第197話 安倍七騎

 駿河国安倍郡丸子 一色政孝


 永禄9年6月上旬


「我ら五家、これより一色様の元で働く所存でございます。その覚悟の証明も連れて参りましたので、どうかその末席に加えていただきたく」


 丸子城の落城から二日後のことであった。

 安倍川流域に領地を預かる安倍七騎の内、五人が揃って俺の元に頭を下げにやってきたのは。

 筆頭に朝倉在重がおり、他に石谷・狩野・杉山・末高と続く。


「河内守よ、おぬしが早くから誘いに乗ってくれていたことは源五郎より聞いている。さらに四人も味方を集い、こうして馳せ参じてくれたこと喜ばしく思うぞ」

「ははっ」

「人質の扱いについては安心せよ。戦が終われば領内に連れて行くことになるが、他と変わりなく苦労の無い生活を約束するゆえ今は存分に働け」

「かしこまりました!」


 元安倍七騎の役割は非常にわかりやすいものである。

 安倍川の死守。この一点に尽きる。というのも、手越原の北にある補給地点を介して東から援軍が入り込んできているのだ。他にも橋や舟を利用して渡河が行われている。安倍七期は今の今までは今川の下についていたため、これの妨害活動などは行っていなかったが、これからは違う。俺達が安倍川を渡るまでの間、この者たちが渡河の妨害をしなければならないのだ。

 同じような役割をかつてになった者として、大井川領の北側。島田の宿場町から遠江入りを目指していた今川方を足止めしていた鶴見がいる。あのような働きを今回も期待しているとこの者たちには話しておいた。どこまで出来るか。

 しかしあの時に比べると幾分もマシではあろうな。そもそも今川方は南北に兵を分けて援軍を送り込んでいるようで、最初から少ない兵であるところをさらに散らしている状況だ。これくらい足止めしてもらわねば、これから先も信じて使い続けることはできない。


「それと河内守」

「はっ」

「一色につかぬと申した義弟に手を掛けたそうであるな」

「…その話も御存じであられましたか」

「それも手柄よ。つらい決断をさせた分、一色家として報いるつもりでいる」


 在重はそれについて何も言わずに頭を下げた。

 死んだのは同じく安倍七騎に数えられる大石五郎右衛門なる者。在重の義弟にあたり、関係自体もそう悪くはなかったと。

 しかし在重が他の七騎を説得する中で、死ぬまで今川に従うべきと主張した大石と激しく意見が対立。他の七騎の意見を覆すほどの勢いであったゆえに、仕方なく殺害に及んだというのが栄衆の調べである。

 実際どのような死にざまであったのかは分からぬが、同じ安倍七騎として、そして義兄弟という関係でありながら袂を分かつわけではなく、殺害を選んだ。その在重の覚悟には必ず報いなければならない。離反を持ち掛けた俺の責任だ。


「皆もそうだ。此度の戦、手越原を突破した後、敵の補給地点を破壊。川を渡ればすぐに今川館が見える。つまり手越原での決戦が終わるまで、どれだけ敵方を招き入れぬかが大切だ。存分に暴れるがよい」


 五人は退席し、おそらく遠回りに自領に戻っていくことであろう。そのまま離反の表明をして安倍川流域を制する。

 その間にこちらは安倍川以西に残る今川方を撃破し、全域の掌握を目指すわけだ。


「殿」

「落人か、様子はどうだ?」


 誰もいなくなってすぐ、音も無く陣幕の外側に影が現れる。だが声を掛けられて、すぐにそれが落人だと理解できた。


「はっ。武田の動きは今のところ確認できません。傍観に徹しているのか、あるいは幕府の介入を嫌がったか」

「そうか。ならば北条はどうだ」

「北条は動いております。伊豆に船を集めて、移動の支度をはじめました」

「戦でもやる気か?」

「いえ。戦のつもりでは無い様に見受けられました。おそらく殿が送られた文の答えかと」

「わかった。引き続き北条・武田両家の監視を続け、もし兵動員の動きがあれば即座に報せよ」

「ははっ」


 武田が傍観に徹している理由について、落人は幕府の介入を嫌がったと言った。

 しかしそんなことは無いと思う。むしろこれまでの武田は幕府が動きそうなことを平気でやってきたわけである。特に対上杉に関しては躊躇いという言葉とは縁遠い動きを繰り返してきた。今さら幕府絡みで日和ったりはしないだろう。

 それにこのまま安倍川が突破できれば、今川はさすがに風前の灯火。武田としてはこれほどまでに駿河東部が簡単に手に入る機会を逃すとも思えない。史実同様に東西挟撃の形にこちらが望まずともなるのではないかと警戒していたのだが、もしかすると北条の動きに警戒しているのやもしれぬな。


「それと大井川城より報せが入りました」

「…何かあったか?」

「大したことではございません。ただ越前からの使いが入ったとのこと。それも二人」

「二人?幕臣が二人入ったということか?」


 ならば予想に反して藤孝殿では無いな。三淵藤英殿と一色藤長殿か。

 藤英殿はともかく、藤長殿は露骨に俺を嫌っている節がある。こういう大事な役割は適任でないと思ったのだが、越前での評価は別にあるのか。

 だがまぁ誰が来たところで俺も武田同様に止まるつもりなど無い。好きにやらせてもらおうか。


「いえ、幕臣は一人。三淵大和守のみでございます」

「大和守殿だけが入ったか。まぁ懸命な判断だな。ならばもう一人というのは」

「朝倉家からの使いでございます。おそらく越前の方の牽制が目的ではないかと、主水様は考えておられます」

「なるほどな。いやはや、まさか名門と名高い朝倉が俺の機嫌取りに動くとは。これほど気分が良いことはないな」


 とは言ってみるものの、プライドが高いのは義秋も義景も同じだ。朝倉の御機嫌取りについてはあまり何の感情も抱かぬ方がよいだろう。どうせ後から幻滅するだけだ。


「殿」

「分かっている。驕ってなどおらぬし、恐れ多くなども感じておらぬ。朝倉の行いはむしろ当然のことであり、本来であれば余計なことをさせぬよう徹底的に監視してもらいたいくらいだ。それでもこうして行動を起こしてきたことに意味がある」


 ただ支援するだけの存在として思われていてもおもしろくはない。これを恩に感じてくれれば、今後何かあるやもしれぬ。もちろん恩を仇で返される可能性の方が高く、俺だって端から期待などしていない。

 あくまでそういうことがあるやもしれぬと、心の片隅に留めておくだけだ。


「主水には大井川領から出さぬよう厳命し、俺が戻るまでせめて朝倉の使いは留めておくように命じよ。幕臣は帰る分には放っておけばよい」

「はっ」


 それに幕臣の方に関しては留めておいても意味はない。昌友が上手く毒を仕込むことが出来たのであれば、むしろ早々に帰ってもらいたいのだ。

 その方が早い段階で毒が回り始めるゆえに。あとは崩壊を待つだけである。そうすれば多少は大人しくなるであろうでな。


「しかし朝倉、か」

「加賀平定の動向、探りましょうか」

「優先順位は高くない。手が空けば探りを入れる程度は構わぬが、それよりも上杉は動いているのか?」

「越中方面より動いているようでございますが、越中や能登方面からの妨害もあるようで思うように挟撃策が成っていないとの話は耳にいたします」

「やはり一向宗は厄介な存在だな。動員できる者の数がまったく読めぬ」


 死んで極楽浄土へという考えであるから、死すらも恐れぬ者たちだ。どれだけ正規兵を揃えても、死ぬ覚悟で戦う者と対峙することはかなり勇気がいることである。

 そういった者たちを大量に抱えているのだから一向一揆は手ごわい。その上には腕利きの坊官らが指揮を執っているのだからやはり強敵だ。早々に三河から一向宗をたたき出すことが出来たのは良かった。信長も北勢を早い段階で制したことで長島に一向宗を孤立させることが出来た。おかげで東海方面に一向宗の悪影響はほとんどない。そう信じたいところである。


「加賀よりも東海内の本願寺派の寺院を見張った方がよいか?」

「では優先順位を入れ替えます。領内の監視に人員を割き、不審な動きがあればすぐさま報告を上げられるよう体制を整えますので」

「それで頼む。落人、しばらくの間忙しくなると思うが」

「忍びとして役目を与えられることは何よりも喜ばしいことでございますゆえ。それでは」


 そういって影は消えた。

 しかし一向宗な。武田と並んで厄介な存在であるのがおそらく連中だ。信長は今美濃攻めに精を出しているわけだが、長島も出来れば早くどうにかして欲しいと思うのはやはり無茶な要求であろうな。さすがに織田家の負担が凄まじすぎる。

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