第20話 レッドドラゴンを無傷で深層に返す高橋

「はあ、はあ……もう八時半か。くそ、早く歩いたつもりなのに、思ったより時間かかっちまった」


 10階層でダンジョンエレベーターを降りた後は速足で歩き続け、ついに高橋は11階層に発生したワームホールの前にたどり着いた。

 昨日の報告ではワームホールはバスケットボールくらいの大きさになったと言っていたが、今はそれよりももう少しだけ縮小しているように見える。

 周りには結界システムよりさらに頑丈な魔法障壁が張り巡らされていて、高橋ではとても破壊できない。

 これなら70階層のモンスターでもレッドドラゴン以外は通過できないだろう。


”高橋、レッドドラゴンを道連れに玉砕するんじゃないのか?”

”なのにどうしてこんなところに来たんだ?”


「ちょっとした作戦変更だ。ところで昨日ことで、市役所に泊まり込んでいる職員さんも見てますよね? 県からの通達はまだ来てないですよね?」


”まだ来てないです”


(よし、まだ時間があるな。これでなんとか準備ができる)


 大きなリュックを開き、必要なものを取り出そうとした時、背後から微かな物音と熱を感じた。

 距離は遠いようだが、複数の足音がバタバタと聞こえてくる。

 リュックから氷結スプレーと金づちを取り出し、足音の主が現れるのを慎重に待った。


”今回は氷結スプレーか。どんなせこい事をするんだ?”

”すいません、高橋市長そちらの金づち、魔力を帯びてないようですが大丈夫なんですか?”

”そうです。それに氷結スプレーを探索で使うなんて聞いたことがありません”

”そうか、お前達は市長になって高橋を知った新参なんだな”

”高橋はいつも日用品を使って、せこくて、地味な戦い方をするんだよ”


 モンスターが見える範囲まで近づいてきた。あれはゴブリン。この11階層ではよく見る雑魚モンスターだ。

 だが、レッドドラゴンの持つ強力な火属性の魔力に影響されて、通常の個体よりも凶暴化している。


(数は5匹か)


 ゴブリンたちが射程距離まで近づいたので、氷結スプレーを噴射する。

 氷結スプレーを浴びたゴブリン達は、地面に倒れ込みのたうち回っている。

 ここから、しゃがみ込んで倒れたゴブリン達の頭を、モグラたたきをする様に金づちで叩く。

 ゴブリン達は、断末魔の鳴き声をあげなら、絶命していった。


”おお! いつも以上に地味でせこくて最高だww”

”っていうかゴブリンで氷結スプレーで倒せるんだな。初めて知った”

”高橋市長!ゴブリンみたいな雑魚はもっと派手にかっこよく倒してください”

”そうです! 剣や魔法で華麗に倒してください!”

”新参は黙れ! この地味でせこい戦い方に味があるんじゃないか”

”そもそも高橋は弱いから底辺配信者だったんだ。変な期待はするな”


「じゃあこの前、コンビニで見た面白いおばちゃんの話でも……」


 微妙に対立し始めたリスナー達を楽しませるために、今ここに向かってきている別のモンスターを迎え撃つ準備をしながら、高橋は小話を始めた。




(ったく、やっぱりこいつら何も分かってないんだから)


 市役所でがんじがらめに拘束されているゆず希は、モニターに映し出された視察配信のコメントに激怒していた。 

 高橋の戦い方は確かに地味でこすく感じてしまうだろう。しかし、裏を返せば無駄のない効率的な動きをしているということだ。

 また、あのゴブリン達はレッドドラゴンの火属性の魔力に影響され、深層にいてもおかしくないほど強靭な個体に変異している。

 これを見越して火属性に対抗できる氷結スプレーを持ってきた分析力と、即座に状況を把握して行動に移す判断力は、全国有数のダンジョン配信者であるゆず希の目から見てもすごいものだった。さらに視聴者を気にして小話をしながら、これをするなど、どれだけ余裕があるのだろうか。

 だが、高橋が不当な評価を受けるのも、仕方がない事ではあった。

 人目を引く派手なアクションができる、見ごたえと迫力がある魔法を使えるなど、ダンジョン配信者の戦いには、視聴者の目を引き喜ばせることが求められる。

 だが、高橋の戦い方には、そういったものが無い。


(だいたい高橋にも問題があるのよ! 視聴者に弱いって言われ続けるもんだから、自分の事を弱いって思い込んじゃって! しかも他人の討伐方法は的確にアドバイスできるんだから訳わかんない! これも皆、備後市が悪いのよ!)


 人目を惹くことが求められない狩猟や駆除などのダンジョン探索業種に高橋が従事したなら、今ごろは一財産気づいていただろう。だが、それはできなかった。

 備後市では、1980年代以前からある古いダンジョン探索業種の新規参入を条例で禁止している。他のダンジョンがある自治体は備後市ほど厳しくないものの、それでも地元業者を優先する傾向が強く、別地域からの新規参入は難しい。

 だから高橋はダンジョン配信者という、インターネットの発展により新しく生まれた、当時はまだ厳しく条例で規制されていなかった新しい形態のダンジョン探索業者になるしかなかったのだ。

 ゆず希は何度も自身のファンに、このことを説明したが結局誰も分かってくれなかった。いや、高橋は配信者として鳴かず飛ばずだったために、彼自身を知らない者の方が大多数だったので、何の事を言っているのか自体も大半のファンは理解していなかったのだ。


(あいつは……本当はすごいのに……)


 高橋の戦う姿をモニターで見ながら、ゆず希はその時の事を思い出し、涙を浮かべていた。



「ごめん、皆面白い小話をしてる余裕がなくなってきたわ」

“安心しろ。誰も聞いていない”

“でもそんなとこもお前らしいな”


  コメント欄で皮肉混じりのエールが飛び交う中、高橋はこちらに向かってきているモンスターの種類と数を改めて確認する。


(フレイムハウンドが4匹、ヒートエレメンタル強化型(火の玉)が6匹、チェルフェが3匹、こっちに向かってきてるのはこんだけか。どいつもこいつもヤベエな。どうすっかな……)


 大山が言っていた、昨日討伐ができなかったワームホールから11階層に侵入した70階層のモンスター達であることは間違いなかった。


(どいつもこいつも深層にしかいねえ、火属性の強力なモンスターじゃねえか。さっきのゴブリンとは比べ物になんねえ。俺一人じゃ討伐できねえぞ。氷結スプレーも、……スプレー! そうだ!)


 リュックから今回の作戦のために持ってきた沢山の唐辛子スプレーのうち2つを取り出して両手に持った。そしてすぐさま、ワームホールを囲いこんでいる魔法障壁に向かって噴射する。


”高橋市長なにをしているんですか?”

”ついに気でも狂ったか?”


 コメント欄は混乱と心配で溢れていた。確かにこんな行為は奇行にしか見えないだろう。だが、高橋には確かな勝算があった。

 やってきた強力なモンスター達はスプレーの噴射先に誘引されて、次々に魔法障壁に衝突し、蒸発していく。


”なんだ? モンスターも気が狂ったのか!”

”なんにしても高橋はラッキーだな”

”これはどういうなんだ?”


 予想外な光景を見たコメント欄は、大混乱になる。


(火属性のモンスターはなんでかしんねえけど、唐辛子スプレーの液に引き寄せられるんだよ。……火属性のモンスターは辛い食い物が好きな個体が多いから、それと関係してんのかな? まあ、探索で唐辛子スプレーなんて使うのは俺くらいだから、こんなしょうもないこと俺以外誰も知らねえだろうけど)


 科学的根拠は一切なく、理由も分からない。だが、高橋は長年の勘と経験で、こうなるだろうという強い確信を持っていた。



(嘘。あの学説は本当だったのね……)


 観測小屋のベッドの中から高橋の視察配信を見ていた片桐は、驚愕していた。

 京都大学の杉本助教授は、火属性のモンスターは刺激が強いものを好んで食べ、特にカプサイシンのような成分に強く引き寄せられるという研究結果を、今から20年前に発表した。だが学会で、この研究は失笑され、まともに取り合ってもらえなかった。

 片桐自身もこういったことはあったという事は知っているが、頭の片隅に追いやられた記憶で、この学説も本当だとは思っていなかった。


(学説が本当なら、カプサイシンが多く含まれている唐辛子スプレーは火属性のモンスターにとってはご馳走みたいなものなの……。市長あなたは、この学説を知っていたの? それとも知らずに自然に身に着けたの?)


 驚きながら、呆然と見続けていると、画面越しでも悪寒が走る咆哮音が聞こえてきた。


(今のは、レッドドラゴン。もしかしてカプサイシンの臭いに反応して目覚めたの? 確かにあれも火属性のモンスターだけど……市長はまさかレッドドラゴンをおびき寄せるために……)

 

 なんの目的で態々起こしておびき寄せようとしているのかは、分からなかった。だがこのままでは無謀だ。


「市長、危険です! 今すぐ逃げてください!」


 片桐は、涙を流しながら絶叫した。



”今の鳴き声はレッドドラゴンか”

”羽ばたく音がうるさくなってきたな。多分こっちに向かっているぞ”

”やったぞ!高橋! 頭がおかしくなったんで心配したが玉砕できそうだぞ!”

”備後市のために命を投げ出すお前の勇姿は忘れないぞ!”

(アホか! 誰が死ぬか!)


 コメント画面に突っ込みを入れつつ、高橋はスプレーを噴射し続ける。もっとも今は、魔法障壁の隙間からワームホールを狙って吹きかけているのだが。


(スプレー5缶も使っちまったからな。そりゃ臭いに反応して起きて向かってくるか……音が早い! やっぱ古代龍のスピードはすげえな。間に合うか?)


 スプレーの中身はまだ残っている。これなら持つはずだ。

 スプレーのボタンの上に石を置き、ゴムバンドで固定する。

 これでスプレーは、ずっと噴射し続ける状態になった。


”もしかしてワームホールにレッドドラゴンを送り返すつもりなのか?”

”アホか。ワームホールはバレーボールくらいの大きさなんだぞ。どうやって送り返すんだ!”

”なお古代龍種の全長は平均10m”

”それじゃ通り抜けるの無理じゃん!”


 風を切る轟音が更に大きくなった。流石にコメント欄に反応している余裕はない。

 レッドドラゴンが見えてきた。全長はぱっと見で15m、その巨体が猛スピードで一直線にこちらに向かってきている。

 やはり狙いはスプレーの臭いで間違いないようだ。これをワームホールに噴射し続けた。

 目前にレッドドラゴンが迫り、もう少しで接触して吹き飛ばされそうになる。

 その瞬間、スプレーを障壁の隙間からワームホールの中に投げ込み、勢いよく退避した。

 落ち着いたので、コメント欄に目をやる。


”高橋、お前なにがしたいんだ!?”

”無謀すぎるだろ!”


 やはり、否定的なコメントばかりだ。

 確かに普通ならば、この作戦は無謀に見えるだろう。

 だがレッドドラゴンのような古代龍の魔力は、とてもクリアで質が良く、量も膨大だ。

 こういったすごい魔力をもったモンスターがワームホールに接触すると、ゴムのように伸びて穴が一時的に広がることがある。

 もっともワームホールは発生すること自体があまりないし、古代龍も希少な存在だ。だからこんな現象にお目に掛かることは滅多にない。なので皆知らなくても、当然ではある。


(俺も昔、ブラックドラゴンに酷い目に合わされたから知ってるだけだからな。……あんときカメラ回しときゃバズったんだろうなあ)


 スプレーの匂いに引き寄せられたレッドドラゴンは魔法障壁を突き破り、鼻先がワームホールに接触する。案の定、ワームホールは瞬間的に拡大した。そして巨体全体がその穴の中に入っていく。

 レッドドラゴンが深層に帰って行ったことを確認した高橋は、ドローンカメラを向き深々と頭を下げる。


「ええ、皆さん。これでレッドドラゴンは元居た70階層に帰りました。まだ、11階層には深層のモンスターが残っておりますので、時間はしばらくかかると思いますが、近日中には安全が確保できるでしょう。ご協力ありがとうございました。」


"高橋市長すごいです!"

"見事に成功したなwww"

"これからも応援してるぞ!"


 コメント欄には驚きと称賛の声が溢れ始めた。


(ってか、これ、希少モンスター保護法的には大丈夫なんだよな? 一応調べてやったんだけど、不安になってきたわ) 


 視聴者たちの歓喜をよそに、高橋はただ1人不安に押し潰されそうになっていた。

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