第四章 四節 二つの魂、一つの約束

「ルゥナの寿命は十日間……だと……?」


 大神は目を見開き、冷たい汗玉が額に浮かぶのを感じていた。案山子カカシを背負う少女、舞原枝草まいはらしぐさから告げられた言葉に、心臓の鼓動が不規則に加速する。


「そうだよ。製造うまれてからたったの十日間。クローンの吸血鬼には、長く生きる資格が最初から与えられていない。不老不死なのはルゥナ=オリジナルだけ。ルゥナ=サーティーンは、キミがどれだけ意地を張って守ろうとしても、勝手にその手を離れて消えていくんだ」


 嘘だと思いたい。何かの聞き間違いだと信じたい。だが大神の耳は、舞原の口は、しっかりと聞いていた告げていた

 何より、舞原が言葉を誤ったのでなければ、彼女は寿と言った。残りの命が十日間というわけではなく、クローンとして生を受けてから数えて十日間ならば。


「待てよ……じゃあ、ルゥナの……あいつの産まれたのは何日前だ?」

「一週間前だよ。つまり、あの子の余命は今日を入れて三日間。あと三日間だ」


 頭蓋を横から金槌でブン殴られたような衝撃。雪解け水に浸けたように、手足の先が冷えていく感覚。わざわざ繰り返して強調してきた舞原の言葉に、大神の脳が凍結する。

 まるで同情でもするかのように、舞原は目を閉じて軽く首を振った。


「だからボクたちが連れて帰るんだ。ボクたちなら……というより、ボクたちの責任者ならあの子を延命できる。オリジナルのように不老不死、となるかはわからないけど」


 責任者と言うのは、彼女ら《開発部隊デベロッパー》の責任者のことだろう。吸血鬼のクローンを作り出した組織であれば、その命を操ることなど造作もないと言うことか。

 まぁ、なんとも。


「なんとも都合のいい、それでいてムシのいい話だな。命を何だと思ってやがる」

「悪いけどキミと道徳の議論をする気はないよ。都合がよかろうがなんだろうが、ボクたちは事実を伝えに来たんだ。この話を聞いたあの子がどう考えるか……ルゥナ本人の意志の方が重要だと思わない?」


 舞原の言葉が大神に引っかかる。その小骨のような疑問を喉から取り出す。


「さっきから、って言ってるよな。お前以外にも、誰か来てるのか……?」

「あぁ、やっと気付いたの? 意外と呑気なんだね」


 ゆっくりと、疲れたような声色で、しかし毒気の強い言葉で舞原が切り返す。


「ボクはこう言ったんだ。キミとボクだけだ、ってね。でも、、ボクたちだけじゃあない。正確には、ボクたちを含めて四人。今頃あの子のところには、ボクの仲間が同じ話をしに行っているはずさ」

 

 大神は家の方角を見る。嗅覚に神経を集中すると、風に乗って嗅ぎ慣れない匂いが漂ってきた。それは人間の匂いというよりは、理科室に入った時のような強い化学薬品の匂いだった。それに加え、ルゥナが黒血能力ブラックアーツを解放した時の血の匂いも混ざっている。

 舞原はまるで肉体労働を終えた直後のように、ひどく疲れた調子で言葉を漏らす。


「まったく……こんな風にたくさん喋るのは嫌いなんだけどな。本当ならキミたちの家にボクたち二人で訪問して、説明はあの人に任せるはずだったのに。なんでルゥナと別行動とか取っちゃうワケ? 頭が残念なの?」


 その言葉には反応せず、大神の脚は動き出していた。舞原とは反対方向、踵を返して自宅方面へと。

 しかし数歩進んだところで、背後から舞原に声をかけられる。


「彼女の意志を尊重するなら、邪魔しない方がいいと思うけど。それとも、キミの傲慢で引き留めるつもり?」

「その仲間ってのが本当に説明だけをしに行ってるんならいいけどな。お前たちは信用できねぇ」

「危害を加えると思っているの? もう口封じの意味もない状況で、そんなメリットはどこにもないのに?」

 

 大神は足を止める。

 冷静さを欠いているのは自分でもわかった。舞原から告げられた内容に気が動転している。少し考えれば、舞原が言うように今更ルゥナを襲うメリットはないだろう。

 しかし、どうしても嫌な予感が消えてくれない。胸の内を熱くする焦燥感が拭い去れない。


「キミはボクたちを信用できないと言うけど、ボクたちには嘘をつく理由が無いんだよ」


 舞原が呆れたような溜息のあと、諭すように語り始めた。


「第一に、寿命が十日間というところから全て嘘だとしたら、そんな意味のない嘘をつくためだけに来ると思う? クローン吸血鬼は戦闘兵器。用が済んだ後も世話していたらコストがかかる。だから短期間で使い捨てに出来るように寿命が短い。理屈は通っているでしょ?」


 大神は振り返るが、その問いかけには答えない。霧島の時のように、淡々とルゥナのことを捨て駒の道具のように語る舞原に対して、こみ上げる怒りを抑えるので精いっぱいだからだ。

 その感情を知ってか知らずか、舞原は車道に立ち尽くしたまま言葉を続ける。


「第二に、延命するために連れ帰るというのが嘘だとしたら、それにも意味がない。連れて帰るってことは、があるということ。信用しないのはキミの勝手だけど、理解はできたよね?」

の間違いだろ」


 大神の返しに、舞原の眉根がピクリと動いた。


「お前の言葉が片っ端から全部嘘だとは思ってねーよ。だけどお前は、ルゥナを延命させる理由をまだ話してない。一番重要な部分をはぐらかして説明してる、その魂胆が信用ならないって言ってるんだ」

「……なるほど。思ったほどバカじゃないみたいだね。言いくるめられると思っていたことを詫びるよ」


 そっぽを向いて、舌を悪戯っぽく見せる舞原。嘘はついていないが隠していることはあると、そう認めたようだ。


「上層部に悪事がバレて、お前たちは処分を受ける一歩手前にいる。その状況下でルゥナを延命させるから連れて帰らせてくれなんて、ルゥナを交渉のカードとして利用しようとしてるのが見え見えなんだよ。完成した戦闘兵器とでも称して研究の正当性を訴えるハラか? 延命したいのはお前たちの方だろうが!」


 大神の激昂が風を呼ぶ。柔らかな日差しの下を吹き抜ける強風が、唸りを上げて落ち葉や枯れ草を運んでいく。


「正解だよ、大神空也おおがみくうや。ルゥナはボクたち第六室の希望。そして、不死の戦闘兵器として黒幽鬼ファントムに対抗できる、人類の希望でもある。だから死なせるワケにはいかない。このままあの子を、キミに預けておくワケにはいかないんだ」

 

 舞原が改めて大神と正面から向き合う。

 大神の気のせいだろうか。その背に括りつけられた異様な案山子カカシが、その塗り潰された黒い瞳で――嗤った気がした。

 

「このままだとルゥナは死ぬよ、確実に。だったらその後の扱いがどうあれ、生き延びる手段があるならその方がいいじゃあないか。お互いのためを思えばキミの選択は一つだと思うんだけど?」

「あぁ――そうだな。本当に、そうなのかもしれないな」


 大神の言葉に、舞原の病人のような陰りのある表情がわずかに明るくなった。ルゥナを取り戻せるということが、心底嬉しいように。


(ごめんな、ルゥナ……。俺は――)



 **



 時同じくして、大神邸。

 相変わらず玄関前に置いた不思議ソファで足を組んでいる美園生みそのうに、日陰から出られないルゥナは手にしたギロチンを振り下ろせずにいた。

 ルゥナの《血を啜る断頭台ブラッドイーター》は垂直に振り下ろさなければ刑を執行できない。分銅ふんどうのように投擲してもいいが、それでは目の前にいるイカレた科学者の首を刎ねることは出来ず、その耳障りな口を閉じることは叶わないだろう。


「さぁ、どうするかね? ワタシとしても業腹ごうはらなのだよ? 失敗作だと判断したクローンにすがらなければならないとは、天才の名折れかな? キミが研究施設を吹き飛ばしてくれたおかげで、新しいクローンの生産には時間がかかる。キミにとってもワタシにとっても時間が無いということは、よーく理解できたはずだね?」


 ルゥナは鎖を握りしめる手に力を込める。いや、込めるなどと言った段階はとうに超えていた。握りしめすぎて、鎖の連結部分に食い込んだ指と手のひらがヒリヒリするほどだ。皮が剥けても瞬時に再生するが、痛いものは痛い。

 それは己の無力と、伝えられた真実に対しての葛藤。余命が三日間と宣言されただけでなく、延命を選択するにしろしないにしろ、それは事実上のを意味している。


「お前についていけば生きられるけど、クーヤとは離れ離れになる。クーヤのところに残っても、一緒にいられるのはあと少しだけ……」

「ちなみに寿命を迎えた場合、肉体は遺らないようになっている。遺体から他人に情報を盗まれても困るからね? まず脳の神経が焼き切れて、頭蓋骨の中がドロドロのスムージーのように攪拌かくはんされる。そのまま脳幹から繋がる脊髄が一瞬で膨張し、黒血を撒き散らしながら自壊する。お優しいキミの保護者のことだ、大切なキミがミンチになるところなんて見たくないだろうね?」


 寿命を迎えると言っても、どうやら穏やかな安楽死とはいかないらしい。強制的に機能をシャットダウンし、証拠を残さず散る様は、ただの自爆に他ならない。こんな機能が自分の身体に備わっていたのかと思うと、本当に自分が造られた側の生き物なのだと自覚して気分が悪くなる。

 何より、そんな無様な最期を大神には見せたくない。ルゥナはオリジナルの記憶を途中まで引き継いでいる。いくらクローンとは言え、ルゥナには誇り高き吸血鬼と言う種族のプライドがあるのだ。自分を必死に守ってくれた恩人の前で、自分から死んで逝くところなど見せたいはずがない。


「そうだよね……。クーヤのために、わたしは――」


 ――重なるのは二人の記憶。たった二日間に交わした言葉、見つめたその顔、繋いだ手の温もり。

   大神とルゥナ。それぞれの答えは――


「「 断る‼︎ 」」


 それ以外に、あるわけがなかった。


「なっ……⁉︎」

 舞原は明るくなりかけた表情に苦悶を浮かべ、


「ほう……」

 美園生みそのうは大して興味もないといった風に。


「クーヤのところにも仲間が向かってるって言ったよね。同じ話を聞かされてるなら、クーヤだったら同じように回答してるよ」

「ワタシたちの手で離れ離れにされるくらいなら、最期まで共にいたいと、そういうコトかい?」

「クーヤはわたしを守るって約束してくれた。お前たちについて行ったら、わたしから約束を破ることになるから、そんなことはできないよ。あと、理由はもう一つ」

「さして聞く価値があるとは思えないが、後学のために聞かせてもらえるかね?」


 ソファの上で足を組み替え、ひじ掛けに頬杖をつきながら美園生みそのうがルゥナの言葉を待つ。

 風が強くなり始めた。遥か上空に浮かぶ白い雲の流れが速くなり、青い空は徐々に灰色へと……黒へと近づいていく。

 白い少女の背中から、黒い大きな翼が生える。駅で戦った時以来に見せる、吸血鬼の象徴。コートを突き破って光沢のない漆黒の翼が顕現し、長く美しい白い髪を棚引かせる。

 ルゥナのいる場所を中心とし、空に浮かぶ雲が渦を巻くように踊り始める。その厚く黒いカーテンが、憎き太陽の光を遠ざける。

 ついに、玄関から一歩踏み出たルゥナが、その巨大なギロチンを正面に構えた。


「お前たちが気に入らない。お前たちを助けるために帰るなんて、反吐が出るよ」

「……そんな悪い言葉を使う娘には、お説教しないとだね?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る