第六章 蛮族姫の撤退戦
第33話 蛮族姫と詐欺師伯爵の戻りし旅
「それでは参りましょう」
声を掛けながらテオは商会に用意させていた馬にまたがる。
帝都ゴルドダインを出る。北へ向かい、イーベックの港までたどり着けば当分は船旅である。来た道を引き返すので、迷う不安もない。
「こちらです」
そう考えていたところでテオが急に脇道へと逸れる。獣道とまではいかないが、狭い間道である。何より、イーベックとは方向が違う。
「後を付けてくる気配はありませんが」
ジェラルディンとてのんびり物見遊山を決め込んでいたわけではない。後を付けられていないか、物取りに狙われていないか、常に周囲へ気を配っている。二人ほど怪しい素振りをしていたのは、既に追い払っていた。おそらくこそ泥の類だろう。
「あのまま進めばねずみ取りのカゴの中です。港は避けて陸路からドリスコルへ戻ります」
「待ち伏せですか」
「おそらく『竜騎士』がわんさと待ち構えているでしょうね」
ジェラルディンは顔をしかめた。アーリンガム帝国広しといえど、『竜騎士』を自由に動かせる人間は限られている。
「道化男め、けち臭いマネを」
賠償金を支払いながら後で追っ手を放つとは。卑劣にも程がある。
いえ、とテオは首を左右に動かす。
「皇帝の命令ではないでしょう。だとしたら最初から謁見の間で僕たちの首を飛ばしています」
ちょん、と自分の首に手を当てる。
「ただ、あの交渉を屈辱と感じた人は一人や二人ではないでしょう。おそらく直訴したんじゃないですかね。このまま僕たちを帰せば、帝国の恥辱とか何とか。表立って認めたりはしないでしょうけれど、黙認くらいはしたのでしょう」
うまくいけばそれでよし。仮に失敗して露見しても家来が勝手にやったこと。どのみちブラムウェルの責任ではない、という論法だ。
「尚更タチが悪いではありませんか」
ジェラルディンは拳を握った。
「家来に忖度させて、我が身は知らぬ存ぜぬで乗り切ろうとは。さもしい奴め」
引き返してあの生白い首を刈り取ってやりたいくらいだ。
「お偉方なんてそんなものですよ」
テオのつぶやきには、下級役人のような悲哀が籠もっていた。
「急ぎましょう。今日中に国境を越えておきたいので」
と、テオは折りたたんだ紙を白い封筒に入れ、ジェラルディンに手渡した。
「あなたに預けます」
「承知しました」
恭しく受け取ると、更に布で包み、懐にしまい込む。金貨二十万枚の価値がある紙だ。もし賊に狙われでもしたらテオでは守り切れまい。だからこそ託したのだろう、とジェラルディンは気持ちを引き締める。
手段はどうあれテオは任務を果たした。ならば次は自分の番だ。命に代えても為替手形とテオを守り抜く。決意を新たにしながら手綱を握り締めると、力を込めすぎていたらしい。アンドリュースが不思議そうに振り返った。
間道はいつしか山道に変わっていた。荒れた道を走らせるのは馬の足に負担も大きい。歩を緩め、慎重に馬を進める。ここから山を越えれば国境の筈だ。時折、鳥や虫の声が聞こえるだけで、行き交う旅人の姿はない。静かなものだ。今のところ追っ手や伏兵の気配もない。
自然と口も軽くなる。
「テオ様は、あのような故事をどこで?」
「ああ、例の話ですか」
テオはすぐに察してくれた。
「全部歴史の本に書いてあることです。それぞれの事実はバラバラですが、繋ぎ合わせれば一つの絵になった。それだけです」
言われてみればその通りなのだが、実現させようとは誰も……少なくともドリスコル王国の者は思わなかった。思ったとしても実現不可能な戯れ事として口にも出さなかっただろう。それをテオはやってのけた。バカなのかよほどの傑物なのか。
「しかし、使者の資料が見つかったなどとよくご存じでしたね」
よその国の歴史学にまで詳しいとは、何という博識だろう。感心していると、テオはこともなげに言った。
「ああ、あれね。デタラメです」
「へ?」
「実を言うと資料を作ったのはね、僕です」
ジェラルディンは絶句した。
「金を引き出すための論法には、使者の実在が必要だったので。
「いや、でも。資料を見つけたのは歴史学者だと……買収したのですか?」
「そんなのは、すぐにばれますよ」
テオは苦笑する。
「歴史学者のよく行く古道具屋に頼んだんです。彼の買ったチェストに僕の作った資料を忍び込ませるように。他人から見せられた証拠は疑っても、自分で
喜々と語るテオとは裏腹に、ジェラルディンは血の気が引くのを感じた。父のブランドンが見つけた仕掛け棚。そこに入っていた恋文。そして現れた伯爵家の隠し子。
これは、本当に偶然なのだろうか。
ははは、と愉快そうに笑うテオの声が遠く聞こえた。心の奥底にしまい込んだはずの猜疑が、また内側から爪を立ててこじ開けようとしているのを感じた。
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