第19話 伯爵夫人とベッドの行方
「ああ、ちょっと」
裏手への角を曲がろうとしたところでテオが追いついてきた。
「まだ何か?」
「その、何故あなたはあのような真似を?」
「何の話でしょうか?」
とぼけた訳ではなく、本当に心当たりがなかった。
「先程、石が投げ込まれた時、僕をかばいましたよね」
「それが何か?」
テオにもしものことがあったら今後こそプレスコット家は終わる。守るのは当たり前だ。性別を問題にしているのなら話はここで終わりだ。あの程度など、守ったうちにも入らない。何より武術の腕前はテオよりはるかに上だ。文句は言わせない。
「……僕は、あなたに嫌われていると思っていました」
「あー」
うめきながら自然と目線があさっての方向に向いてしまう。面倒な話を何故こんな時にするのか。煩わしいと思いながらも仔犬のように不安そうな顔を見ては答えざるを得ない。ジェラルディンが今、テオのことをどう思っているか。
初対面の印象は手合わせの件もあり、良くはなかった。初夜の時は、増税の風説もあって最悪だった。しかし、今はもう少しマシな人間ではないかと思っていた。
王宮での仕事も真面目に取り組んでいるようだし、女に入れ込み、享楽に耽っている様子もない。ジェラルディンに対しても常に気遣う素振りを見せている。悪人ではないのだろう。ただ、信じようとすればするほど『詐欺師』という言葉が頭をよぎるようになった。
何かの間違いではないかと思いたいが、今まで手合わせをして外したためしがない。人の本性など、必ずどこかでボロを出すものだ。どこかの村長から金を騙し取った疑惑についても本人から何の釈明も聞いていない。
そう考えると、うかつにテオに心を許すのは危険な気がした。好きかと聞かれれば「否」だが、嫌っているかと聞かれても「そうでもない」と答えるだろう。ある意味『詐欺師』という言葉にとらわれているのは、ジェラルディン本人だった。
「私は、テオ様がプレスコット伯爵としてふさわしい人物になることを願っております」
結局どう返答をすればいいのかもわからず、逃げを打った。望んだ答えとは違うかも知れないが、願っているのは間違いない。
「強い武人になれということですか?」
「いいえ」
あの腕前では十年修行しても騎士見習いにすら勝てないだろう。単純な強さならジェラルディンがいるし、強い騎士を家来にする手もある。
「この国の窮状を救える方です」
国王陛下より与えられた命令は、財政難を立て直し、民の生活を救うこと。知恵も知識もあるし、ジェラルディンよりはるかに世慣れているようだ。この際、詐欺師でもペテン師でもいかさま師でも構わない。テオには何としてもドリスコル王国を救ってもらわねば困る。
凡庸な顔立ちの青年だが、その双肩には王国の命運がかかっている。テオを守ることがプレスコット家を、ひいては実家のマクファーレン家の家族、領民を救うのだ。そのためなら命も投げだそう。そう考えれば、ジェラルディン自身、どこかあやふやだった守る理由に腑に落ちた。夫として尊敬出来るかはまた別の話としても。
「…………」
テオは無言のままだ。何が不服なのだろうか。いや不服だらけだろうが今はこれ以上、長話はしたくない。腹も空いている。ジェラルディンは念押しとばかりにテオの手を取り、ぎゅっと握った。
「テオ様なら必ずや救って下さると信じております」
これだけ言っておけば気合いも入るだろう。
「ええ、あ、まあ。絶対に」
不抜けた返事だったが、理解していただけたと解釈したので一礼して背を向ける。
一通り屋敷の周囲を見て回ったが、やはり塀の高さが足りない上に脆すぎる。これではまた賊に忍び込まれてしまう。早急に強固な
食堂に戻り、難を逃れたパンや新しく温め直してきたスープ、埃を払って炙った鳥肉を平らげる。テオは戻って来なかった。
湯浴みを済ませ、自室へと戻る。見張りも立てているし、さすがに二度目の襲撃はないだろう。今日は色々気疲れすることばかりで首が重い。早く眠りたい、と扉を開けたところでジェラルディンは声を上げた。
実家から運んできたはずのベッドがどこにもなかった。一瞬部屋を間違えたかと思ったが、絨毯にはベッドの足跡がくっきりと残っている。
確かに今朝方まではあったのに。
盗人か、と思ったがすぐに自らの考えを打ち消す。どう考えても運び出すには嵩張るし、目立ちすぎる。ほかにも金目の物はいくらでもある。なのに部屋は荒らされた様子はなく、ベッド以外になくなったものはない。宝石や衣類にも手つかずのままだ。この部屋には機密になるような書類もない。
そこでジェラルディンは思い直した。たまたま先程の襲撃と重なったからとっさに盗まれたと連想してしまった。ベッドだけ盗む盗賊などあり得ない。
きっと家臣の仕業だろう。何かの拍子にベッドの脚が折れたのかも知れない。報告がないのは気に入らないが、まずは確認だ。とりあえず呼び出しの鈴を鳴らす。やってきたのは侍女のサリーだ。
「私のベッドを知らないか」
なるべく穏やかに聞いた。まだ失態かどうかも定かではないのだ。
「それが……」
サリーは後ろめたそうに視線を逸らした。やはり、と思ったが何か事情があるのだろう。怒鳴りつけるのは最後まで聞いてからでも遅くはない。
その覚悟を次の言葉が一瞬で吹き飛ばした。
「その、本日より奥様のベッドを同じ部屋に移すようにと……その、旦那様より仰せつかりまして……」
「ふざけるな!」
ジェラルディンは父親譲りの大声を張り上げた。怒りに目が眩んでいた。耳をおさえながらしゃがみ込むサリーの横を駆け抜けると、部屋を飛び出した。
向かったのはテオの寝室だ。足音高く、叩き壊さんばかりの勢いで扉を開けると、寝間着に着替えていたテオの胸倉をつかみあげた。
「これは一体どういうおつもりか」
見れば使い慣れた我がベッドが、テオのベッドの隣に並んでいる。質問の形を取ってしまったが、意図は聞くまでもない。
「コソコソとこのようなせせこましいマネを……」
テオにも言い分はあるだろう。結婚以来、妻と没交渉が続いているのだ。肉体的な欲求を除いたとしても、貴族家にとって子供は必要だし、どうにか夫婦仲を改善したいというのも理解できる。
ジェラルディンとて現状が正しいなどとは考えてはいない。けれど、だからこそ、真正面から話すべきではなかったか。夫婦と思うのならば特に。
少しは見直したばかりだというのに。身勝手とは思いつつも裏切られた気がした。
「いや、これはですね……いや、違うんだって」
粗雑な言葉使いになったテオの首を強く締め上げる。
「口の利き方にはお気を付けを」
凄味を利かせて言った。
「今のあなたはプレスコット伯爵です」
テオはうなずいた。薄明かりに照らされた顔には、怯えや戸惑いが浮かんでいる。その顔を見て、ジェラルディンは怒りがしぼんでいくのを感じた。大人げないことをしてしまったというやましさが胸に残った。
両手を外すと、テオはその場に尻もちを付いた。涙目で咳き込む姿を見下ろすと、ジェラルディンは扉へと向かう。
「今宵は客間で寝ます。明日には取りに来させますのでそのおつもりで」
一方的に言い放って部屋を出た。誰もいない廊下を大股で歩きながらまた怒りや嘲り、羞恥に落胆といった感情が熱風のように渦巻き、暴れている。ただそれは夫のテオというより、ジェラルディン自身へと向いていた。何が『銀翼姫』だ。本当に翼があるならどこへともなく飛び立ちたかった。
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