裏切《リベリオン》⑤:奇襲

 気が付けば昼を過ぎていた。

 ジンとミシェルは食事のため近くの飲食店レストランへ向かう。


「……むぅ」


 ミシェルはこういう店に慣れていないのか、メニューとにらめっこしている。


(貴族然として無いけど、ミシェルさんもそうなんだよな)


 彼女の生家『ヘルゲイト』家はフサルク国の貴族の中でも歴史が深い。

 その始まりはこの国が誕生して間もない頃。ヘルゲイト家の始祖は『使役テイム』の魔法で数多くの動物を使い魔として使役し、誕生して間もないフサルク国に多くの勝利をもたらした……と、歴史にそこまで詳しくないジンが知っているのはこの程度である。


「……むむむ」


 ミシェルはメニューのページを行ったり来たり、もしかすると優柔不断なのかもしれない。

 ジンはその様子を微笑ましく見つつも内心は穏やかではなかった。


(もしミシェルさんの感じ取っていたパーシアス団長の本音が『落胤』の思想だとしたら……)


 パーシアスがこの国の平和主義に反感を抱いているのは間違いがない。

 確かにジンも過度な挑発行為に対しては強く出るべきだと考えたこともある。

 守る事しかしないから舐められるのだ、と。

 痛い目に遭わせないから調子に乗って何度も挑発してくるのだ、と。

 だがその線引きは難しい。どこまでやられたらやり返せばいいのか、本当にやり返してもよかったのか。

 だからこその専守防衛なのだろう。

 数百年に渡る戦争を終結させた現国王はそのことを十分に理解し、今の法を制定したのだ。

 宣戦布告を禁じ、交戦権を放棄し、専守防衛に徹する。


(団長からの進言でも陛下は聞き入れてくれない。現場の声を無視し続けられて鬱憤が溜まってる)


 強硬手段、国王を排除しこの国の法を変える――そう望んでいてもおかしくはないかもしれない。


(でもパーシアス団長は守りに重きを置いてるワケだし……俺の考えすぎ、だよな)


 団長という職にありながら国王に不満を抱いている。

 大っぴらにしたくない本音と言われても納得は行く。

 決して、決して『落胤』の思想に賛同しているという事は無い……ハズだ。


「……ジンさん」


 気が付くとミシェルがこちらを見つめていた。

 メニューで口元を隠しつつ、ちら、と視線が向く。


「信じたい気持ちはわかるのです。でも思い込みは良くないのですよ」

「……本当に何でもお見通しだね」


 図星を突かれたジンは思わず苦笑してしまった。

 記者の武器は言葉だ。

 時に嘘を真実に変え、真実を嘘にしてしまう諸刃の剣。

 だからこそ事実を正しく見極めなくてはならない。


「……多分、パーシアス団長はこの国の政治に――国王陛下に不満を抱いている。それってつまりさ」

「『落胤』の思想に賛同しているかもしれない。ジンさんはそうお考えなのですね」


 ミシェルはジンの考えをくみ取って先に答えてくれる。

 今はそれがありがたかった。

 もし自分の言葉にすれば、それが真実になってしまいそうで恐ろしかったのだ。


「まあ、考えすぎかもしれないよね。騎士団の団長って言ったって全員が忠誠心が高いわけじゃないだろうしさ」

「ですがこう考えることもできるのです――自制してなお、その気持ちを抑えることができなくなっている」


 もはや納得せざるを得なかった。

 短い付き合いの理解よりもよっぽど理屈が通っている。


「ちょっとショックだな……国を護りたいって気持ち、あれって建前だったのかな」

「いいえ、国を護りたいという気持ちは嘘ではないのです。ですが……パーシアス団長さんは『落胤』の思想が国を護ることにつながると、そう考えているのかもしれないです」


 パーシアスは昨日、守るためには時に攻めに転ずる必要があると語っていた。

 現国王が決して許さない反撃、敗走した敵への追撃。

 くすぶる火種を鎮火させることはできるかもしれないが、同時に新たな火種を生みかねない。


(目的を持った人間の選択肢は絞られてくる……団長は目的を持ってしまったせいで選択肢が見えてない、のか……?)


 素人のジンでさえ今の体制が崩れたら国が分裂するのではないかと感じている。

 パーシアスがそのリスクを理解できていないとは考え難い。


「ねえ、ミシェルさん――ッ」


 ――“戦え”


 突如、イフリートの声が響く。

 同時に飲食店レストランの窓に一羽のカラスが止まる。


「ジンさん大変なのですよ」

「魔人が……出たのか?」


 今から言おうとしていたことを先回りされミシェルは驚き目を見開いている。


「ええ……特法課の拠点が、襲われているのですよ」


 聞くや否やジンは飛び出した。






――――


 ――警報が鳴り響いている。


「クソッ……」


 火の手が上がり煙が立ち込める室内。

 アッシュはひしゃげたデスクの裏に身を隠しながら状況を整理する。


(部外者からしたら騎士団の訓練所……偶然にしたら出来過ぎてる)


 ここまで逃げてこられたのは単純に運が良かったからだ。

 捜査資料を受け取った帰り。思考中は片づけを放棄するアッシュの悪癖のおかげか、適当に放り捨てていた紙で相手が足を滑らせていなければ今頃死んでいたはずだ。


「おーい! 隠れてないで出ておいで~! にゃははは!」


 人をおちょくるような可愛らしい声が聞こえてくる。


(しかも向こうは明らかに俺を狙ってる……無差別に襲ってきたわけじゃなさそうだな)


 恐らく向こうはアッシュの位置を把握しながらあえて泳がせている。

 何かを待っているのだろうか? まるで暇つぶしでもしているかのような気楽さを感じた。

 彼は少しだけ頭を出して相手の様子を窺う。

 獣人ビースト――恐らく敵のベースとなった魔族はそれだろう。

 全身は真っ白な毛で覆われ、顔つきはどこかトラを思わせる。真っ赤な瞳はいやらしく細められていた。


(向こうが全力じゃないなら分がある……ミシェルか、他の騎士団の奴が援軍に来るまで粘れば勝機はある)


 アッシュは小さく息を吐くと魔法結晶のブレスレットを装着。

 すぐさま身体強化の魔法を発動し飛び出す。


「おお! 真っ向勝負?」


 獣人ビーストの女は挑発的に笑うとわずかに身をかがめ――跳ぶ。

 空気の爆ぜる音。アッシュは反射的に身をかがめ、放たれたラリアットを躱す。当たれば確実に胴と首が泣き別れしていただろう。

 すぐさま振り返り反撃カウンターを当てたいところだが一筋縄ではいかない。

 獣人ビーストの女は空中でくるりと前転し体の向きを転換、空を蹴り再びアッシュへ突撃する。


「ッ!」


 アッシュは反射的にの攻撃を防ぐ。

 愚直に突進するかに見せかけ直前で方向転換していたのだ。


「やばっ」


 勢いを殺せば強化した腕力で十分に拮抗できる。

 足を鷲掴みされ自慢の機動力を封じられる獣人ビーストの女。


「……なーんちゃって♡」

「ウ……ッ!?」


 だが獣人ビーストの女は体を大きくひねる。アッシュは踏ん張ろうとするも体を持っていかれ天地が返ってしまう。

 咄嗟に手を離し両手で着地、そのまま足を開き回転させるようにして体勢を整える。


「ッ……」


 アッシュは心臓が搾り上げられるような感覚に襲われ顔を顰める。

 魔力切れの兆候が出始めていた。

 如何に多種多様な魔法が使えると言っても彼自身の魔力は人並み程度しかない。


「……禁忌」

「ダメー!」


 獣人ビーストの女は禁忌魔法を使おうとしたアッシュの出鼻をくじく。

 大抵の魔法を詠唱無しで使えるアッシュだったが、禁忌魔法だけは詠唱だけでなく使用許可が必要となる。

 口頭で行われるそれは決して省略ができない手順プロセス、本来ならば保管庫の最奥で眠るべきものを使用するのだから当然である。

 だが戦闘においては煩わしい制約でしかない。


「にゃははは! 目に見えた強化なんてさせるわけないでしょ?」

「そんなに怖いかよ……!」


 獣人ビーストの身体能力は人間を含めた全種族の中で一番である。

 純粋な体力勝負では他の追随を許さず、その五感は体を流れる魔力をも察知し魔法が発動するよりも前に決着をつけることができる。


(こいつ……ふざけた物言いのクセに意外と切れるな)


 獣人ビーストの女は馬鹿っぽい雰囲気を醸し出しながらも抜け目なくアッシュの行動を観察しており、自分の優位性が崩れぬように立ち回っている。


(このまま戦ってもジリ貧……なら――)


「“烈火”・“穿孔する礫”・“爆ぜる雨垂”」

「にゃは♪ 『烈火武装ヴルカン弾丸ストライク』でしょ? せいぜいよく狙ってみなよ」


 アッシュの詠唱から獣人ビーストの女は発動しようとしている魔法が『烈火武装ヴルカン弾丸ストライク』――炎の弾丸であると看破し身をかがめる。

 基本的な魔法でありながら高火力で当たればひとたまりもない。だが動きは直線的で獣人ビーストの身体能力であれば見てから余裕で躱すことができる。


「『基礎ベイシス発光フラッシュ』」

「ッ!?」


 しかし放たれた魔法は全く異なるものだった。

 アッシュの手のひらから眩い光が放たれる。魔法を躱すため彼を凝視していた獣人ビーストの女は目をやられてしまい一時的に視界を失う。

 だが反響音を聞き取り周囲の状況を把握することはできるが、咄嗟にそれを行うのは難しい。まして、予想だにしていないことが起きて頭は混乱している。


「ッ“禁忌魔法使用許可申請”!!」

「しま――っ」


 魔法の詠唱そのものは意味を持たない。

 紡がれる合言葉キーワードはルーティーンであり、魔法に合わせた魔力を供給する感覚を補助するための物でしかない。

 だからこそ詠唱を省略することが可能であり、今しがたアッシュがやってみせたように魔法の詠唱で偽装ブラフを仕掛けることができるのだ。


「『灰塵機構アッシュギア駆動イグニッション』」


 上がっていた息が徐々に落ち着いていく。

 アッシュの生み出す無限の魔力は彼の体力を回復させる。


「……『偽装詠唱』とでも名付けるか」

「ッありえない……そんなこと、できるわけ」

「そう思ってる内は一生無理だろうな」


 挑発的な言葉は獣人ビーストの女の神経を逆撫でした。


「っざけるな!」


 タンっ! と地を蹴る音が響く。

 一足で最高速に加速しアッシュの視界から消え失せる。


「『時空制御クロノスタシア超加速ディープアクセル』」

「え……っ」


 極限まで研ぎ澄まされた感覚は時の流れを遅く感じさせる。

 獣人ビーストの女は自分と同じ速度について来ているアッシュに驚きを隠せない。


「なんで……その魔法は」

「ほぉ……知ってるのか? お前、意外と勉強してるんだな」


 アッシュの使った魔法は『時空制御クロノスタシア超加速ディープアクセル』――かつて『時を止める魔法』として話題となった魔法だ。

 その種は非常に単純で、傍から見ると時を止めて行動していると錯覚するほどの超スピードを出しているに過ぎない。

 確かに効果は強力だが魔力の消費が激しく使い勝手が悪いため歴史の片隅で忘れ去られていた。


「バカに……するなっ!」


 書類が舞い上がる。

 二人の一挙手一投足ごとに突風が吹き荒れ室内が荒れ狂う。

 アッシュの右ジャブを獣人ビーストの女はスウェーで躱す。 

 続けざまに左のフックを放つ。みぞおちに手痛い一撃を喰らい獣人ビーストの女は苦悶の表情を浮かべる。

 彼女はわざとらしく苦しんで見せるも、アッシュは紳士的な人物ではなかった。

 これ幸いと大きく半身をひねり――回し蹴り。勢いそのまま更に回転してもう一発。


「あぅ――っ」


 獣人ビーストの女は蹴り飛ばされ転がっていき――突如アッシュに胸倉を掴まれて困惑する。

 彼女は自分が魔人の姿ではなく人の姿に戻っていることに気づく。獣人ビーストの感覚が失われアッシュの動きを捕えることができなくなったのだ。


「ま……まって」

「悪いな。俺は気が短いんだ――!」


 彼は獣人ビーストの女を容赦なく殴り飛ばした。


「ふぅ」


 意識を失った獣人ビーストの女を放り捨て、アッシュは魔法を停止。


「――むぅ……ちと遅かったか」

「! 遅ぇよ……ったく」


 戦闘が終わってから現れたパーシアスにアッシュは小さくため息をつく。


「すまんすまん……アイギスを取りに行っていたら時間がかかってしまってな」

「……?」


 小さな違和感。

 襲撃を受けてからそんなに時間が経ったのだろうか。

 訓練所に詰めていたとして、そこから第三騎士団の武器庫へ。魔法武器の持ち出し許可を得てから取り出し、再び戻る。

 武器庫と訓練所は遠くないとはいえ、あまりに早すぎる。

 まるであらかじめ襲撃の事を知っていたかのような。


「ッ――禁忌」

「セイっ!」


 アッシュは咄嗟に禁忌魔法を発動しようとするも、パーシアスに喉輪を打たれ声を詰まらせた。


「流石であるな――だが気づくのが遅いのだ」


 パーシアスはアッシュのブレスレットを奪い取ると、不敵な笑いを浮かべた。

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