを出してくれる」

 というセリフがあったが、そのセリフに違和感を感じながら見ていた。

 その違和感がどこから来るのか分からなかったが、確かに、その言葉は、

「言い訳」

 でしかなかったのだ。

 映画の演出からか、主人公のような人が、そのセリフを吐けば、普通であれば、違和感というものを感じたとしても、

「主人公がいうのだから」

 ということで、いくらでも、正当な言葉に置き換え、大義名分として語ることができるだろう。

 それを考えると、映画における一つのシーンも、セリフを吐く俳優によって、

「言い訳であっても、正当性のあるものに、見えてくるから、すごいものだ」

 と言えるだろう。

 SF小説などになれば、

「時間」

 というものを扱ったものが結構多い。

「時間というものは、SF小説の王道」

 と言ってもいいだろう。

「タイム何とか」

 などというタイトルの小説であったり、映画などが結構あり、時間以外であれば、宇宙モノなどの、

「スペース何とか」

 と言われるものも、結構あったものだ。

 最近では、あまりSF小説というのは、そんなに描かれることはないような気がする。

 それこそ、半世紀前くらいというと、SF小説が一世を風靡していた時代があった。

 特撮技術が発展したこともあり、映像作品になりやすいということもあるからだろう。

 特に、昭和40年代あたりから、特撮技術の発展から、

「怪獣映画」

 であったり、タイムスリップものの映画も結構増えてきた。

 その分、小説も、SFをテーマにしたものが結構出てきた。

 ただ、今から思えば、

「スケールの大きな大スペクタクルもの」

 という、映画の原作になりやすいものであるか、あるいは、

「まったく規模としては小さいもので、登場人物としては、数人だけのサークルのような範囲で事件のようなものが繰り広げられるというパターンが多い」

 というものではないだろうか。

 大スペクタクルというと、

「怪獣を倒す」

 というような、相手は、

「巨大生物」

 であったり、

「未知の世界からやってきた、異生物」

 というものであったりする。

 この未知の生物というのも、

「地球環境の変化」

 によって、自然に起こった突然変異による、

「地球破壊」

 などという、

「人類の罪」

 によるものから起こってきたということで、

「人間にとっての巨大ブーメランとしての、自業自得」

 ということからの、

「人類への警鐘」

 という話から、それでも、

「人類ファースト」

 という観点から、人間を最後は助けるために、正義のヒーローが怪獣をやっつけるという、

「勧善懲悪」

 というには、あまりにも、ひどい内容のものがあったりした。

 中には、当時社会問題となっていた、

「公害問題」

 などで、突然変異した動物が怪獣化したものであっても、そのことに対して、番組は言及することはなく、ただ、

「悪の怪獣」

 ということで、正義の鉄槌というべきか、最後には人間、あるいは、正義のヒーローnやっつけられるということだ。

 子供向けの特撮ヒーローものと呼ばれる番組に、難癖をつけてはいけないのだろうが、気になっているのは、

「なぜ、怪獣が一匹なのか?」

 ということである。

 突然変異をして大きくなったということであれば、もっとたくさんいてもおかしくはないだろう。

 それなのに、一匹をやっつけただけで、

「これで終わった」

 ということで、大団円を迎えるのだ。

 これは、宇宙人からの侵略でも同じことで、

「何とか星人が、地球にやってきて、悪だくみをし、地球征服を企んだとしよう」

 いつも、相手の宇宙人というのは、中には、円盤で、数名が乗ってきていることもあるが、基本的には、一人の星人をやっつけたところで、

「何とか星人の侵略は終わった。地球に再び平和が訪れた」

 などという、それっぽいナレーションがあるのだが、

「どうして、侵略にきた宇宙人が一人だと分かるのだろうか?」

 ということである。

 さらに、宇宙人側から考えると、確かに、仲間が一人やられたということで、戦闘意欲をなくし、母星に引き上げるということはあるかも知れないが、もし、相手が、

「星を代表しての、地球侵略部隊」

 というものを形成しているとするならば、

「一人がやられただけで、簡単に引き下がるというのはおかし」

 といえるだろう。

 もっとも、宇宙人が、

「地球の科学力を甘くみていて、簡単に侵略できると思っていたのに、まさか、一人とはいえやられるとは思ってもいなかった」

 ということであれば、再度作戦を立て直すという意味で、退却するということはありえるだろう。

 しかし、実際には、地球侵略に対して、

「それなりの計画とその対応を考えていたのだとすれば、

「一人だけ犠牲者が出たとして、簡単に、計画を諦めるというのは、普通はありえないことだろう」

 それだけ、地球というものが、元々甘く見られていたということであろう。

 宇宙人のセリフの中に、

「君たちを私たちの奴隷にすることくらい、朝飯前のことだ」

 と豪語し、人類に宣戦布告をしてきた宇宙人ほど、やられる時はあっという間のことであり、それまでの自信はどこへやら、

「侵略部隊の宇宙船団は、途中で引き返した」

 ということだったりして、そこで、大団円を迎えるのであった。

 地球というものが、そんなに強いものではないだろう。

「宇宙からやってきたヒーローに助けてもらわなければ、地球人だけではとても相手にならない」

 しかし、宇宙人も地球に、そのヒーローがいて、侵略しにくるパターンと、まったく知らないでやってくるというお―パターンがある。

 だが、相手も侵略にくるのであれば、それくらいのことを調べていてしかるべきだ。

 それを知らないということは、よほど自分たちに自信があるのか、

「地球人など、事前調査することなく、総攻撃で簡単に落とせる」

 と思っているのだろう。

 しかし、いつも戦うのは、一人だけで、

「複数で、一人をやっつけるのは、卑怯だ」

 というのであれば、侵略行為自体が卑怯ではないか。

 それを思うと、

「宇宙人の地球侵略は、甘いものであり、まさかやられるとは思っていないので。それだけで、戦略の立て直しを考える余地ができてしまった。

 ということになるのだろう。

 しかし、それは、

「敵の宇宙人側」

 から見た考え方であり、何よりも、侵略を受けているのは、地球ではないか。

 確かに、相手の星人を一人倒したのだから、

「勝利には違いない」

 とはいえるのだろうが、相手がそれで引き下がるということを、誰が予見できるというのか。

 しかも、たまにナレーションで、

「宇宙人の侵略は終わった。しかし、またいつ同じような宇宙人が地球を狙っているか分からない」

 ということで、ドラマとしては、

「完全に事件は解決した」

 ということで、締めに掛かっているではないか。

「地球人というものを、甘く見ていたから、やられてしまった」

 ということであれば、

「次は油断しない」

 とさえ考えれば、

「何もそこで侵略を辞める」

 とどうして思えるのだろうか。

「侵略を続けるか辞めるか?」

 という選択は、あくまでも、相手が決めることであり、地球人がそれを判断することではない。

 してもかまわないが、

「本当に侵略は終わった」

 と考えたとしても、相手には関係のないことで、却って、そう思ってくれた方が、侵略を進めやすいというものだ。

 それを考えると、地球人がいかに宇宙人を舐めているかということになるので、宇宙人としては。

「あんな馬鹿な人類というものであれば、再度、作戦を練り直してくれば、いつだって侵略なんて簡単だ」

 ということで、焦ることなく、母星に帰っていったのかも知れない。

 さらにもう一つ、特撮番組を見ていて懸念がある。

 そもそも、

「宇宙人のことを、十パ一絡げのような言い方で、○○星人というが、地球人であれば、名前があるように、彼らにも、何か識別するための、人間でいえば、名前のようなものがあってしかるべきだろう」

 といえる。

 それを言いだせば、

「地球上の生物でも同じことが言える」

 と言われるかも知れないが、

「それは、地球上の生物で、人間の言葉が分かり、人間に同じ動物の言葉が分かる種族がいない」

 ということである。

 もっといえば、

「人間と会話ができる動物がいない」

 ということで、

「人間と会話ができない動物、それは、下等動物ということである」

 ということになるのだ。

 ただ、地球を侵略しようという宇宙人は、間違いなく地球人よりも進化しているであろう。

 地球人は、月、あるいは、火星まで行けるかいけないかという程度の科学力しか持っていないのに、相手の円盤は、間違いなく地球に来れていて、あるいは、

「地球まで、飛来することができる、身体的能力を保有している」

 ということなのだ。

 だから、人間としても、

「敬意を表している」

 ということなのか、それ以上に、相手に対して、

「恐怖を感じている」

 ということになるのだ。

「そんな宇宙人は、明らかに、我々地球人よりも、高度な科学力を持っている」

 ということになるだろう。

 しかし、もう一つ、少しうがった形の解釈をするのであれば、

「自分たちのことを、地球人」

 というのは、ある意味、

「思い上がりも甚だしい」

 といえるのではないだろうか?

「地球に住んでいるのは、人間だけなのか?」

 ということである。

 地球人という表現をすると、確かに、

「地球にいる人間といえば、地球人しかいない」

 ということになる。

 しかし、それ以外の動物を、

「地球犬」

 であったり、

「地球猿」

 などという言い方はしないはずだ。これこそ、

「人間だけが優れている」

 という発想になるだろう。

 また、特撮モノのテレビを見ていて、もう一つ、

「何かおかしい」

 と感じるのは、

「宇宙人が攻めてくる」

 あるいは、地球侵略の拠点にするのは、いつも、

「なぜか日本」

 ではないだろうか?

 確かに、ドラマ作成側でいえば、

「日本で作成しているのだから、日本に攻めてくるという考えは当たり前のことではないか?」

 ということになるのだ。

 しかも、地球防衛軍のようなところの世界本部は、

「パリ」

 であったり、

「ニューヨーク」

 なのに、攻めてくるのは、日本なのだ。

 しかも、もっといえば、日本にある地球防衛軍の基地の近くに、ピンポイントに攻めてくるのだ。

「確か、設定では、防衛軍基地は、敵から見つからないように、秘密基地となっている」

 ということだったはずなのに、なぜ相手は

「極東基地」

 の所在地を知っているかのように、ちゃんと、基地を目指して攻めてくるのだろう?

 と考えるはずである。

 子供心にも、

「何かおかしい」

 という違和感はあった。

 しかし、その理由がハッキリとは分からないのだが、

「何で、秘密基地の所在地が、侵略者には分かるのだろう?」

 と思い、結果として、

「それだけ、優秀な宇宙人なのだ」

 と考えると、

「そんな宇宙人に侵略相手に選ばれて、相手が、地球を敵だということを認めてくれたことで、攻めてくるんだ」

 と感じた。

「相手は、日本人、いわゆる地球人をリスペクトしてくれていて、さすがに、地球の代表である人間だ」

 ということを感じたのだった。

「宇宙人というのは、それだけ人間を、そして、日本人をリスペクトしているのだろうか?」

 というようなことを、子供心に考えて、おかしいとは思いながらも、ついつい見てしまうのだった。

 そういう、特撮であったり、アニメを見ていると、確かに、

「日本で製作される作品なので」

 ということで、まずは、地球人が、まるで、宇宙人の代表のように映り、侵略してくる宇宙人と組織的に戦い。

 しかし、これも、考えてみればおかしなもので、

「相手だって、宇宙船に乗ってやってきているのだから、相手も、組織で戦えばいいものを、地球側は、正義のヒーローと、地球防衛軍とが、タッグを組んで戦っているではないか」

 と言われるだろう。

 まあ、もっとも、実際には、地球防衛軍では歯が立たないので、正義のヒーローが現れて戦ってくれるというわけでの、完全な他力本願なのである。だから、正義のヒーローが戦っている時は、地球人は、高みの見物をしているように見えるのだが、ただ、これは、言い訳もできるというもので、

「今攻撃をすると、ヒーローに当たってしまう」

 ということである。

 だが、それでも、地球防衛軍は、正義のヒーローが現れると、嬉々として有頂天になり、

「頑張れ~」

 と応援を始め、まるでヒーローが現れた瞬間に、

「勝った」

 と思い込んでいるのは、いかがなものか?

 と思えるのだ。

 本来なら、攻撃は簡単にはできないかも知れないが、自分たちが盾になって、相手を攪乱するくらいのいわゆる、

「援護射撃」

 のようなものはできるだろう。

 それをしないということは、完全に、ヒーローに任せきりで、

「買ったも同然」

 とばかりに、喜んでいるのは、情けないとしか思えない。

 そんな姿を見て、将来の隊員候補の子供たちが、

「僕の大きくなったら、地球防衛軍に入って、怪獣をやっつけるんだ」

 という気概が持てるというものだろうか?

 絶対にありえないだろう。

 そしてまた、これは大人になって感じたことだが、

「専守防衛しかできないはずの日本に、地球防衛軍の基地があってもいいのだろうか?」

 ということであった。

 そもそも、

「地球防衛軍」

 という組織が、どの機関の傘下に入るのかということが疑問なのだが、入るとすれば、

「国連」

 ということになるだろう、

 もし、これが、宇宙からの侵略者に対してのものだと考えれば、

「NASA」

 になるのだろうか?

 いや、もし、そうだとすれば、地球防衛軍は、アメリカのものということになるので、それはありえない。

 国連か、それとも、単独の組織ということになるのであれば、

「平和憲法」

 の日本に基地を作ることって許されるのか

 と考えられるのだ。

「相手が攻撃してくる前の、先制攻撃すらできない日本国に、相手の秘密基地を見つけたとしても、日本は、攻撃ができない」

 のである、

 あくまでも、向こうが打ってこなければ、攻撃ができない。

「それは、本当にそれで正しいのか?」

 ということである。

「地球の先住民の住居の可能性もあった施設を、勝手に宇宙人の侵略基地だ」

 ということにして、攻撃を加え、破壊したという話があったが、それはきっと、専守防衛しかできない日本という国の体制を、皮肉って描いたものだったのではないだろうか?

 それを思えば、昔の特撮は、おかしなところもあるが、ところどころに、皮肉を織り交ぜているので、子供だけではなく、その時の子供が大人になって見返したとしても、

「面白い作品だ」

 ということになるのである。

 とにかく、特撮において、地球侵略というものは、あくまでも、

「自分中心の考え方」

 というものは、考えれば考えるほど、不思議と思える感覚になってくる。そんな特撮番組において、よく見られるものとして、いくつかのパターンというものがあるのが分かってきた。

 これが、当時の社会問題に対しての、

「皮肉めいた」

 というようなことであり、それが、たとえば、

「核開発競争」

 や、

「宇宙開発競争」

 というものへの皮肉を込めたものであったりする。

 特に、当時であれば、

「東西冷戦」

 と呼ばれるものがあり、その時によく行われていた、開発競争などというものは、大義名分があったとしても、それは、あくまでも、

「戦争に対しての準備行動でしかなかった」

 と言ってもいいだろう。

 そして、そんな社会問題の中で、一つ大きなものとして、

「代理戦争」

 という状態が続いたことがあった。


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