第36話 蛮族姫と『竜騎士』との決闘 中

 ジェラルディンは矢のように飛び込み、連続して斬りかかる。倒すためではない。隙を作るためだ。敵は全身鎧に身を包んでいる。おそらく『竜鉄鋼』。衝撃にも強い。


 なれば岩か何かで鎧の上から殴りつけ、中の人間に衝撃を与える手も使えない。無論、鎧ごと真っ二つにするなど妄想か吟遊詩人の英雄譚だけだ。凡才のジェラルディンに出来ることといえば、鎧の上から殴りつけて隙を作り、鎧の隙間を狙って突き刺す。それだけだ。


 技の精度より速度を重視して切りつける。力も経験も何もかも上回る相手に勝つ。それには先手を取るのが一番だ。


 だが、相手は『竜騎士』……伝説の竜すら屠ると謳われる騎士である。ジェラルディンの攻撃は全くといっていいほど効いた様子はなかった。


 防御の大半を頑丈な鎧に任せ、鎧の隙間を狙った攻撃のみを正確に捌いている。


「それでしまいか?」

 兜の下から冷ややかな声がした。


 ジェラルディンはとっさに飛び下がった。一瞬遅れて今いた場所を銀色の軌跡が鮮やかに描いている。


 危なかった、とジェラルディンの背に冷たいものが流れる。下手に受けに回っていれば、鎧ごと切り裂かれていただろう。剣もまた『竜鉄鋼』で鍛えられているようだ。


「しばし待て」

 ジェラルディンは距離を取ると、自らの兜を外した。胸当てや手甲すね当て、鎧の下に着込んでいた鎖帷子も外した。


 防具と呼べるものは全て外した。稽古着のような白いシャツと黒いズボンだけだ。銀色の髪が風にたなびく。


「裸になって許しでも請うつもりか?」

「こちらの方が動きやすい」


 ジェラルディンの鎧も頑丈ではあるが、『竜鉄鋼』の剣では、もろともに切り裂かれるのを待つだけだ。身軽になった方が勝機はある。


「待っていただいた礼だ。今度はそちらから来るといい」

 ジェラルディンが手招きをすると、全員鎧が一瞬震えた。


「粋がるな、小娘」

 次の瞬間、ジェラルディンの頭上を巨大な影が覆った。見上げれば、谷間に響き渡るような雄叫びと共にセオドアが巨大な剣を振り下ろしてきた。


 ジェラルディンはとっさに己の兜をボールのように蹴り上げた。狙いは違わずセオドアの剣に当たり、串刺しになる。そのわずかな隙がジェラルディンを救った。


 横に飛び跳ねると、巻き上げられた小石や土埃を浴びながら距離を取る。勢い余って転びかけたところを猫のような体勢でバランスを保つ。


 ほっとする間もなく、今度は側面から疾風が吹き荒れるのを肌で感じた。見ている余裕はなかった。ほとんど勘だけでジェラルディンは飛び下がった。紙一重で元いた場所を銀色の殺意が駆け抜けていった。息をつく間もなく、次の攻撃がすくい上げるように襲いかかってきた。ジェラルディンはまたも逃げた。熱い死の烈風がその度に鼻先や頭上や脇の横を駆け抜けていく。


 当たればもちろん、受ければ剣は折れる。かわし、避けて、距離を取る。想定以上の実力に、逃げの一手しかなかった。


 凄まじいな、とジェラルディンは逃げ回りながらセオドアの剣術に感服していた。体格のような天賦の才もあるだろうが、鍛錬と実戦を積まねば到底到達できない領域である。今のジェラルディンでは追いつけない。鎧を脱いだのは正解だった。身につけていれば、とうに首か胴体が両断されていただろう。


 セオドアは己の背丈ほどの長剣を自在に操りながら斬りかかってくる。息切れした様子はない。重量武器を振り回せば、いずれ力尽きて隙も生まれるかと思ったが、これではジェラルディンの命が尽きる方が早い。


 隙を待っていては敗れる。隙は作るものだ。一か八か、賭けに出るしかない。

 ジェラルディンは剣を構え直し、這うように低く構える。


 セオドアが鼻を鳴らす気配がした。


「逃げ回るのはおしまいか?」

「手の内も見えた故」

「口だけは一丁前だな」

「テオ……夫には敵いませぬ」


 言い終わるより早く、ジェラルディンは飛び出した。左右に体を揺らしながら近づくと、走りながら鎖帷子を拾い。放り投げる。セオドアの目の前に銀色の幕が下りる。セオドアが鬱陶しそうに腕で払うが、それで良かった。


 ほんの一瞬でも視界を遮られたらそれで良かった。矢のように飛び込みながら突きを繰り出す。狙いは眉間。唯一無二の鎧の隙間である。


切っ先は正確に兜の隙間へと吸い込まれていく。


 当たれば当然、頭蓋ごと貫かれる。運が良くても失明は避けられない。だというのにセオドアは避けも防ぎもしなかった。ただ、わずかに首をひねっただけで、『竜鉄鋼』の兜はジェラルディンの剣を枯木のようにへし折った。


 折れた切っ先がセオドアの足下へと落ちていく。


「残念だったな」

 セオドアが冷ややかに笑った。


「まだだ」

 ジェラルディンは剣の柄から手を放すと、セオドアに組み付き、下から振り子のような勢いで蹴りを放った。金的に当たった。鈍い音がした。


 馬に乗るという目的上、股関節周辺は防御が薄くなる。セオドアの鎧もそうだった。


 兜の隙間からセオドアと目が合う。その目が雄弁に告げていた。


「バカめ」

 セオドアの腕がジェラルディンの頭をつかむと、そのまま地面に叩き付けた。


 衝撃に一瞬、目がくらむ。そのまま腕の関節をつかむと、背中に馬乗りになる。逃れようとしても体重差もある上にがっちりとつかまれている。手首に得物を仕込んでいるが、これでは取り出すことも出来ない。


「小細工頼みの挙げ句に金的狙いか。まったく女だな。底が知れる。あとはせいぜい引っ掻くか噛みつく程度か」


 男の急所を痛烈に蹴り上げられたにもかかわらず、セオドアの声にも動きにも痛みをこらえた様子はなかった。


「『竜鉄鋼』はただ頑丈なだけではない。貴様らがのうのうと田舎で草を食っている間にも帝国は薄く軽く硬く、幅広い用途を求めて開発を続けてきたのだ」


 要するに股間用の防具も開発済み、ということか。


「……貴殿が作ったわけでもないだろう。偉そうに」

 再び地面に押しつけられる。


「これで終わりだ。まず貴様の首をいただく。それからあの優男に突きつけてやる。女房の恐怖と絶望にゆがんだ面をな」


 ぐい、と頭が持ち上がる。セオドアが髪を引っ張っているのだ。ジェラルディンの位置からは見えないが、硬い手甲の指で銀色の髪をむしりつるようにつかんでいるのだろう。


「触っていいのは父と兄だけだと申したな。ほれ、どうした。何とか申してみよ」

「……」


「返答もなしか。ならばまず貴様を丸坊主にしてから首を刎ねてやるか。聞けば、故郷では『銀翼姫』とか言われているそうだな。だが、この程度の髪では鬘にもなりはすまい。せいぜい厠の箒くらいか」


 呵々大笑とともに引っ張られる力が増した。髪が何本かちぎれたようだ。


「……貴殿との立ち会いで二つほど分かったことがある」


 ジェラルディンはうめくように言った。顔を持ち上げられているせいでうまく声が出せない。


「……世間は広い。私など到底及ばないような練達の者が大勢いる」

「ようやく悟ったか。少々遅すぎたようだがな」


 セオドアの体がわずかに揺れた。笑っているのだろう。


「それで、もう一つは?」

「決まっている」

 ジェラルディンは言った。


「お前は底なしの大間抜けだ、うつけ者」

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