試練《チョイス》

試練《チョイス》①:志願者

 思えばこれまでの人生、窮地に陥った時には必ず幸運が舞い込んできたものだ。

 投資家のゲイツは屋敷の台所で感慨にふけっていた。


「――ゴホッ……うぅ……」


 彼は所謂不治の病で医者からは余命幾ばくもないと宣告を受けていた。

 現代の医学ではどうしようもない――医者は匙を投げ彼に余生を充実させるための延命治療を提案した。


「――ウッ……ゴホッ」


 せき込めば肺が痛み、口の中が鉄の臭いに支配される。

 もう残された時間は少ない。


「――どうしたの? 一人でキッチンだなんて」


 調理台の前で一人佇んでいたゲイツを心配するのは彼の妻、アリシア。


「……ああ。心配しないでくれ……ちょっと、喉が渇いて」

「っ……あなた、それ」


 彼女は調理台の上に置かれたコップを見て目を見開く。

 中身は赤黒い――恐らく人間の血液。


「まさか――あの怪しい連中の」

「アリシア、彼らは決して怪しくはないさ。私に――望みをくれたんだ」


 不気味な笑顔。

 ゲイツは普段と同じ調子で微笑んだのだが、アリシアはそれに恐怖を覚えた。

 口角からは鋭い牙が覗いている――明らかに様子がおかしい。


「聞いてくれアリシア。私の病は――」

「いやっ! 近づかないで……!」


 普段と様子の違う夫に恐怖したアリシアはゆっくりと後ずさり、シンク脇にあった包丁を取り構える。

 ゲイツは拒絶され悲しみに襲われるも、愛する人を説得しようとゆっくりと歩み寄る。


「いやぁっ!」


 錯乱し包丁を振り回すアリシア。ゲイツはどうにか包丁を取り上げようとするも、彼女は不規則で予想のつかない動きをする。

 その刃先がわずかに彼の胸を掠め、ついカッとなってしまう。


「アリシア、聞いてくれッ!」


 軽く――軽く振り払う程度に腕を振るった。

 彼女を押し倒そうと、包丁を手放させ組み伏せようとしただけだった。


「――――はうッ」


 乾いた音が響いた。

 それは骨が折れる音だ。アリシアの右胸からは折れた肋骨が飛び出していた。


「……えっ?」


 彼は信じられないものを見る目で自分の手を見つめる。

 右手は妻の血で染まっていた。


「……どうして」


 アリシアはふらふらとよろめき、シンクの隣にある柱にもたれかかる。折れた骨が肺に突き刺さったのか、息をするのも辛そうだ。


「…………あいして、たのに」

「ま、待ってくれ……こんな、つもりじゃ」


 弁明しようとしたゲイツだったが、柱の壁が動き瀕死のアリシアを飲み込む。

 そういえば、この屋敷には隠し通路がある――内見した時の記憶を思い出しながら、彼は崩れ落ちた。


「こんな……こんな――ッ」


 意図せず最愛の人を死に追いやってしまい、彼は一人慟哭するのだった。

 






――――


 ジンが“魔鎧”を装着してから一か月の時が経とうとしていた。


「ジンさん。くれぐれも気を付けるのですよ」

「わかってるって」


 ミシェルの過保護な護衛は未だ継続しており、今日もまた彼女はジンと共に行動をしていた。


「まだジンさんは正式に認められていないのです。今回の面会は特別に許可をもらっての事なのですよ」

「……ああ」


 やってきたのは魔法警察特殊魔法犯罪捜査課――ミシェル曰く、長いので『特法課』と呼ばれているらしい――の拠点。


「しかし、騎士団の訓練所の地下か……所属は魔法警察じゃないのか?」


 特法課は公にはされていない極秘の部署である。

 だが拠点が騎士団に関連した施設の地下にあるのはいささか不思議な事だ。


「名前こそ魔法警察ですが、実態は騎士団の特殊部隊のようなものなのですよ」


 そのちぐはぐさの正体をジンは察する。

 もし魔人関係の事件が起きたとして、騎士団の人間が捜査をしていれば不審がられるだろう。

 何か良くないことが起きるのではないか?

 疑心暗鬼はありもしない噂を生むものである。

 だが魔法警察の人間の捜査ならば不審ではない。よくある事件の捜査なのだと、自然に受け入れられるのだろう。


「騎士団を目の敵にしてる人もいるし、その方が都合がいいんだな」


 雑談をしながら近くに降りていき、捕えた魔人を収監する区画へたどり着く。


『誰が来たかと思えば』


 部屋の内はガラスで仕切られており、その向こうには粗末な囚人服を身に纏ったエリカがいた。

 ケルベロスの瘴気でボロボロになっていた彼女の足は元に戻っており、ジンはホッと一息つく。


『何の用かな? あたし、今くつろいでたところなんだけど?』


 彼女は皮肉たっぷりに冷笑すると、ゆっくりガラスに近づく。


「へえ。脱獄する気も失せるくらい快適って?」

『……ふん』


 事前に収容部屋の仕掛けを聞いていたジンはわざとらしく問いかける。

 このガラスの向こう側の部屋は魔力を吸収する特殊な素材で作られていた。

 かつて鎧や盾に使われていた技術が、今は囚人を捕えるために使われているのである。


『――ッッ』


 エリカは魔人の姿へ変身しようとするも、何も起きる兆しはない。収容部屋は魔人の変身能力も奪うようだった。

 傍から見ればただ力んでいるだけのように見える。


「どうした? 腹でも痛いのか?」

『ッあんた、わかってて言ってんでしょ!?』


 彼女は悔しそうに地団駄を踏む。

 ささやかだがこれで苦しめられた復讐は果たせただろう。

 ジンは気を引き締め真剣な表情を作る。


「……あんたの取材、させてくれないか?」

『あーやだやだ。取り調べの次は取材? もう喉がらっがらなんですけど?』


 エリカは対話を拒否するように背を向け――


「……俺は子供の頃、エルフを見たことがある」

『ッ!』


 ジンの言葉を聞いた瞬間、体が一回転しそうな勢いで振り返った。


『……今、なんて?』

「あんた、俺に言ったよな。『エルフが生きている、って言ったら信じるか』って」


 彼女はゆっくりとガラスに向けて歩み寄り、勢いよくそこへ額をぶつける。

 傍らで見守っていたミシェルは驚き、牽制するように一歩前に出た。


『何? 信じるって言ったらあたしを絆せると思ってるの?』

「別にあんたを改心させようなんて思ってもないさ」


 どうやらあの時の言葉はジンの願望が反映された物ではなかったようだ。

 ホッ、と胸をなでおろしつつ彼はメッセンジャーバッグから手帳とペンを取り出す。


「俺は真実を知りたいだけだ。あんたらがどうやって魔族の因子を手に入れてるのか……もし『魔族の生き残り』がいて、そいつらからとってるんだとしたら、俺はそのことを知りたい」


 魔族の生き残りがいたとして、革命を企む組織――『落胤』が人間と同様に彼らを捕えているのだとしたら、それはれっきとした『魔族が絶滅していない』証拠である。

 ジンは逸る気持ちを抑え、冷静さを保つよう努めながら語り掛ける。


『……そっかぁ……君もあたしと同じ、なんだ』


 エリカはガラスの向こうで嬉しそうに笑っている。

 額を押し付けたまま、不気味な微笑を浮かべていた。


『あたしは革命には興味ないの。でも今のままじゃ……平和ボケしたこの国じゃ、奴らと戦えない。そう思ったからこの力を受け入れたの』


 それは半ば、ジンの言葉を肯定しているようにも聞こえた。


『ちなみに、因子の出所が知りたいならその子に聞いたらいいんじゃない? 少なくとも、君の求めてる答えとは違うだろうけど』

「待てよ……それって」


 少なくとも落胤は生きた魔族を捕えたという事ではないようだ。

 だが確かにエリカは魔族と――生きているエルフと会ったことがある。


『ここから出してくれれば、教えてあげてもいいけど?』

「……ジンさん、これ以上は無駄なのです」


 思わずジンはエリカの脱獄を手助けしたくなってしまったが、ミシェルに制止され我に返る。

 その言葉が真実である確証はない。

 ジンを騙し、逃げるための嘘かもしれないのだ。


「……ああ」


 彼は収容部屋を出る間際、エリカの方を振り返る。

 彼女はいやらしい笑みを浮かべながら、小馬鹿にするように手を振っていた。




 ジンが今日、特法課の拠点へやってきたのはエリカとの面会だけが目的ではない。


「……後にするんだったな」


 “魔鎧”イフリートの装着者としての資格を示すため、そのデモンストレーションがあるのである。

 というのも、彼が装着者として特法課の一員となることを推しているのは特法課の課長、イオナだけだったのだ。

 上層部――特法課の事を知る権力者たちは反対しているのだという。


(そりゃ、俺は何の変哲もない記者だけどさ)


 騎士団の総司令、魔法警察本部長――二つの組織の長に実力を示さなくてはならない。

 万が一、暴走してしまえば話は白紙である。

 エリカのせいで集中力は落ちている。どうにも失敗する気がしてならなかった。


「――隣、失礼するよ」

「あ、はい」


 中庭のベンチで黄昏ていたジンに一人の青年が声をかける。

 騎士団の団員なのだろう、年頃は同じくらいだろうが肉体の引き締まり具合は天と地ほどの差がある。

 彼の整った顔の左ほおには大きな刀傷があったが、それも武勲の一つとして誇れることだろう。


「僕はリギル、第三騎士団第七小隊副隊長を務めている。君は“魔鎧”イフリートの装着者候補のジン、かな?」

「……ええ、まあ」


 青年――リギルはさわやかな笑顔で手を差し出す。

 ジンは怪訝な気持ちになりながら、その手を取り軽く握手をする。


「災難だ。偶然、あれを拾ってしまったばかりに」


 成程、リギルは特法課に関わりのある団員なのだろう。

 以前から所属しているにも関わらず、ポッと出のジンが装着者候補となっているのが気に入らないのだ。


「……後悔は、してないっすよ。おかげでたどり着けた真実もある」


 見上げれば清々しい青空が広がっていた。


「強いな、君は。僕は今も震えが止まらない」


 リギルは頬の刀傷をさすりながら苦笑している。

 どうやらジンを妬んでいる、という事ではなさそうだった。


「あれを装着した『志願者』の末路、僕はそれを見た」

「! ……どう、なったんだ?」


 成程、ジン以外の装着者が見つかれば彼は不要な存在である。

 素人に戦わせたくない上層部としては志願者を募るのは当然か。


「……君が五体満足であること、それを不思議に思う」

「死んだ、のか……?」


 ジンは思わず右腕に触れる。

 まだ包帯を巻かれた状態だったが、感覚は戻ってきていた。

 もしかするとこの腕は無くなっていたのかもしれない。リギルの語る『志願者』の末路を思い浮かべ背筋が凍った。


「君は怖くないか? もう一度あれを装着したら命はないかもしれない。それなのに君は志願すると?」

「……怖くないと言えば、嘘っすけど」


『――私、待ってるから』


「俺と同じような目に遭う人を減らせるなら、減らせるかもしれないなら、命を懸けてもいいかなって」


 ジンは照れくさそうに頭を掻きながら、愛想笑いを浮かべる。


「それに、俺はまだ真実を知れてない。あの日、ベルを――幼馴染を攫ったのが魔人なのか、それとも魔族の生き残りなのか。多分、それは戦わなきゃ知れないっすから」

「……君は、強いな」


 リギルは刀傷を触るのをやめ、空を見上げた。


「……自分の為でなく、誰かのために……成程、それが君の」

「騎士団の人の前で恥ずかしいっすけど。国のために戦える人たちの前でおこがましい」

「いいや。志に上下などない」


 そしてゆっくり立ち上がると、大きく伸びをする。

 気持ちの整理がついたのか、清々しい表情だった。


「ありがとう。君と話せてよかった」

「……そりゃどうも」


 ジンは軽く会釈をしながら再び差し出されたリギルの右手を掴む。

 今度は固い握手を交わすのだった。






――――


 絶叫。

 目のくらむような眩い光。


「おいッ! 早く止めろよッ!!」


 ガラスの向こうでは“魔鎧”イフリートの装着が試みられていた。


「……ダメだ。終わるまで待ってろ」


 ジンがどれだけ叫んでも意見が聞き入れられることはない。

 鎧の右腕は装着者を拒むように、光を放っている。

 触れているだけで耐え難い激痛が走っているのだろう。


「見殺しにする気か!? このままじゃ――」


 まばゆい光に包まれながらも、特徴的な左ほおの刀傷は見間違えようがない。

 中庭で語らった青年――リギル。

 彼は今まさに、“魔鎧”の装着者となるべく試練に挑んでいた。

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