第12話 【私の文章】『狂人の夜叉』
夫の彰一が一時帰国していた時、響子に逢えない寂しさと歯痒さで地団駄を踏んでいた。
初めて彰一の姿を見た時に、幻影ではなく実体として存在しているのだと改めて思い知らされ、愛する女性は自分のモノではなく、人の妻なのだという現実を直視しなくてはならなくなったのだった。
2人の楽しそうな談笑が隣家から聞こえてくる度に、怒号のような激しい嫉妬で狂人の夜叉に成っていった。
夜が巡ってくる度に、厚い唇の彰一に貪られながら、激しく抱かれ白眼を向いて、妖艶な声色と粘着する愛液を滴らせた肢体で反応して昇天する響子の姿を想像し続ける度に、不安と怒りが交錯したジェラシーが業火に成って音を立てながら赤々と燃え滾る。
結合した時に思わず驚嘆の声を上げそうに成るくらいに、伸縮部分をあの強烈な蠢きと心地好いざら付きで包み込むような刺激を帰国している間中、独占しながら堪能しているのかと思うと羨望と感嘆で言い様のない感情が矢を射るように沸き上がってくる。
「ちっ!!彰一の奴、邪魔だなあ!!
今すぐにでも海外に飛んでいっちまえよ。
一生帰国してくるんじゃねえ!!」
隣家へ向けた悪意のレーザー光線は、やり場のない堂々巡りの葛藤と背徳をもぎ取って食した懲罰なのだった。
今までは、男性から嫉妬と羨望の対象に成ったことはあれど、自分がその類いの感情を抱いたことなど皆無だった。
でも、確かに今、最愛の女性の夫に憎悪のジェラシーをマグマの如く烈火させている。
それは、ライオンがひ弱なシマウマを仕留めようと威嚇しながら、チャンスを窺っている時の感情を彷彿とさせた。
隣家のチャイムを人影が鳴らすと、玄関から彰一が顔を覗かせた。
作り笑顔を必死に浮かべながら、
「こんばんは!!
あの…隣に越してきた紫野道哉と言います。
奥様には以前、ご挨拶したのですが、ご主人には未だだったことに気付いたもので。
これ良かったら、ほんの少しですが、受け取って下さい!!」
差し出したのは、キャットフードと自店舗で販売している男性用と女性用のスポーツウェア、ロゼの赤ワイン、それからジョギングランナーを模したキーホルダーだった。
「こんなに沢山貰って良いんですか?
何だか申し訳ないなあ…。」
「いえいえ、ご挨拶が今頃に成ったお詫びなので、遠慮なく受け取って下さい!!
突然来てしまって、すみませんでした。
奥様にも宜しくお伝え下さい。
それでは、失礼します!!
お休みなさい。」
「そうですか…紫野さん、すみませんね。
では、遠慮なく。
お休みなさい!!」
何も知らずに笑顔でドアを閉める彰一を内心で嘲り笑いながら、自宅へ引き返した。
「お客さん?」
「なあ!!響子。
さっき隣の紫野さんが、まだ挨拶していないお詫びだって、こんなに色々持ってきて下さったぞ!!
今時の若者には珍しく、律儀な好青年が居るものだなあ!!」
道哉の名前を彰一の口から唐突に聞き、内心から体中の血液が抜き取られたのではないかという心地に成ったものの何とか、偽りの微笑で、誤魔化したのだった。
真夜中も過ぎた深夜に成った頃、道哉はヘッドホンで耳を塞いで、何かをひたすら聞きながら、不適な笑いを浮かべていた。
それは、響子と彰一の激しく熱い妖艶な一夜を窺わせる内容だった。
何でも屋に多額の金銭と引き換えに、キーホルダー内部に盗聴器を仕掛けて貰い、それを聴いて録音する為の機器も作製して貰ったのだった。
以前、ホテルのベッドで腕枕を宛がいながら会話している時に、然り気無く彰一の人となりを訊いたことが有った。
そこで、趣味の1つがキーホルダー収集で、必ず寝室のベッド付近の壁に画鋲で吊り下げる癖が有ることを知ったのだった。
夫婦別の寝室であるからこそ、どちらかの寝室で2人で眠るのだと予想した。
これは、一種の賭けだったが、その目論見が的中したことに心底ほくそ笑むのだった。
手の中で踊らされる振りをしていたが、純粋な聖女のような響子を羞恥心も厭わなくなる程の乱れる獣に激変させ、調教しているのは紛れもなくこの自分なのだと思うと、悪魔の魂が高笑いするのだった。
「彰一!!
響子さんのこのテクニックはな、俺が教えたんだぞ!!
フハハハハ~!!」
「俺としている時の方が、響子さんは激しく妖艶に乱れるんだからなあ!!」
ヘッドホンから聴こえてくる夫婦だけしか知るはずもない恍惚の潮のような秘め事に聞き耳を立てながら、毒蛇と蠍が体中を這いながら、侵入しても何の痛みも感じない程の恐ろしい表情で、狂ったように薄笑いを浮かべるのだった。
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