第19話 静かな人ほど、油断ならない

放課後の校舎は、静かすぎる。

昼間はあれだけ人の気配があるのに、放課後になると急に別の建物みたいになる。

足音が響くし、ちょっとした咳払いでも目立つ。

結衣は、この時間帯があまり得意じゃなかった。

静かになると、なぜか事件が起きやすい。

結菜が急に感情を爆発させたり、

澪が意味不明な分析を始めたり、

先輩が「空気読めてる?」と言いながら空気を破壊してきたり。

――今日は、というより、今日も明日も明後日も!何も起きませんように。

そう思いながら昇降口へ向かっていた、その時だった。

「結衣」

柔らかい口調。

振り向くと神崎玲がいた。

相変わらず、目立つ人だ。

目立つからこそ、目線を逸らしたくなる。


「神崎先輩」


「今、帰り?」

神崎先輩の声は落ち着いていて、温度が低すぎない。

「はい。今日は特に用事もないので」

「そっか」

それだけ。

なのに、なぜか足が止まる。

神崎の「そっか」は、会話を終わらせる言葉でもあり、始める言葉でもある。

「何かありました?」

結衣の方から聞いてしまった。

神崎先輩は一瞬考えてから言う。

「少し、話せたらと思って」

少し。

その言い方はずるい。

「少しなら」

結衣がそう答えると、神崎先輩は「ありがとう」とも言わず、「じゃあ」とだけ言って歩き出した。

校舎を出て、校門近くのベンチへ向かう。

誰も座っていない。放課後の特等席だ。

二人で腰を下ろす。

距離は、絶妙。

近くない。遠くもない。

結衣が「詰められてない」と思える位置。

しばらく、沈黙。

結衣は思う。

この沈黙、他の人なら三秒で破る。

結菜なら一秒。

澪なら沈黙の理由を説明し始める。

碧先輩なら「この空気、重くない?」と言う。

神崎先輩は、破らない。

結衣の方が耐えきれなくなった。

「……神崎先輩、静かですね」

言ってから気づく。

何を当たり前のことを言っているんだろう。

神崎先輩は少しだけ首を傾けた。

「いつもだけど」

「ですよね」

結衣は素直に頷いた。

「ただ、今日は特に静かだなと思って」

神崎先輩は少し考える。

「結衣が、落ち着いてない」

一言で見抜かれた。

「……分かります?」

「分かる」

即答。

結衣は思わず苦笑した。

「神崎さん、観察力高すぎません?」

「高くはない」

神崎先輩は淡々と続ける。

「結衣が、普段より瞬きが多い」

「視線が落ち着かない」

「あと」

そこで一拍。

「帰るのが、早すぎる」

結衣は思わず言った。

「そこまで見られてるんですか」

神崎先輩は「うん」と短く返す。

結衣は背もたれに寄りかかった。

「……それ、ちょっと恥ずかしいです」

「そう?」

「そうです」

神崎先輩は謝らない。

見ていることを、悪いとも言わない。

ただ、事実として言う。

そこが神崎らしい。

「最近」

神崎先輩が言った。

「疲れてる?」

結衣は少し考える。

「……疲れてる、というより」

言葉を探す。

「日常が、渋滞してます」

神崎先輩は少しだけ目を細めた。

「渋滞」

「はい。感情も予定も、人も」

「前に進みたいのに、止まったり、急に割り込まれたり」

言っていて、自分でも分かる。

これは完全に愚痴だ。

神崎先輩は「そっか」とだけ言った。

それだけなのに、結衣は少し楽になる。

話をまとめなくていい。

オチをつけなくていい。

「神崎先輩は」

結衣は聞く。

「こういう時、どうしますか」

神崎先輩は少し考えるそぶりをし、

「私は」

短く前置きして、

「何もしない」

結衣は目を瞬かせた。

「……何もしない、ですか」

「うん」

神崎先輩は頷く。

「動くと、余計に絡まることがある」

「絡まったままでも、時間が解くことはある」

結衣は思わず笑ってしまった。

「すごく、神崎先輩っぽい答えですね」

「そう?」

「はい。消極的なのに、楽観的」

神崎先輩は否定しない。

「楽観してないと、待てない」

結衣は納得した。

「……神崎さんって」

結衣は少しだけ声を落とす。

「不思議です」

「不思議?」

「はい。何もしないのに、ちゃんとそばにいる」

神崎先輩は結衣を見る。

「いるだけでいい時もある」

結衣は、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。

――が。

同時に、別の感情も湧く。

(この人、地味にずるい)

口には出さない。

でも、内心ではしっかり突っ込む。

「……神崎先輩」

「なに」

「神崎先輩、私のこと、放っておかないですよね」

神崎先輩は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに元の顔に戻り、

「放ってはおかない」

「でも、掴みもしない」

結衣は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

「絶妙すぎません?」

「そう?」

「そうです。すごく」

結衣は小さく笑った。

「神崎先輩と話すと、気が抜けます」

神崎先輩は少し視線を逸らした。

「それなら、よかった」

その言い方が淡々としていて、余計に可笑しい。

「……神崎先輩」

結衣はベンチから立ち上がる。

「今日は、ありがとうございました」

「こちらこそ」

神崎先輩も立ち上がる。

「結衣」

帰ろうとしたところで、呼ばれる。

「無理は、してない?」

結衣は少し考えてから答えた。

「……たまに」

神崎先輩は頷く。

「それなら」

一拍置いて、

「たまに、休めばいい」

結衣は思わず言った。

「それ、すごく普通のこと言ってません?」

「普通が一番難しい」

真顔で言われて、結衣は笑ってしまった。

「確かに」

帰り道、結衣は一人で歩きながら思う。

結菜は騒がしくて、

澪は理屈っぽくて、

先輩は騒がしくて、

沙耶は優しすぎて、

神崎先輩、静かなのに、じわじわくる。

派手じゃない。

でも、確実に効いてくる。

「……ほんと、油断ならない人だな」

そう呟いて、結衣は少しだけ肩の力を抜いた。

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