第12話 追憶
「クヴェルア統制国」——『クヴェルア』をその手中に収めた世界の中心。かの戦争を経て樹立した、新秩序の体現であるクヴェルア統制庁が軍移送機の窓から一望できる。
統制国の首都であるその一帯のインフラや建造物は一部宙に浮き、ある種浮遊都市のような様相を呈していた。
陽光を受け輝く、漆黒のダイヤモンドのような色合いの超構造建築物が無秩序に並び立ち、縦横無尽に広がるその都市を形作っている。そのどれもが機械的で怪しくも幻想的なシグナルと警告灯を放ち、無機質な世界に人造的な彩りを添えている。
縛られた状態で椅子に座らせられていたドンワーズは首を回し、眼下に広がるそれらを無言で眺めていた。捕虜として統制国に連れてこられたあの時を思い出すようで、当時も今と同じようにこうして軍移送機に押し込まれ空の旅を楽しんだものだ。
軽く言えば二日酔いで出社した時と同じくらい気分は重く淀み、重く言えば死地に鉛を抱えて向かっているような、そんな感覚だった。
無論、彼らは自分を殺したりはしない。従順な態度を保ってさえいれば。だがドンワーズにとって、そんなことはどうでもよかった。
何より気掛かりなのは『ダッカニア』のことだった。「帰る」なんて言ったそばから、それと正反対の極致である統制庁にとんぼ返りしようとしている事実が何よりも危惧すべきことであり、最も諦めのつくところだ。
勿論、諦めるという選択は論外だ。だが、「諦める」以外の選択肢が消滅した場合どうすればいい?
あの戦争が終結し、最初に統制庁に送られバッセルと共に離反するまでは従順なふりをし、せめてもの抵抗として必死に情報を得ようと一人動いていたが、結局それで得られた物は〝自分の血液が付着した地点をビーコンとしてテレポート〟するという奇妙な能力だけだった。当初はそれの使い方すら理解していなかったが、今にして思うと多少役には立っている。
当時のドンワーズは、後に統制国と名乗りを上げる西側諸国が結託し形を成した旧同盟国の全てを憎んでいた。勿論、その発起国であるターヴォルという軍事国家を中心として。
彼がこの世界に転移した時、右も左も分からなかった彼を受け入れてくれたのが、後に旧同盟側と争うことになる、東側諸国で結成された旧連合国、その一端を担う「パホニ」という島国だった。
◆
六年前——
「…………」
毎日の日課で、朝起きたらランニングをする。起きたら歯を磨き、水を二杯ほど乾いた体に流し込み簡単に水分補給を済ませた後、洗顔し髪を整え、程よく色落ちした橙色のランニングウェアに着替える。
そんないつものルーティン。ランニングコースは調査局の周辺。早朝のパトロールも兼ねており、同じ時間帯で出会う市民の人々とは顔馴染みになっている。
今朝は平均より少し肌寒く、移動する体に吹き付ける風は時折小さな棘のようであり、その温度をより密接に感じられる。
今日の業務内容を頭の片隅で思い出しながら、彼はペースを落とさず車通りの少ない早朝の街を悠然と駆けていく。目を瞑ってもなぞれるであろうほどに走り慣れた道は、今日も彼を歓迎している。
しかし、その日はいつもとは違った。走っていると、不意に眩暈がした。昨夜の深夜まで続いた作業が祟ったのか、寝不足とも言えない妙な眩暈。頭を強引に揺さぶられているような感覚と共に、徐々に視界が暗くなる。自分の目が見えなくなっているのか、それとも目の前が暗い闇に染まったのか、判別できなかった。
——そして意識が完全に途絶える。
再び目覚めた時には眩暈もなくなり、妙に思考がクリアになっている気がした。
しかし、自分はもしかしたら夢でも見ているのかもしれないと、一瞬自問した。彼の両の目で捉えた目の前の景色は、どう見ても『ダッカニア』ではないからだ。
ドンワーズは間抜けなサルのように頭を掻き、辺りをキョロキョロと見渡した。辺りは手入れされていない雑木林といった雰囲気の場所。少し小高い丘の上のようで、目の前に広がる、想像もできない異様な都市が一望できる。
「…………は、ははっ——」
脳がその現状を必死に理解しようとする傍ら、何か祈るように振り絞って口から飛び出た乾いた笑い声は風に流され空気に溶ける。
実感が沸かないとは、このことを言うのだろう。「異界干渉」に端を発し、長年調査し続け、絶対にあると思っていた「異界」はちゃんと存在していた。
はっきりと、ありありと。
「はははっ…………っははははは—————————!!!」
汗の染みたランニングウェアを着たまま男は両手を広げ、気でも触れたかのように笑い天を仰いだ。その青空は『ダッカニア』で見る物と何ら変わらない、澄んだ快晴だった———————。
◆
おぼつかない足取りで雑草だらけの丘を下った。開けた視界に広がる世界はまさに夢のような光景だった。縦に伸びる巨木のような白銀の建造物がひしめき合うように聳え立っているのが遠くからでもよく見える。
何より非現実的なのは、それら建造物が大地ごと浮遊していることだった。樹木が地面からそのまま抜かれ木の根が空中で宙吊りになっているように、建造物の残骸のような物が空中に浮かんでいる。
「どうなっているんだ……あれは…………」
余りにも常軌を逸した光景に見惚れ、思わず歩みを止めてしまう。
目の前の浮遊都市とでも命名すべき文明の連なりからは、その建造物の間を縫うように黒く太い線が何本か交差しているのが見え、都市から伸びたそれはドンワーズの遥か頭上にも掛かっているのが確認できた。よく見るとその線の下には何か大き目の箱がぶら下がっており、その線にぶら下がるようにして高速で移動している。
「おい、あそこ見ろ」
「人か………?」
そんな様子を茫然と眺め、最初の地点から未だ大して動けずにいると上空から拡声器を通した声が響いた。
『そこの民間人!ここで何をしている!抵抗の意志がなければ、その場で両手を挙げて待機せよ!これは命令だ!』
プロペラを轟音と共に振り回し、小型のヘリコプターがゆっくりと降下した。
「…………っ!?」
ひとまずドンワーズは言われたように素直に両手を挙げて投降する素振りを見せる。少しの間、それは低空で姿勢を保ったまま飛び続けていたが、やがて下部から三脚のような足が展開され、機体が地面と平行になるように接地面を合わせて着陸した。
ドアが開き、その中からぱっと見、軍服のようなカーキ色のむさ苦しい服を着た二人の男が現れた。
「ご協力感謝します。どうも、私はトンオーン警戒区域監察部隊所属の者です。失礼ですが、あなたはここで一体何を? …………その服装は?」
「っ………えっと、すみません。じ、実は気が付いたら突然ここに…でも、自分が誰だったのか、ここが何処なのかもわからなくて混乱していたんです…。ここって『センタキトス』ですか?」
もし異界に突然転移してこのような状況に陥った時、どのように振舞えば生存率が上がるか、という議題は部門のメンバーと暇つぶしで散々議論してきたことだった。
もちろん『センタキトス』などどいうその場で思いついた架空の地名はドンワーズも知らない。
結果的に言えば、とにかく記憶喪失であることをアピールする。ということに落ち着いた。記憶喪失の相手に強くは出られないだろうという相手の良心を突いた策だ。
「そうですか、それはお気の毒に。おい—————」
雑に憐れむような反応を見せつつ、もう一人の仲間に声をかけた。すると、手に何やら銀色の装置を持って現れた男は、有無を言わさず、そして抵抗させる間もなくヘルメットのようにドンワーズに被せた。
ピピピピ…………と数回のアナログな機械音の後、彼は呆れたような顔でこちらに向き直った。
「………さて、ドンワーズ・ハウさん? あなたを虚偽申告罪で逮捕します」
———捕まった。そして——
「いやー、稀にいるんだよ。都市外環の警戒区域から都市部に向けて迫撃砲飛ばしてくる愚か者が」
ドンワーズは先ほどまで見ていた空中都市、ではなく、あの地点からさらに数キロ離れた比較的田舎な町に併設されるように展開されている駐屯地に移送されていた。
「まぁ、だから警戒区域ってな呼ばれ方されてるんですがねぇ、これが」
あまり清潔感のない黒い短髪、小太りで無精ひげを生やした男は自嘲気味に笑い肩をすくめた。着ている軍服だか警官服らしきゴワゴワとした服は所々ほつれており、その体格に圧迫されやや窮屈そうにしている。
「それで、さっさと本当のこと吐いて、解放された方が楽じゃないかな?」
随分フランクに喋っているのはドンワーズより二回り以上年上とみられる、ここの駐屯地に駐在している軍隊員。しかし一般の軍人とは役割が少し違い、先ほどドンワーズが居たような警戒区域で発見された不審者を主に尋問する警官のような係である。
「あの装置…?は、一体何なんです?どうして私が記憶喪失じゃないと一瞬で断定出来たんですか?…あっ、記憶喪失なのは本当なんですが」
「あぁ、あれはまぁ……所謂、噓発見器…………みたいな物かなぁ。あ、でも仕組みとかは聞くなよ。知らないからな。ははは」
ぶっきらぼうに笑うと払いのけるように手をふる。
「俺個人としては、あんたが記憶喪失だろうと、そうじゃなかろうとどうでもいいことなんだがね? まぁでも、不法入国みたいな案件は厳重に取り締まってるからねぇ。見るからに——あんた、この世界の人間じゃないだろう…?」
「…不法入国だと、そんなにマズいんですか?…って、待ってください。私が、異界から来たって、どうして…?」
異界から来たという情報は一回も喋っていない。もしかしたら、あの機械を使われたときに一緒に判明していたのだろうか。
「あぁ、君が異世界人なのは…まぁ、分かるんだよ。雰囲気でな」
「雰囲気…………?」そんな曖昧な感じで異世界人とそうじゃない人の区別がつくものなのだろうか。
「ははは。その辺、まとめて記憶喪失のあんたにも分かりやすいように説明してやるよ」
——曰く、この世界。もとい惑星は『クヴェルア』といい、国家間での戦争や紛争、そして国家内の内戦が頻繁に起きている世界なのだという。所謂、世界の覇権を握るために日夜国々が技術を極め、新たな兵器が生み出されているそうなのだ。
そして、ドンワーズが転移した先はこの世界の中でも比較的小さな島国「パホニ」であり、『クヴェルア』有数の火山列島なのだという。とはいえほとんどが休火山らしく噴火は一部を除いて滅多に起きたりはしないそうだ。
また地形的な関係で大小問わず地震が頻発するため先ほど見たような浮遊都市が築かれたのだそう。しかし、それは重要な施設や建物が密集する都市部だけに限った話であり、今現在いるような場所は優先順位的に地に足を付けたままなのだそうだ。
「この世界じゃ、国家間の武力衝突はよくある話さ。テロが起こるのも珍しい話じゃない。だから、不法入国ってのは各々の国で厳しく罰せられるのさ。即刻死刑になる国だってある。まぁ「パホニ」の法律じゃ一番悪くても、せいぜい無期懲役ってところかね。前例は無いが………」
そして、続けて彼は異界人の〝雰囲気〟というものについて付け加えた。
「多分あんたの世界にも〝外国人〟ってやつはあるだろう?」
「他国の人間ってことですか?それならありますが……」
「その他国の人間を見た時に、なんとなく、〝こいつは自分の国の人間じゃねえな〟ってな……まぁなんだろうな。ある種、感覚的な見分け方ってのがあるだろう。それが世界単位で起こるのさ。具体的に説明するのは難しいがな」
「でも、私はあなたに対してそういった感覚はありませんが………」
「あんた、異界人をみたのは初めてか?」
「えぇ、まぁ………」
「うーん……じゃあ、慣れってやつかもな。何度も異世界人を見てると自然とそういう感性が培われてくるのかもしれん」
かなり主観的な説明だったが、仕事柄そういった人たちと接する機会が多い彼だからこそ感覚的に語れるのだろう。と、とりあえずその場では納得しておくことにした。
「なるほど……。えっと……では、私はこれからどうしたら? 牢屋行はご免被りますが」
「ま落ち着け。俺もあんたみたいな奴の対応は何度もしてきたさ。不慮の事故で、いきなり他所から飛んできたお客さんを、不法入国扱いで豚箱にぶち込むなんて理不尽なことは流石にしねぇよ」
「それじゃあ………?」
「ただ、そういう穏便な対応は、何の罪も犯していない善良な一般人に対してのことだ」
「…………」
「この警戒区域の境界にある駐屯地に勤めてるとな、あんたみたいな、突然記憶喪失になる残念な遭難者をたまに見るのさ。だから対応も弁えてる」
そう言うと、後方にある棚から一枚の紙とペンを取り出しドンワーズの前にズイと差し出した。
「………虚偽申告は軽犯罪だ。ここに一か月拘留か、三万クイット払って自由の身になるか。まぁ、好きな方選びな」
◆
——結果的に私は拘留されることになった。そもそもランニングをするのにいちいち金なんて持ち歩かない。まぁ持ち歩いていたとしても異界で使えたかどうかは分からないが。—————あの後、色々と説明を更に受けた。
分かったのは、自分のように不慮の事故として突然異界から渡ってくる者はそう珍しいことではないということ。そして、そのような者に対しては少なくともこの国で生きていけるような手厚いサポートがされるということ。
そして本人の能力を見て、何かしらの就職場所を斡旋して貰えるということ。思いのほかそういった福祉的サービスが充実していることに感動を覚えながら、もう一生ここで暮らすことになるのかと、通された独房という名の客室で排他的な感慨に耽る。
拘留所は思っていたよりも快適で、駐屯地と道を一本挟んだ田舎町の中にある民泊のような施設がその役割を担っていた。なんでも、もうあまり人も来ないし、隣が駐屯地だし、と言うことで軍が民泊や周辺施設ごと買い取ったらしい。
そんな訳で、独房というには少し風情があり、それなりのテレビ、それなりの冷暖房、それなりのベッド完備の旧民泊の一室に滞在することになった。
いい加減着替えたいと思っていたところに、白い無地のスウェットと下着が何着か上下支給され、独房で生活する以外の時でもこれを着用するということらしい。
そして意外——というわけではないのだろうが、ドンワーズ以外にも同じように異界からの遭難者が数人泊まっており、それぞれの異界トークで盛り上がることもあった。
別の世界から来た者同士がまた別の世界で集い語らうというドンワーズの常識を木端微塵に破壊する光景に、高揚とも新鮮とも何とも言えない感情が湧く。
彼らもまたドンワーズ同様、ある日突然この世界に転移してきてしまったようで、辺りをうろうろしているうちに、この駐屯地に連行、拘留されたのだ。
「初めまして~、ワタシはラルメル・ラロンよ。こっちはフェルフェ……下の名前何だっけ?」
「カルマンダールだよ。フェルフェ・カルマンダール。よろしくな」
「あぁっ、そう、カマンダールくん………!」
「カ〝ル〟マンダール!」
二人はドンワーズがやって来る数週間前に転移してきたそうで、それぞれ違う世界から迷い込んだのだという。
夜、民宿の食堂に集った三人は、互いの孤独を癒すように話し相手となり交友を深めた。
「よろしく、ドンワーズ・ハウだ……えっと——」
「ねぇねぇ、あなたはどんな世界から来たの!?」
ラルメルと名乗った彼女は、ドンワーズと同じか少し下くらいの年齢と推察でき、やけに人懐っこい。ライトブラウンのショートボブが特徴的な彼女は、好奇心から翡翠のような眼をキラキラと輝かせていた。その喋り方はゆったりとした羽毛のようであり、彼女の人柄が伺える。
彼女に名前を間違えられた彼、フェルフェは絵にかいたような好青年といった印象で、彼女とも歳は離れてなさそうだった。清潔感のある黒髪短髪、レッドワインの瞳。少し疲れたような目が印象的で、その眼の下にはあざにも似たほくろがある。
そして二人にはどこか姉弟のような雰囲気があった。
「私が居た世界は『ワルヘンテ』って言って、大陸くらい超デッカイ火山があるんだよ~!その火山には神話があってね~」
堪えきれなくなったのか、ドンワーズが口を開く前に聞かれてもいない自分の世界の話を興奮気味に語りだした。
「——おいラル、いきなりがっつくなって。ごめんな、えっとドンワーズ・・・くん?さん? まぁとにかくよろしくな」
「あぁ、呼び捨てで構わないよ」
「そか、じゃあ俺のことも呼び捨てでいい。フェルって呼んでくれよ」
「分かった、フェル」
「おう————」
「あぁっ、ワタシのことはラルでいいからね!?」
謎の対抗心を燃やしてか、フェルフェに釣られるように食い気味に割り込む。
「………それで、二人とも違う世界から来たって駐屯地の人に聞いたけど、そうなのか?」
「あぁ。こいつは今言ったように『ワルヘンテ』っていう世界。俺は『キャデラン』ってとこから来た」
「『ワルヘンテ』、『キャデラン』・・・・・」
当然聞いたことはない。二人はさも平然と言い放つが、自分の知らない世界がこの『クヴェルア』のみならず、さらに二つもあるという事実に押し黙ってしまう。
「その………二人にとって、異世界っていうのは常識なのか?」
「いや、まぁ『キャデラン』だとそういう概念があるってくらいで、ほんとに別の世界に転移してこれちまうなんて、夢にも思わなかったな」
「ワタシもそうだよ~。『ワルヘンテ』はこの世界みたいに文明が発達してなくて、ここに来た時はそりゃもう、うひゃ~~って感じで。でもそういう創作物は結構あってね? 異世界に行く方法~なんて都市伝説が流行ったりしてたかなぁ」
「そうか……」
「それで、ドンワーズはどんな世界から来たんだ?」
「私は……」
——自分が生まれ育った世界を思い起こしてみる。とはいえ、どうそれを伝えたらいいのか適切な言葉が浮かばない。「普通の世界だ」なんて無味無臭な伝え方はあまりにも薄情というものだろう。
異世界人に自分の世界を説明するのは意外と難しいなと、およそ人生において考える必要がないランキングトップの悩みができた。
「私が居た世界は『ダッカニア』と呼ばれてる。そこは——うーん……何て言うか……普通の……世界、だよ」
言ってしまった。あまりにも情けない。
「…そっか。ま、そんなもんだよな。今まで自分が住んでた世界しか見てこなかったのに、その世界が異常かどうかなんて判断できるわけない」
「あぁ、そうだな………考えたこともなかった。…じゃあ『キャデラン』?はどうなんだ?」
「『キャデラン』はなぁ、なんて説明したらいいか。あの世界で人類が住める範囲っていうのはごく限られた範囲なんだ」
「どういうことだ?」
「俺たち『キャデラン』で生活してる人間は、一本の天まで届くようなデッケェ樹みたいな柱を中心に、円形に建てられた壁の中で暮らしてるんだ」
「………はぁ」
「んで、その樹のてっぺんからは幕みたいな薄いカーテンが下まで降りててな。それがある位置に壁が国全体を囲うように建てられてる。幕の位置が分かるようにな。そんで、その幕の外に出た人間はすぐに死んじまう」
「死ぬ……!?」
「そ。だから俺たちはその目印となってる壁の外には出られないんだ」
「なんか…すごい世界だな」
「不便なだけだぞ。普通の世界が一番じゃないか?まぁ、その普通はよくわかんないけどさ。でも、多分そういうしがらみとかない世界なんだろ?」
「あぁ……そう、だな…」
「ワタシもフェルの世界の話を聞いた時はびっくりしたなぁ~。でも、行ってみたいとは思うよ?」
「そうか? 機会があれば案内してやりたいな。その時はドンワーズも一緒に」
「そうだね! 楽しみだなぁ~」
「ったく。まずはこの世界で生きていくことを考えなきゃな………ん、どうしたドンワーズ」
「あぁ、すまん。いや、その………帰れるのかなって」
「…………そうだな。ま、帰れなかったら帰れないで終わりじゃないか。けど、これだけ文明が発達した世界なんだ。帰る方法くらい見つかるさ」
「そうだよドンワーズくん! そんな直ぐ諦めたらダメだよ~!」
「っ……ご、ごめん縁起でもないこと言って」
「まぁまぁ、ドンワーズは今日転移してきたばっかりなんだから、不安にもなるさ。俺たちも来た頃は不安で仕方なかったろ?」
「ワタシは不安になるより、異世界に来れたことが嬉しすぎて全然!まぁ寝る前にあれこれ考えて泣きそうになったけどね~!」
「情緒不安定だな………」
「ふふっ……」
二人と話していると幾分と気分が和らいだ。やはり気持ちを共有できる相手は心を豊かにするものだなと、ドンワーズは改めてしみじみと感じた。
その後も夜更けまで彼らの談笑は続き、食堂の電気はなかなか消えることはなかった。
◆
あくる日、拘留中の作業を終えた彼らは、いつもの様に談笑をしていた。この短期間ですっかり打ち解け、ドンワーズにとっても二人は気を許せる存在となっており、異界関係なく他愛ない話を気がつけばしている。
そんな中、彼の中には今まで気にする余裕もなかった根本的な疑問が浮かんだ。
「そういえば、どうして皆言葉が分かるんだ?」
彼らと落ち着いて話していると、ふと初歩的な疑問がよぎる。ここに来てからは何かと展開続きでそんなことを考えている余裕もなかったが。
そのドンワーズの問いを受けて、二人は目を丸くしてきょとんとする。
「ワタシはそれについては何とも…ていうか、今言われるまで気付かなかったよ~」
「おま……流石に俺は気づいてたぞ。まぁ特に言及することもなかったが…」
「急にこんなこと聞くのもアレかと思ったけど、ちょっと気になってさ……」
「そうだなぁ、考えなかったわけじゃないけど、改めて考えてみると確かに気にはなるよな。まさか全ての世界で共通の言語を話してるわけじゃあるまいし」
「じゃあ、明日ここの軍隊員に聞いてみる~?」
「それがいい。異界人と接触する機会は比較的多そうだし、その辺色々知ってそうだしな」
というわけで翌日、彼ら三人の指導を担当していた隊員に事の次第を告げ真相を暴くことに。
どんな陰謀めいた話が聞けるかと興奮を内に秘めつつそれを尋ねると、隊員の彼は特にそれを隠すようすもなく、あっけらかんとした様子でその内情を説明してくれたのだった。
曰く、この『クヴェルア』という世界において独自に開発されたリアルタイム言語翻訳技術なのだそう。
この世界や、既に観測した異界に存在する全ての言語パターンから、相手が話している言語に限りなく近い言語パターンを抽出し、最適な翻訳に導く演算装置があるということらしく、『クヴェルア』全体にその翻訳波長を行きわたらせる波長送信機により実現しているということであった。
また、その波長は可視光にも影響を及ぼしており、目に入った文字も勝手に最適な形で翻訳され視認することが出来る云々——とのこと。
彼もそこまで詳しいことは知らないようだったが、掻い摘んで話すとそういうことらしい。しかし、それを聞いてなお三人は首を傾げるばかりであった。
◆
——ここに来てから一か月ほど経った頃。
楽しい拘留期間はあっという間に過ぎ去り、釈放される日が来た。
ドンワーズより先に来ていた二人は、彼が釈放される前に既にここを出ており、残されたダッカニア人だけが一人で俗世へと解き放たれる。
『じゃあ俺たちは先に行くからな』
『またどこかで会おうね~!ドンワーズくん!』
二人との別れは名残惜しく、しばらくはその寂しさを味わい二人と過ごしていた日々を噛み締めるようにしていた。
またどこかで会えるだろうか。連絡手段が無かったため連絡先を交換しあうということも出来ず離れることになってしまったが、少なくとも二人ともこの国で生活することになるだろうからいずれ会う機会はあるかもしれないと、そんな前向きな考えを持って。
ドンワーズは拘留中にいくつかの試験を受けており、その結果に即して適正のある職を紹介してもらっていた。結果的にはこの国「パホニ」の俗に言う公務員として迎えられることとなった—————。
「さて、ドンワーズ・ハウさん? 貴方には、本日付けでパホニ第三区域管轄の治安維持部隊の任に付いていただきます」
治安維持部隊。部隊とは言うがどうやら『ダッカニア』で言うところの調査局と防衛局を足したような、いわゆる警察隊に軍隊が統合されたような組織であるらしい。
その治安維持部隊の本部は元々勤めていた『ダッカニア』の中央調査局の本庁舎をもう少し小綺麗に、より無機質に、そして平たくしたような感じの建物が新しい職場である。今応対中の女性はその建物のロビーで様々な受付業務を担当していた。
「これが識別チップになります。以前説明は受けたかと思いますが、念のため再度説明させていただきます」
手渡された小指の爪程度の薄さと大きさの金属版。『クヴェルア』では、先進国であればほぼ必ず使われている規格であり、基本的な個人情報やその他対応国で快適に過ごす為に必要な情報が詰め込まれた重要なアイテムである。
「それと、こちらも一緒にお渡しします」
そう言いながら、バングルのような物体がカウンターに置かれた。しかし一般的なバングルよりも全体的に薄く平たい。清潔感のある光沢のあるホワイトで、バングル自体が携帯端末の役割を果たしている。『ダッカニア』にも似たような物はあったが、やはりこちらの世界の物の方が未来的だと感じる。
「そのチップをこちらの端末にセットしてお使いください。すでに初期設定は済ませてありますので、余計な操作は必要ありません」
指示通りに端末を手に取り、腕時計で言う時計部分に当たる箇所を裏返し、チップを挿入する。すると、まっさらだった表に画面が浮き上がり、時刻や日付などが表示された。
「………腕時計?」
「それは標準機能です。それ以外にも様々な機能がありますが、まぁ使い慣れるのには時間がかかるでしょう。ひとまずは便利な腕時計程度の認識で構いません」
「説明書とかはないんですか?」
「そういったものは全てその端末で確認することが出来ます。紙媒体の物は撤廃されました」
「あぁ………そう、ですか」
その後、彼女に説明書の見かたから使い方まで一通り聞いたことは言うまでもない。
治安維持部隊の本部は上空から見たら「回」のような形をしている。その四角が何重か波状に広がることで要塞のような堅牢な雰囲気を演出しており、廊下は無限に続いているようで目的の部屋までどこまで歩けばいいのか、時折天井からぶら下がっている案内板を逐一見ないとすぐに迷子になってしまいそうだ。
廊下は職員が常にせわしなく右往左往しており、道を尋ねるのも憚られる。早速腕に取り付けた例の端末の画面に表示させた館内の地図を凝視しながら、やっとのことで目的の場所に辿り着いた。
本当に間違いじゃないかと数度確認し、不安混じりにノックすると「どうぞ」という落ち着いた女性の声が外までぼんやりと響いた。
道中館内で見てきた色々なドアと比べてもひと際目立つような重厚感のある重々しいドアを開けると整然として格式高い雰囲気の空間が広がっていた。
その奥にはこれまた重厚な机が鎮座し、老年の男性がドンワーズを待ちわびていたかのように腰を落ち着けている。
「——初めまして。ドンワーズ・ハウ君。こうして直に会うのは初めてだね。改めて自己紹介しよう。コホン、私がこの治安維持部隊の隊長、エヴズヴァ・オズムッペだ。オズと呼んでくれたまえ」
低く腹に響く声は彼の威厳を讃えるようで、その落ち着き払った態度にドンワーズも無意識に背筋が伸びる。
「君の評判は聞いているよ。なんでも適正試験で国家栄誉クラスに匹敵する結果を出したそうじゃないか」
「え……?あ、はい。そう……みたいですね」
「ん? どうした。嬉しくないのか?」
「あぁいえ、そういうわけでは。ただ、その基準がどれくらいのものなのかイマイチ分からなくて……」
「ふむ。…簡単に言うと、私と同レベル程度だということだ」
「は、はぁ………」
「……私が説明しましょう」
そう言いながら入り込んできたのはノック時に返事をした女性だった。
「失礼。私はエヴズヴァ隊長の秘書をしております、ビーマと申します。…貴方が受けられた試験は『パホニ』全土で共通して実施されている職性試験です。試験結果に応じて形式的にランク付けが行われますが、その中でも上位5%の成績を修めた方は国家栄誉のランクに入ります。ドンワーズさんはギリギリそこに届かなったものの、ほぼ国家栄誉のランクに入っているということです」
「うむ。その通りだ。その試験のなかでも、特に情報を扱う分野において秀でた成績を修めているという点を鑑みて、今回は君に情報分析の分野で役に立ってもらおうと考えたのだ」
彼は満足そうにはにかむと、こっちで言うカウン大臣のように蓄えた白髭を撫でる。
「君が別の世界から転移して来ていることは了承済みだ。まぁレアケースだが、問題はない。元々、我々治安維持部隊と同じような職務を全うしていたようだから、きっとここでも大いに実力を発揮できるはずだ。期待しているよ」
厳格そうな顔つきとは裏腹に和やかな声音でドンワーズは送り出される。
期待と不安の中、彼の第二の人生が幕を開けようとしていた——
——————————
これより、ドンワーズの『クヴェルア』での過去編が始まります。是非お付き合いくださいm(_ _"m)
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