第14話「ケルペテパージュ・オプラヴェーマ」
——緊張地
そこは一年を通して爆音と硝煙、そして命の危険が味わえる大人気の観光地——ではなく、クヴェルア世界有数の大規模紛争地帯である。
パホニから緊張地行き直通の便で約五時間。空路で行く人があまりいないせいなのか、いわゆる旅客機のようなものはなく、小型のプライベートジェット機に乗せられ『ダッカニア』では味わえないようなハイスピードでスリリングな空の旅を体験できる。
緊張地の領空に差し掛かると、パイロットがすぐさま向こうの管制に連絡をし、身元の照会をしなければ直ちに迎撃システムの餌食になるそうで、パイロットの彼も半ば冷静ではなかったように見受けられる。
エヴズヴァからの直々の指令で、その危険地帯への潜入を任命されたドンワーズは早速その洗礼を受けていた。深夜、緊張地に降り立った彼はそのまま空港近くに存在する片田舎のような雰囲気の宿場町で眠りについた。
赤錆が目立つトタンで組まれた、簡素というか貧相な寝床だったが、文句は言っていられない。
しかしそんなひと時の安息は唐突に破られる。今朝方、隣接しているペンションに、どこからか飛来した弾が直撃し木端微塵になったのだ。最悪のモーニングコールを受けると同時に、その余波で余計なケガも追加で被ることになる。
主戦場である大陸中央部からは数百キロは離れているはずだが、こうして都市部に流れ弾が飛んで来ることもたまにあるらしい。ガーゼと包帯のパックを片手に付近のディスカウントストアを後にしたドンワーズは、それの影響で朝から集まっていた野次馬や救助の人だかりを遠くから見つめ深いため息を漏らす。
まったく来たばかりだというのに、命がいくつあっても足りないな、と買ったばかりのそれを患部である二の腕にグルグルと巻きつけ適当に傷の処置をした。
◆
緊張地、正式には「ケルペテパージュ・オプラヴェーマ」といい、『クヴェルア』の世界地図から見ると、ターヴォルを含む西側諸国が点在する大陸と、パホニ等の東側諸国を有する大陸群。その二つの大陸の間を満たす大海洋の真ん中に位置している。
その大陸自体が俗に「緊張地」と呼ばれているため、一般に緊張地と言ったらあの大陸を指すのだということは『クヴェルア』での共通認識であった。
正式名称である「ケルペテパージュ・オプラヴェーマ」という名前は現地の言葉で「永久に続く戦火絶えぬ地」という意味である。
西と東で分かたれ、大陸中央で南北千キロ以上にも及ぶ戦線は常に前進後退し、それが安定した期間はほぼないと言われている。争いの理由はいくつかあるが、その大部分を占める理由は信仰上のものであると一般的には周知されていた。
しかして、そんな異常地帯にドンワーズが飛ばされた理由、それは——
『同盟側が緊張地をどう懐柔するのか明らかにする………?』
『あぁ、この任を君に頼みたい。ドンワーズ君』
この話が持ち上がったのは、ターヴォルを中心とした西側の同盟国軍が不干渉地帯である緊張地に手を出そうとしている。という情報を東側がキャッチしたからだった。
『緊張地とは、どの国の支配も受けない、また同様に他国に対しても直接的関与を許されていない『クヴェルア』における聖地のような場所でもある』
『その聖地に西側が手を出そうとしていると・・・?』
『あぁ。今まで起きた世界規模の戦争でも、この緊張地だけは常に不干渉を貫いてきたが、奴らは遂にこの場所までも手中に収めようとしているようなのだ』
『……なるほど。それは分かりましたが、どうして私が…?まだ来たばかりで役に立つとは思えませんが』
『逆だよ。入ったばかりだからこそ、君に関する情報は少ない。潜入させるにおいて、現状君以上に適している人間は居ないんだ』
『で、ですが——』
『不用意な工作もなく潜り込めるならそれに越したことはない。それに、君はどちらかというと実働的な仕事の方が合っているのだろう。だから、存分に力を発揮できると判断した。勝手な判断だとは重々承知しているが、初の実地任務として、成果をあげてきて欲しい。頼んだぞ』
『……分かりました』
『あぁそれと、勿論こちらから出来る限りの支援はするつもりだ。何かそれについて情報を得たら伝えるようにしよう』
『情報ですか?』
『流石に手探りで一から任せることはしないさ。一応現段階で共有できることとしては、緊張地において警察的な役割を果たしている組織がある。その組織の人員と接触することを第一目標にするといい——』
——以前交わしたエヴズヴァとの会話を思い起こす。
確かに画面と睨みっこして文字を打ち続ける作業よりは性に合っているかもしれないが、いきなり一人で見知らぬ土地に送り込まれるというのはなかなか新鮮。そして不安だった。
とにかく情報を集める必要がある。この場所に来て初めて入手できる情報もあるはずだ。
「………聞き込みか、あるいは……」
現在ドンワーズがいる地点は、緊張地大陸の最東端。港湾や空港が存在する部分だった。気候柄、新緑を感じさせるような青々とした光景はあまりなく、どちらかというと荒涼、乾燥といった言葉が似合うような景色が多い。一言でいえば暑く、ダッカニア国首都郊外を思い出すような情景だった。
てっきり外界とのやり取りをほぼ遮断した封鎖領域のような場所なのかと思っていたが存外そんなこともなく、港には交易船が往来し、空港には少ないながらも航空機が離着陸する。そんな至って日常的な光景があった。
恐らくエヴズヴァが言っていた不干渉というのは、外部との交流全般を指していたのではなく、政治的、或いは軍事的な介入のことを言っていたのだろうと現地の光景を見て気づいた。
この地の基本的な状況は、端末からネットワークに接続すればある程度は確認可能である。どうやら緊張地独自のローカルネットワークがあるらしく、そこを見れば現在の戦況だったり戦死者数だったり、あるいは人口の増減から輸入品の品数等々かなり幅広く見ることが出来る。
この機能自体は緊張地の西軍、東軍どちらかに所属していないと使えないものらしいが、行く前にラーザがどうにかして緊張地のローカルネットワークに侵入してドンワーズの緊張地でのネットアカウントを作成してくれていたようで、出発前に隊長からそのことを告げられた。
勝手にそんなことをして大丈夫なのかと不安にはなったが、これが見れると見れないでは雲泥の差だった。
現在東軍に加入していることになっているドンワーズ・ハウ改め「テルガ・モニャ」という人間の緊張地での戦績は、西軍の拠点奇襲、監視網突破、西側都市のインフラ破壊だったりと、身に覚えのない所業がリストアップされている。これで報復に遭ったらどうするつもりなのかと内心突っ込まざるを得ないが、偽名を使っている以上、自ら正体を明かさない限りはそうそうバレることはないだろう。
ついでに、緊張地の入国審査——国ではないが、この地に入場する際に提示しなければならないのがこのアカウントのIDである。無い場合は新規で作成するかゲストアカウントで入場することになる。
なおゲストアカウントの場合は緊張地内で活動できる範囲が都市部のごく一部に限られるため、基本的にこの地で活動したいのであればどちらかの側の沿ったアカウントの作成を余儀なくされるのだ。
——はてさてこんな路上で立ち往生しているわけにもいかず、片腕に包帯を巻いた男は行動を開始した。
ローカルネットにはエヴズヴァが言っていた警察組織についての情報もあるにはあったがどうやら秘密警察的側面があるらしく、そう簡単に接触できる相手ではなさそうだった。
「まずは……向こうに行くか」
日差しを手で遮りながら振り返る。今まで居た宿場エリアの正反対の方向には鋼色の高層建築の街並みが陽炎に揺れている。
地図を確認するとそこがまさに都市部であり、広がる荒野の中で局所的に発展しているエリアでもあった。そんな遠くにそびえる桃源郷を眺めながら最初の一歩を踏み出そうとした途端、その出鼻を挫くかのように「すみません」と、後ろから透き通るような声をかけられる。
「っ……はい?」
唐突な声に一瞬心臓が跳ねるが、平静を装いそれに返す。同時に反射的に声の方を振り向いた。
そこに居たのは、陽光を浴びて艶を放つ特徴的な黒のショートボブ。どこかこの地に不釣り合いにも見えるリクルートスーツを纏った、すらりとしてやや小柄な褐色の女性だった。彼女は振り向いたドンワーズを少し興味深そうに眺めていたが、やがて柔らかい表情をして彼に微笑みかける。
「——えっと…………?」
「あぁ、すみません。じろじろ見てしまって。このあたりで見ない顔だな~と思ったんです。遠方からお越しになったんですか?」
「……えぇ、まぁ、そんなところです。えっと、あなたは?」
「申し遅れました。私、この緊張地でガイドを勤めておりますロロンと申します」
「ガイド、ですか……?」
「はい。ここに観光目的でいらっしゃる方は多くはないですが、決して珍しくはないので、危険な目に遭わないように、私どものようなガイドが初めてお越しになる訪問者を案内するようにしているんです」
ただの親切心なのか。それとも別に目的があるのか。まだドンワーズには判別できなかった。しかし、ドンワーズを一目見ただけで「見ない顔」だと断定して率先的にガイドをしようとしてくるだろうか?
「そうだ。もしここに初めてお越しになったのなら、緊張地のローカルアカウントは取得しましたよね?良ければみせていただきませんか?」
「っ……あぁ、アカウントですね。ええと…はい。これを——」
ドンワーズは僅かに緊張した声音で彼女に端末を差し出す。
その画面には「テルガ・モニャ」という名前とドンワーズの顔写真。そして東軍に加入していることが表示されている。
それを見る彼女の視線は、その柔和な声音とは裏腹に警戒心が強いことが伺える。調査局に勤めていたドンワーズも良く知る、何かを酷く疑う時の眼だった。
「……テルガ・モニャさん、ですか。既にアカウントをお持ちなんですね。それに、すごい戦績ですね……こんなにも戦いに貢献していたなんて、驚きです」
少しして端末から視線を逸らす。ドンワーズが再び彼女を見た時には既にその眼は最初見た時と同じような柔らかな眼に戻っており、それから特に疑う様子もなくそれを受け入れたようだった。架空の戦績だけはどう考えても不要だなと改めて思ったが。
「し、失礼しました……! 既に東軍で活躍されている方だったなんて……」
「いえいえ、ただここに帰って来るのが久しぶりで、それで多分見ない顔だと思ったんじゃないですかね」
「そうかもしれませんね……私ったら無礼なことをしてしまって。それならガイドなんてなおさら不要ですよね!失礼しました……!」
「あぁ、待ってください。その、久々に緊張地に帰ってきたので、少し様子が違う部分もありそうなので、良ければ案内してもらえませんか…?」
「あ、そうですね! 確かに、ここは頻繁に街並みが変わりますし、数年も離れていたら昔と様子が違うと思うのも無理ありません」
「そ、そうなんですよ。ここに来るのは五年ぶりくらいで……」
「そうでしたか! であれば変化している部分も多いと思いますので、是非案内させてください。こんな英雄的戦果を残している方を案内できるなんて光栄です!」
何やら勝手にテンションを上げている彼女を他所に胸をなでおろす。どうやら最初の難所は越えたようだった。彼女の反応を見るに、この戦績も多少は役に立っているのだろうかとも思えてくる。
「——では、早速参りましょう! テルガ様!」
◆
東側の空港付近と首都を結ぶ地下鉄に揺られて十数分。目的地である都市部に到着した。
「ようこそ!東都、テシャンデームへ!」
降車場を出て地上に繋がる階段を上る。地上に出た途端、顔に降り注ぐ陽光に目を細め辺りを見渡すと、そこは既に都市中心部だった。
彼女に先導され辿り着いた先、テシャンデーム。地図で見ると、まるで荒野のど真ん中に燃え盛るようにして発展した文明の灯であり、戦線を維持するための重要な活動拠点である。
車両が道路をひっきりなしに動き回り、歩道は行きかう人々で溢れる。
ここが紛争地帯であることを忘れてしまうかのような大都会の様相に言葉を詰まらせてしまう。
しかしそれらをよく見ると、車両は基本的に一般的な乗用車というよりは装甲車や軍用車両、またはどこかで銃弾を浴びたであろう傷やへこみが目立つ物、あるいは廃車寸前のオンボロ車と、やはりここはそういう場所なのだということを再認識させられる。
「おぉ……—————」
それから、思わず見上げてしまう程の高層ビル群に感嘆の呻きが出る。
しかし遠くから見ていた時と印象はガラリと変わり、その異質さがより鮮明になる。
流石に紛争地域に栄えている街だからと言うべきか、目に入る高層建築物は一様に分厚い装甲という名の外皮に覆われているのだ。例えるなら、ビルにひと回り以上大きくて分厚い皮を被せたような、そんな状態。
しかしながら、そんな様相をカモフラージュするかのようにその外皮は全体がデジタルサイネージになっており、ビルの外観をそれで映すことで、それが無い状態と遜色のないような加工が施されている。
「ここも、ここ数年で結構変わったんですよね~。四年程前でしたかね、ご存じかもしれませんが、テシャンデームに向けて西軍より大規模な空襲があったんです。あれの影響でかなりの被害が出て、中でも防壁加工がされていなかった旧式の建物は軒並み破壊されてしまって………」
そう言われてみたら、一定以上の建物より低い建築物がやけに新しい気がする。
この付近で古めな建物が無いのはその所為なのか。
「あ、あぁ。そんなことも確かにありましたね、すごくショックでした」
「そうなんです。私も長らく東側でガイドとして暮らしていたので、見慣れた街並みが破壊されていくのはとても……って、ガイドがしんみりしてたら変ですよね!」
「……いえ、気持ちは分かりますよ。その、あまり気落ちせずに」
「えへへ、その、いい人ですね。ありがとうございます……それじゃ気を取り直して行きましょう。あ、そうだ。もうじきお昼ですし、昼食にしましょう。行きつけの場所に案内しますよ」
「もうそんな時間ですか。分かりました、一度食事にしましょう」
センター街を抜けると、途端にビル群は消え去る。その代わりに背の低い無機質な箱が段々と増えていき、それらの屋根からは環境に悪そうな煙が空を埋めるかのごとく噴き出ている。
「数年前までは、このあたりも雑多とした町並みと空き地が広がっていたんですけど、外資系企業が次から次へと参入してきた影響で、工場が一気に増えたんですよね。おかげで都市全体がサプライチェーンのようになって、昔よりも工業的な街になってきたんです」
「この辺りで作られているのは、やはり兵器が主なんですか?」
碁盤の目のように規則的に組まれた道はどこも厳重そうなフェンスで区分けされており、その中で工場がゴウゴウと唸りを上げ、無機質な作業着を着た人間が無機質な感情を顔に貼り付けたまませわしなく動きまわっている。
「そうですね。やはり緊張地において軍需産業に対する需要は高いです。昔は他国から兵器を買い付けることがほとんどでしたが、緊張地内でそれらが供給できるのは効率が良いですからね。それに応じて雇用もグッと増えました」
「ここだけは年中軍備需要が高い…か」
「その通りです。世界的に戦争が起きると、以前の場合は他国に兵器類が回されてここへの供給が滞ることがありましたが、この体制ができてからはそういった世界情勢を無視して内部的に兵器生産が可能になりましたからね」
「ちなみに、それは誰が主導で行ってるんですか?」
「主には緊張地内で結成された組合ですね。ここには政府というものが存在しないので基本的に民間でそういったことがなされています。彼らが他国企業と交渉を行い、この地にそういった産業を根付かせているんです」
「なるほど。しかし、ここはそういった他国への風通しがあまりよくない印象があったから意外ですね」
「確かに以前はそうでしたね。ただ近年は西側、東側ともに他国企業とのやり取りを急にするようになって、私達も少し不思議に思ってるんです。昔からここで暮らしている労働者や年長者は緊張地が他国に占領されてしまう。とか、そういった陰謀を唱えていますが、今のところはそういった兆しはないように思います」
「そうですか。しかし、その割に港湾部は閑散としている印象がありましたが、あの雰囲気は以前からあったんですか?」
「あのエリアは、軍品を輸入に頼っていた時期に組合を中心として急速に発展しましたが、運搬船が襲撃され物資や資源が盗難に遭ったりと、何かと物騒だったんです。それで徐々に輸入量を減らす代わりに内地に工場を建設していく流れになったんです。港湾エリアが完全に発展しきる前に過疎化が進んだので、今のような閑散とした雰囲気になってしまったというわけですね」
彼女の言う通り、街の治安はお世辞にも良いとは思えなかった。
裏通りのみならず、表の大通りに面した場所でさえ落書きだらけで路上はゴミが目立つ。ここに来るまでに浮浪者もよく目に入った。どうやら全員が全員戦場に駆り出されるというわけではないようで、戦火から逃れたくとも国外に逃亡できない人間はあのような状況になるのだろう。
その結果、ギャングのような派閥が自然と発生し、強盗などの事件に発展していく。『ダッカニア』でも珍しくない光景だ。
「どこも抱えていることは同じか………」
「え、なんですか?」
「あぁいや、なんでも。それより、どこで昼食を? 街からは離れてきてますが」
「私の行きつけのカフェがもう少し行ったところにあるんです。そこで昼食にしましょう!」
その場所に向かうのが楽しみなのか、上機嫌な様子が彼女の背中越しに伝わってくる。工場が立ち並ぶ通りを抜けると今度は住宅街が姿を現わした。
当然ながらこんな場所にも人はたくさん住んでいるようで、人影はあまりないが不思議と人気は感じる。そんな雰囲気だった。
白色と灰色の中間くらいの色の壁で構成された、無機質な正方形が積み重なったような住居が立ち並ぶその一帯は入り組んでいて迷路のようでもある。スラムというほど退廃的なものではないが、特別小綺麗という感じでもない。こう見ると都市部がいかに異様な発展具合を遂げているのかを実感できる。
地域性とでも言うべきか、全体的に乾燥している地域一帯に馴染むようなその風貌は土地に溶け込んでいるようにも見える。
そんな風景を横目に歩きながら着いていった先は、これまた人気のないカフェ。
入店すると奥まで続く長いカウンター席が目に入るが、カウンターには向かわずに迷わず一番奥まったテーブル席に向かうロロン。
年季を感じる木造家屋で、哀愁を感じるノスタルジックな音楽も耳心地良く流れている。時折遠くから聞こえる銃声や爆発音を除けばまた行きたい店ランキングにランクインするだろう。
「ささ、座ってください」
昼時にもかかわらず店内は閑散としており、営業中なのかも怪しい。特に店員からの案内もなく、彼女はまるで自分の家かのように慣れた動作で先に席に腰を落ち着けていた。
それに倣いドンワーズも怪訝な顔をしながらも席に着くと彼女からおもむろにメニュー表を手渡され、そのリストをしげと眺めた。
そこまで空腹というわけでもなかったが、食べれる時に食べておけという師の言葉を思い出し、いわゆるトースト、さらにハムフートと呼ばれる味が付いた米に煮込まれた肉などが添えられた食べ物を注文。未知の食べ物しかなかったらどうしようかと内心不安だったが名前は違うものの、存外慣れ親しんだものが偶然あり心底安心した。
やがて店の奥から店員がやってきて注文を受ける。それも至って普通の接客で違和感はなかった。考え過ぎかと思い直し、注文した物をまた彼女と雑談しながら待つ。
「そういえばここに来るまでに気になったんですが、あの工場地帯や住宅地への攻撃っていうのはないんですか? あまりそういった対策がなされているようには見えませんでしたが」
「勿論ゼロではありませんね。特に工業プラントやインフラの破壊は優先されるものですから。ですが、ちゃんと攻撃への対策は構築されていますよ。基本的にはミサイルによる高高度からの奇襲が多いですが、それらは同様にこちらからもミサイルを発射することによって百パーセントではありませんが殆どを撃墜することが可能ですから」
「なるほど…いえ、やはり敵からすればそういった場所を攻撃するのがセオリーだろうと思いまして」
「そうですね。主戦場である大陸中央部以外での戦闘は基本的に禁止という暗黙の了解こそありますが、中にはそれを無視して都市部やプラントを直接攻撃して被害を発生させるという状況も決して少なくはありません。両軍とも一枚岩ではありませんし、皆が皆団結して戦っているというわけでもありませんから」
彼女の言い分は最もだ。確かに、この広い大陸の東西を二分して戦っている中で全員がまとまって戦っているとは考えにくい。
「お待たせいたしました。トーストとハムフート、そしてセットのサラダとコーヒーでございます」
ロロンは小食なのか、つまめる程度のスナックを注文しており小さなバスケットに盛られたチップスフライがテーブルに到着した。
「では、いただきましょうか—————」
ささやかな昼食。ロロンとの出会いは完全に偶然ではあったものの、彼女のガイドも相まって、この午前中で緊張地の背景をより深く知ることが出来たのは行幸だった。
最初は彼女のことを不信に思っていたが、無邪気にチップスを頬張る彼女を見ていても、そういった不信感は自ずと消えかかっていた。
さて、こちらもいただくとしよう。と、無意識に喉の渇きを潤そうと冷えたコーヒーに手を伸ばし、縁に口を付ける。ひんやりとした感触が心地よく、この暑さで冷を欲していた体にスルスルと液体が流れ込んでいく。
それからハムフート。エスニックな雰囲気と鼻を突くような酸味と独特の味。『ダッカニア』にも似たような料理があったような気がするなと思いながら咀嚼していると、不意に眩暈を感じた。
一瞬だったが、意識が強制的に断たれるような感覚。確かに外は暑かったが熱中症というわけでもないはずだ。
しかし、その感覚は徐々に強くなり、それを二口程度食べた後に意識は完全に途絶え、スプーンを握りしめたまま彼の頭はテーブルに隕石のように打ち付けた。
目の前で相変わらずチップスを口に運んでいた彼女は、その様子を見てしばらくした後、端末をポケットから取り出しどこかへ連絡を始めた。
そしてテーブルに伏した男の様子を茫然と見つめ、それまでとは打って変わって冷徹な声音でぽつりと呟いた。
「…あなたは味方か、それとも敵か…どちらなのかしらね」
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