第7話 【T子さんの文章】『秘密の恋の始まり』

誰かの為に料理を作るのは、久しぶりだった。

いつも独りで食べる食事は、手を掛けても味気なく、何となく終わってしまう。


道哉の好物を訊いていなかったので、響子は自分の得意料理でもてなす事に決めた。


パエリア

ロールキャベツ

シーザーサラダ

デザートにブラマンジェを作った。


これまた久しぶりに花も生けた。

黄色いミモザの甘く優しい香りが、部屋中に漂っていた。


一方、道哉の方は、漠然と午後の約束になっていたので、朝から落ち着きなく、そわそわと過ごした。

意味もなく2回もシャワーを浴び、着ていく服を選び直したりした。

これではまるで、初デートを控えた10代のようだと苦笑いしながら。


13時を回った頃。

インターホンが鳴った。

「どうぞ、いらして下さい」

響子はそれだけ告げると、家に戻っていった。


道哉は手土産の焼き菓子を持って、隣家に向かった。

インターホンを鳴らすと、直ぐにドアが開いた。

「早く入って下さい。ご近所の目が有りますから」

「はい!」


並べられたスリッパを履き、家に上がる。

料理の良い匂いと、花の香りが家中に漂っていた。


響子についてリビングのソファーに座る。

「アルコールは如何ですか?」

「いただきます。でも、水をいただけませんか?」

ほんの少しの移動なのに、口の中がカラカラだった。

こんなに緊張するなんてと、自分に呆れながら、響子からグラスを受け取る。


一気に咽に流し込むと、潤った。

その様子を響子が見つめていた。


「何がお好きか分からなくて、私の得意料理を作りました。お口に合うといいけど」

「響子の作ったものなら、何でも」

「そんな事言って、後悔しますよ」

響子は嬉しそうに笑った。


道哉も運ぶのを手伝って、白ワインで乾杯し、食事会が始まった。

どれも美味しくて、だんだん緊張も解れた道哉は、舌鼓を打った。

響子の方は、ほとんど手をつけていない。


「召し上がらないんですか?」

「最近、食欲がなくて。でも、独りで食べるよりずっと、食欲がわきます」

「そうなんですね。具合が悪いんですか?」

「ええ、ちょっとだけ」

「今日、無理させましたか?大丈夫ですか?」

「大丈夫です。どんどん食べて下さい」

静かに微笑む響子の美しさに、改めて目を奪われながらも、道哉はおかわりした。

彼の食べる様子を、彼女が、とてもいとおしそうに見つめている気がして。


「サクラちゃんは、何処に?」

「今、お昼寝中です。ちょっと年を取ったので、あまり活発に動く事もなくなって」

「そうですか」

「ワイン、如何ですか?」


「響子さん!」

道哉は思わず呼び掛けた。

響子はワインを置くと、彼の目を見据えた。

「はい」

「この間の僕の気持ち、迷惑ですか?もし迷惑なら、謝ります」


響子は俯いて、意を決したように答えた。

「具合が悪いのは…恋煩いです」

「えっ?」

道哉は思考が停止した。

彼女の口から、そんな言葉が出るなんて…


そして気付くと、響子の隣に座り、彼女の手を握っていた。

響子の熱っぽい眼差しが、道哉を捉えている。

「…迷惑ではないです」

その言葉に、彼が響子を抱きしめようとすると、彼女は精一杯、抵抗した。

「迷惑ではないけど、私には、どうしようもありません」

「それなら何故?何故、僕の気持ちを知っていて、こんな風に部屋に呼ぶんですか」

「それは…」

「それは、僕とこうしたいからじゃないんですか?」


あっという間に、響子の可憐な唇は、道哉の情熱的な唇に塞がれた。

「…ん」

無駄な抵抗を試みる彼女を、更に強く抱きしめ、唇から舌を差し入れた。

ワインの香りがする。

ゆっくりと舌を絡めていくと、真っ白な肌がほんのり上気し色付いていった。

控えめながら、響子も舌を絡めてくる。


やがて静かな室内に、ふたりの交わす濃厚なキスの音が響いた。


道哉が耳たぶを甘噛みし、細い首筋からうなじまで唇を這わせると、

「…これ以上はダメです」

甘い吐息と共に、響子は告げた。


道哉は彼女の唇を、優しく指で塞いで、シンプルなワンピースを脱がせにかかった。


「お願い、これ以上は…」

「そんな残酷な事を言わないで下さい。僕はこんなにあなたを欲しているのに」

響子の手を掴み、自身の股間に押し付けた。


「ああ…」

悩ましげな響子の声に、スイッチが入ったように、道哉は彼女を押し倒した。

ワンピースはそのままで、裾がはだけ、響子のすらりとした脚が覗いた。


ジョギングが日課なだけに、全身がよく引き締まって、しなやかな肉体だ。


道哉は陶磁器を思わせる太ももに顔を埋め、そっと口付けた。

スカートの奥から、官能的な匂いがしていた。


「道哉さん…」

不意に名前を呼ばれ、ドキッとして顔をあげる。

目にした響子の顔は、これまでに見た事もないほど、女性の色香が漂っていた。


「ここではイヤ、きちんとベッドで抱いて下さい」

お姫様抱っこで、ベッドルームに彼女を運ぶ。

驚くほど軽くて頼りなくて、いとおしさが増した。


そして、寝室が夫婦別な事を知った。


ベッドに彼女を下ろすと、響子は手を広げてきた。

しっかり抱き合う。

暫くはそのまま。

彼女の匂いと温もりを、こうして感じていたい。


響子は自分の気持ちに嘘を吐けないと悟った。

私が罪を犯しても、彼をそこに巻き込む事はしたくなかった。

でも戻れない。

私達ふたりは共犯者。

私の腕の中にいる、この魅力的な若者は、罪深い人間になったのだ。


黄色いミモザの花言葉。

『秘密の恋』

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