第10話 黄瀬蓮凪・1-5


「酷い。毎日頑張って配っているのに」

「ンなこと知らねーよ。努力の方向がおかしいっていうか、普通に資源の無駄遣いだろコレ」

「“救世主ゾペナ”のことはいくらけなしてもいい。でも、お母さんを悪く言わないでよっ」

「ゾぺ……なんだそれ。ホント気持ち悪いなお前」


 そんな調子で口喧嘩が勃発ぼっぱつしてしまった。

 思い返してみると、私にもかなり非があるだろう。杏栗ちゃんは乱暴者だったけど、主張はおおむね正しかった。善意を押し付けたお母さんも、それを認められなかった私も、今なら間違っていたと断言できる。

 でも、後悔先に立たず。

 些細ささいいさかいは、もつれてこじれていじめに発展していった。


 毎日のように暴言の集中豪雨だ。「宗教で頭がイっちゃった女」とか、「いるだけで悪影響だから消えろ」とか、その他諸々レパートリー豊富。他のクラスメイトも味方につけ、徹底的に除け者扱いされた。

 私物を隠されるのは日常茶飯事だったし、酷い時は直せないほど完膚かんぷなきまで破壊されていた。もちろん、暴力沙汰になることだってあった。男子達に囲まれての袋叩きはさすがに堪えた。体中あざだらけになった覚えがある。

 次第に抵抗する気力は消え失せていった。いじめられても不器用に笑い、辛さも悔しさも誤魔化すばかりだ。多分、それが余計火に油を注いだのだろう。杏栗ちゃんのいじめはどんどん苛烈になっていった。


 それなのに、担任の先生は何もしてくれないまま。それどころか、学校全体も教育委員会も一切動かず。単なるいじめと違って、大変面倒臭い家庭の問題が絡むせいだろう。両親に「学校でいじめられるから変な宗教を辞めて下さい」なんて言えるはずがない。ハイリスクノーリターン。見て見ぬ振りが一番という判断も頷けてしまう。

 結局、六年生半ばで杏栗ちゃんが引っ越し、いじめはあっけなく幕を下ろした。けれど、それから卒業式までずっと、クラスメイト達から無視され続けた。もちろん、担任の先生もれ物扱いで我関せず。誰からも、謝罪の言葉一つなかった。





 溜め込む一方だった気持ちを吐き出したおかげか。胸中は幾分晴れやかだ。

 とはいえ、ドン引きは免れない。改めて言語化してみると、私の家も生活も相当だ。皆に忌避されるのも仕方ないと、つい自虐に走りたくなる。

 果たして、朝音ちゃんはどう受け止めたのだろう。

 おっかなびっくり顔を上げると、真っ直ぐこちらに注がれる視線とぶつかった。その目尻からはぼろぼろと、しずくが留まることなく溢れている。時折鼻もすすっており、顔面はぐしょぐしょに濡れていた。


「ぐずっ……助けてくれる人はいなかったの?」


 朝音ちゃんが涙声で聞いてくる。


「全然だよ。みんな関わりたくないみたいだったから」

「親戚の人とか、近所の人も?」

「どっちも駄目だった」


 以前、親戚の人が脱会のために奔走ほんそうしてくれたらしい。だけど、作戦の全てが失敗した。それどころか、お父さんとお母さんは「“宇宙神ミャペン”の手先は帰れ」と逆上。余計教団の教えに従うようになり、親戚一同とは絶縁状態になった。

 近所の助けも望めない。むしろ、我が家は盛大に敵視されている。主な原因はお母さんだ。杏栗ちゃんの家同様しつこく布教に回ったらしく、私含めて黄瀬の者とは口を利かぬよう、村八分扱いになってしまった。


「愚痴を聞いてくれてありがとう。でも、これ以上私と関わらない方がいいと思う」


 裏腹だ。

 本当は一人で抱えたくない。

 でも、一緒にいたら宗教仲間の烙印らくいんを押されてしまう。無理して付き合う義理はないはずだ。

 それなのに朝音ちゃんは、


「ううん。関わらせてもらうから」


 私の本当の望みをみ取ってくれた。


「あたしも、黄瀬さんもおんなじだよ。二人で一緒に乗り越えればいい。もう、一人で悩む必要ないんだから」

「でも、私は」

「いいの。あたし達、友達でしょ?」


 その言葉に、胸の奥で何かが弾けた。

 嗚咽おえつ混じりで声が出ず、感情の激流で頬を濡らすばかりだ。答えを伝えたいのに喉元でつっかえてしまう。

 そんな私を、朝音ちゃんは優しく抱きしめてくれる。

 後はもう、我慢なんてできなかった。

 彼女の胸に顔をうずめ、ただひたすらに泣き続けるしかなかった。

 弱い者同士、傷を舐め合っているだけなのかもしれない。

 何も解決していないし、その場しのぎの安心なのかもしれない。

 それでも。

 そうだとしても。

 初めてできた友達が嬉しくて、頼もしくて。

 体の芯がじんわりと温かくなった。

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