第204話 隠蔽
「さて随分と待たせてしまったようではあるが、そちらの言い分を聞かせていただこうか」
話の“まだ”わかる光秀との話を終えた俺は、話の分からない男の遣いでやってきた藤英殿と顔を合わせた。
こうして面と向かうのは何時ぶりか。そんなに前ではないように感じるのは、前回の同行者がある意味強烈過ぎたからなのであろうかな。
「上様は困惑されております。今川上総介様は大蔵少輔殿と同じく上様を支持する者同士。どうして戦わなければならぬのかと」
「上様は俺の答えを求めていると。そういうことでありましょうかな」
「…その通りで」
「腹心らは誰も説明せぬのでございましょうか。今の様子を見るに、どうしての部分を大和守殿は理解しているように見受けられたが」
「それは…」
「それとも長らく僧籍にあった御方はこの乱世がどういうものかよく分かっておられぬが、その残酷さを腹心らの口から説明するはどうにも難しいと。ゆえにこうして傍におらぬ我らに説明をさせようとされているのか」
「そっ、そんなつもりでは!?」
取り乱す藤英殿に俺は思わず苦笑いを浮かべた。
まことに分かりやすい男である、と。嘘が付けないとでもいうべきか。だからこそ此度、この地にやってきたのかもしれぬ。下手に誤魔化しが上手い一色藤長という男では俺との関係がこじれると踏んで。いや、誤魔化しが上手かろうが下手であろうが、遠江の一色家を憎んでいるあの男では関係の悪化は免れぬか。
おそらく腹心らの中でも朝倉のように俺との関係性に関して危惧している者たちが一定数いるのであろう。ゆえにこうして腹心として側近格の人間が一人でやってきたのだと。
「冗談でございますとも。さて、ではそろそろ本心から問いに答えさせていただきましょうか」
「本心…。いったいなにゆえでございましょう」
分かっているであろうに。そういう体であるという必要があるのだろうな。まったく義秋に付き従う者たちも方々に気を遣うことになって大変であろう。
俺なら早々にそのような立場から逃げ出すわ。気を遣いすぎると頭がおかしくなる。
「今川家を滅ぼした最大の理由は、我が…。いや、今川滅亡前より我が下に付いていた者たちの大半が今川家の旧臣であるゆえのこと。思うところがあって我が下についたとはいって今川は旧主。何があって再びあちらに心を戻すかなど分からぬゆえに、東海の統一を目指す必要があった」
「手を取り合うことは出来なかったと?」
「出来ればとっくのとうにやっている。しかしそんなこと出来るはずがない。そもそも多数が離反したころ、今川家中はすでに揺れていたのだ」
「…揺れていた、というのは」
「武田という上様が非常に信を置いておられる者どもが今川家中を食い荒らしていた。沼津の割譲はその最たるものであるが、武田家による駿河経由の遠江侵攻もまた同じようなもの。連中は南信へ通じる遠江の街道、秋葉街道が閉ざされたことで深刻な塩不足に陥っており、何としてでも沿岸部を手にする必要があった。もちろんこの段階で今川家は積極的な支援を行っていたが、甲斐経由での南信へ物資を運び入れるとなると労力も時間もかかる。そこで連中は遠江へ直接攻撃できるよう、駿河の軍事通行許可を得たのだ。内にある親武田派の者たちを動かして」
「沼津は戦で負けた際に得るつもりだった最低限の戦果であったと」
「岡部を含め、いくつかの者たちが武田の専横を許さず背中を襲った。おそらくそれも織り込み済みだったのではないかと俺は考えているが」
沼津を得たことで、相変わらず輸送コストはかかる上に飛び地ではあるものの沿岸部に武田領が誕生した。これは長らく武田家が抱えていた問題を一つ解決する大きな一歩となったわけだ。
さらにその北の藍沢原の領主らが武田に近しいことなども踏まえれば大戦果も大戦果。大井川を中心とした経済的に栄えて、南信に直結する地こそ逃したものの十分おつりが出るほどのものを負け戦なりに手にしたわけだ。どう考えても裏があると考えるべきだろうし、実際にあったわけである。
「とにもかくにも明確に我らに対して敵対行動をとっている武田の傀儡のようになりつつあった今川を捨て置くことは出来ぬ。ならばすべきは一つでありましょう」
「つまり、攻めて滅ぼす」
ごくりと唾を呑む音が聞こえてきた。それなりの我らの距離はあるはずなのだが、沈黙の時間が長いゆえであろうかな。
わずかに身体を動かしたりして生じる畳と布の擦れる音もよく聞こえてくるくらいである。
「…このようなことを聞いてよいのかわかりませぬが、未だ私の耳に上野介様の消息が届いておりませぬ。上野介様はいったいどうなってのでございましょうか」
「どうなった、な。そのようなこと、部外者である大和守殿に話せるとお思いか?」
「い、いえ…。ですが考えてもみてくだされ。ここでその場にいたであろう大蔵少輔殿が沈黙を貫かれますと、おそらく再び越前より誰かしらが派遣されてくることになると。それが大蔵少輔殿にとって都合の悪い人物であるという可能性も」
その言葉に思わず声を出して笑ってしまった。
俺は今、藤英殿に脅されているのだと。短い付き合いながら俺がどういう人間で、何を嫌がっているのかを理解したようである。
まぁ誰が見ても分かるような態度を見せている自覚はあるが。
「なるほど、たしかにそれもそうか。理解ある大和守殿や兵部大輔殿であれば助かるが、そうでないのであれば面倒だな。それこそ式部少輔殿などが来た日には、こちらも色々と我慢する必要が出てきてしまう。ならばもったいぶらずに話すとしようか。今川家最期の日に起きた出来事について。実はあの日―――」
とはいえ、である。馬鹿正直に北条に逃がしたなどというはずもない。そうなると今度は未だ将軍家の後継者争いについて沈黙を貫いている北条に人をやり始めることになるだろう。仮にあの北条氏康がその面倒さに屈したとすれば東国の多数の大名家が義秋を支持することになる。そうなると今後色々と動きにくいのだ。
すでに風前の灯火であった今川を攻めてこれなのだから、長期化することが目に見えている武田や北条と敵対した時などどのようなことになるのか想像もつかない。
ゆえに真実も交えながら、北条に過剰な厄介ごとを持ち込まぬように嘘を伝える。
「で、では上総介様は今」
「わずかな側近らとともに駿河国内か、あるいはどこか違う国に逃れられたやもしれませぬな。我らも今川館制圧後、すぐさま追手を向かわせたのでございますがうまく逃げられてしまいまして。いつまでもしっぽの見えぬ者を追う時間もございませぬゆえ。ただ今川殿が英断だったと思うのは、今川館を脱する前に停戦令を駿河各地に飛ばし、さらに最後まで一色に抗い続けた者たちに感状と暇を与えたこと。おかげで今川家滅亡後、一気に駿河の統治体制が整いました。まぁ逆に言えば親武田・親北条勢力も残ってしまったわけでございますが」
という風な話にしておいた。
まぁ時間稼ぎ程度だ。どうせ真実を知る者たちの口から徐々に広まっていく。
だがその真実が義秋の耳に届くのは、こちらの体制がある程度整ってからでよい。あわよくば北条との関係が改善されていればなおよいが。
「さて大和守殿、俺は話すべきことをすべて話しました。まだ何か聞かねばならぬことがございますかな」
「…聞かねばならぬこと、でございますか」
「えぇ。こちらも戦後処理などに追われており、あまり時間はとれませぬゆえな。そろそろお帰り頂きたいと思っているのですよ。ですがまだ言わねばならぬことがあるのに追い返したとなると、やはりまた腹心の方が遣わされることになりましょう。正直時間の無駄でございますゆえ、話の分かる大和守殿がこの地におられる今のうちに疑問は解決しておくべきかと」
「ならば一つだけ」
「なんなりと聞いてくだされ」
一呼吸あった。大きな深呼吸もあった。
そして意を決したように、まっすぐ俺の目を見て問うた。
「大蔵少輔殿は上様をお支えするおつもりがあるのでございましょうか」
思わず口の右端が持ち上がってしまったように思える。
「何故そのようなことを聞かれたのか。と言いたいところであるが、大和守殿には特別お教えいたしましょう」
まただ。ごくりと唾を呑む音が聞こえてくる。
「越前の上様に将軍としての器はありませぬよ。支持したのはあくまで気まぐれ。ここ数代の幕府を見ても、正直幕府があってもなくてもという有様であるのに、次期将軍争いで面倒事に巻き込まれるなどまっぴらです。ただでさえ周辺勢力は新興勢力である当家を敵視、あるいは興味の目で見ているというのに、そういった者たちを放置して上洛など正気では無い」
思いの吐露。これはまごうことなき本心である。
義秋の腹心の一人である藤英殿にこのようなことを話したのは大きなリスクである一方で、昌友が仕込んだ毒の巡りを早めるための意味もあった。
いつ効果が出るか分からぬし、下手をすれば毒がこちらに流れ込んでくる危険もある。しかしそれを承知でここまで危険を冒す意味がある。
それに仮にこの話を藤英殿が義秋に話したとしても、せいぜい義秋が動かせるのは武田くらいだ。万が一にも向きかねない美濃への意識をこちらで独り占めできると考えれば、それほど悪い話でもない。
さて、この男は今の話をどのように受け取ったのか。
ただ願わくばこの毒が腹心の間で巡ることを望む。義秋の周りが毒で満たされれば、面倒な動きをとることもなくなるだろう。俺がやっていることは武田がかつて今川にやっていたことと同じ。正確には応用である。
さぁ、義秋や他の腹心らはこの毒を見抜くことが出来るのであろうかな。
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