【Arca:機械少女は神話の霧を解き晴らす】 (旧題:レコーズ・アルカルム─半身機械仕掛けの少女─)
千田伊織
case.1 太陽の街─ソウウルプス─
一章 夜の明けない街
第1話 夜の明けない街
時はS.D.R.一二七〇年。
産業革命を迎えたゲネシス王国。その中央都市ウーヌスは、町全体が薄くスモッグに
そんなウーヌスにあるひときわ目を引くチーズような白い立方体の未来建築、ペルケトゥム研究所は最先端を行く研究所で、生物学からはじまり、化学、工学、言語学、歴史学、様々な学問の第一線を行く有名機関だ。そしてこの研究所の設立を支え、技術発展の第一人者となり、常に世界の進歩に欠かせないその人がいた。
アルカ。
『ペルケトゥムの方舟』と呼ばれる天才的な頭脳を持つ彼女は、その身体の半分が金属で出来ている。いや、機械に成り代わっている。その身体は人々の尽力によってすでに四百年の時を生き、しかし劣化に伴って臓器それぞれが役目を果たし終えつつもあった。
両腕と右脚は事故による酷い損傷の影響で切断されており、
人造ろ過機で
なによりも彼女がまるで伝説のように語られるのには、決定的な理由があった。
誰一人として。
作り物の腕に
「うん。上出来だ」
街並みではまず見ない
そして見た目に似つかわしくない古めかしい口調と、その物々しい金属の
隣でそんな彼女のアシストをするのは
「悪い、エドワード。後ろのリボンを結んでくれるかな」
エドワード、と呼ばれた好青年は文句も言わずに彼女の背中にある白いリボンの装飾に手を伸ばす。
場所は列車内。石炭を燃やすことで車輪を動かす蒸気機関車の中だ。蒸気が吹き出す音は絶え間なく聞こえていた。
乗客はアルカと、エドワードと、それくらいだった。田舎のソウウルプスに向かう乗客は数少ない。
アルカは窓側の席で、かつ人がいないのをいいことに、ボリュームのあるオリーブ色のドレスを右脚の付け根まで
助手ではなく、弟子と
アルカはスカートを降ろすとため息をついた。
「やはりこの類の服は動きづらくてかなわないな」
「でもとてもお似合いですよ、アルカ様」
「どうも。でもボクには似合っているかどうかなんて、どうでもいい話なんだ」
おっと、とアルカは声を出す。
手に握られたチェーン付きの
「もうそろそろ着く頃だ、エドワード。降りる準備をしよう」
「はい」
アルカはドレスとお揃いのボンネットを被ると、
外は暗い。真っ暗以上の闇は、今この列車がどこを走っているのか、本当に走っているのかすらよくわからない。エドワードは目を凝らすが何も見えない。事前調査でソウウルプスは盆地だと聞いていた。つまり、トンネルの中を走っているということだろう。
列車はスピードを落としながら駅へと入って行った。レンガ造りの駅構内は無数のガス灯でぼんやり照らされている。大きな施設のわりに、やはり行き交う人は少なかった。
アルカは顔にかかった髪を払うと、エドワードの手を支えに列車から降りる。
生物学から、化学、工学、言語学、歴史学。どれも悪くない分野だが、アルカにとって一番とは言えない。
朝十時ちょうど、ガラス張りの天井を見上げても太陽はいない。すでにトンネルを抜けている状況下でこれは異常だった。
アルカはふと口角を上げて、空に向かって目を細めた。
「パゴタ傘はしばらくお預けだ」
実験による事故で色素を失ったアルカの左目が赤く光るのを、エドワードはしっかりと見た。
さて、アルカの本来の目的はこの太陽の街、ソウウルプスに再び太陽を返すことではない。アルカは神話学者である。それはついでに解決できればいい、というちょっとしたボランティア程度の目標だ。
ソウウルプスではS.D.R.──つまりウーヌスで一般的とされる
暗い道、サイコロ状の
エドワードは目の前の少し盛り上がった段差に、アルカを呼び止めた。
「気を付けてください」
「ああ、ありがとう」
アルカは住宅街に差し掛かったところで歩みを止めると、足をすり寄せた。太陽がしばらく顔を見せていないせいで、秋初めにも関わらず酷く寒い。機械の手脚は問題なさそうだが、生身の方が冷えてきているようだった。
「
「ソウウルプスって、前はそれほどにぎわっていた町なんですか?」
「ボクが以前訪れたのは百年も前のことだが、ここは田舎のわりに明るい街だった。列車もなかった時代だから、観光地にはなり得なかったが」
寂しさを宿らせた目でアルカは街並みを眺める。華やかだったかつてを思い出しているようだ。
「手っ取り早く、聞き込みから始めましょうか」
アルカの調子を上げるべくエドワードは話題逸らしに、ひと際灯りの強い一軒を指さす。
「そうだな」
アルカは一軒のパネルドアのノッカーに手をかけた。そして数回、扉を叩く。
訪問に家から女性が顔を出した。
「はい、どちらさま」
彼女の視線はエドワードを捉えている。
「どうも。少しお話いいかな」
下から聞こえてきた少女の声に、女性は
「……どちらさま?」
「こんにちは。ボクはウーヌスから来た神話学者……ああ、神話学者っていうのはあらゆる神話について分析したりまとめたりする研究者の類というわけだが」
つらつらと早口なアルカの説明に女性は混乱しているようだった。
アルカはエドワードのコートの
「私たちはここにこの明けない夜について調べに来たんです。それでどうかご協力いただけないかと」
「そうなのね。けれど、わたしは大した情報を持っていないわよ? 関係あるかどうか……分からないけれど、強いて言うなら今年の春は不作だったことくらいね」
「何が不作だったのですか?」
「春小麦もそうだし、トウモロコシとか野菜もね。今年は冬が長かった上に夏もあまり気温が上がらなくって、その上にあの湿気。ずっと霧がかかったみたいな湿度のせいで、ただでさえ収穫量が少なかったっていうのに作物が
エドワードはそれは大変だ、と他人事のように聞く。
今年は豊作だとタイムズにもあったはずだ。ソウウルプスだけは例外だったらしい。
「ではソウウルプスに伝わる民話や伝承など、ご存じではありませんか?」
「そういうことが知りたいならあそこはどうかしら」
女性は少し悩むそぶりを見せてから、丘の上の大きな箱型の建物を指す。窓がないせいか、異様な物体が闇の中に
「あれは?」
「ソウウルプスで一番の
「ウーヌス大学の卒業生がここにもいるのか!」
アルカは興奮した様子で詰め寄る。吐く息は白かったが、高ぶりで寒さは忘れているようだった。
「卒業生ではなく、中退らしいですけれども。お爺さんがいろいろなさっていたようで、彼女は一人孫ですが血を
「なぜ彼女は中退したんだ?」
「これも聞いた話ですわ。あまり大きい声では言えないのだけど」
どうやらご両親が亡くなって、
「おや、つまり彼女は養蚕工場の経営者をやっているわけだ」
「いいえ。今の経営者は彼女の
良くある話だ。
エドワードはふと遠い親戚の話を思い出す。
事故などで急に親を亡くした時、大学に在学することが困難になることは多い。金銭的に余裕があれど、大抵は次の当主となり家を支える必要がでてくるのだ。特に女性となれば、そもそも大学に通うのは贅沢だと非難する人も少なくないだろう。大きな養蚕工場の娘ということは、おそらくあの丘の上一帯の地主の娘に違いない。面子も気にして、大学を諦め田舎のソウウルプスに帰って来た。
そうしたら親戚の金持ちが経営を代わると言い出して、彼女からすれば大学は中退、その上にただの一作業員──作業員らのまとめ役なんかをやっているのかもしれないが──という雇われの身に、宙に浮いた存在に落ちてしまった。
「なるほど。詳しくありがとう」
「大した話ではありません」
伝承を聞くには役割不足だったが、情報通らしくいろいろなことを教えてくれた。
アルカは満足げに笑みを浮かべて礼をする。
「さて、思わぬ収穫だ。丘の上の養蚕工場へ向かうとするか」
アルカの迷いない足取りにエドワードは少し後ろをついて歩く。
エドワードはふと思い出したかのように、ウーヌスの資産家の名前を取り上げた。
「しかし先ほど聞いたウーゴ・セルバンテスですが、彼は数年前に
「そうだな」
「……つまり、養蚕工場はどういうことなんです?」
「娘は……あまり政治に詳しくなかった、というわけだろうな。まあ、大学に二年通って中退ということは政治学を学んでいたわけではなさそうだ」
アルカは手袋に包まれた人差し指でくるくると円を描く。
ウーヌス大学の政治学科は三年制だ。しかも
「養蚕工場の経営は? ウーゴ・セルバンテスが
「エドワード」
アルカは足を止めて振り返った。エドワードは思わずつんのめって、慌てて体を引く。
「ボクたちの目的を忘れるな。ボクたちは探偵じゃない。お悩み相談屋でも、何でも屋でもない。役目は、ここの神話書を完成させることだ」
再び丘に向かって歩き出すアルカをエドワードは追いかける。エドワードは寒さと緊張感から動きの鈍っている手を握り締めた。
「……アルカ様。私は列車に乗る前からずっと気になっていたんです。どうして急にソウウルプスの伝承を集めようなんて言い出したのですか?」
「ただの好奇心だよ。今までだって急に思い立ってはいろんなところに足を伸ばしていた」
「本当にそれだけですか?」
「嘘を吐く必要が?」
「……」
質問で返されたことに、エドワードは口を噤む。
この流れは何を言ってもはぐらかされるだけだと知っている。もし他の意図があるということに自覚があろうとなかろうと、アルカは飄々として答えるのだ。
アルカの才に一目惚れし、ペルケトゥム研究所の
「……伝承、得られるといいのですが」
「そうだな」
二人は丘の上へと伸びる暗い道を登って行った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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