第21話【青く燃える】
【詐欺師・19】
女が死んだ。指鉄砲で自分を撃ち抜いて死んだ。泡になって消えた。
腕の中に彼女の残滓は無い。欠片ほども残っていない。泡も、体温も。
最期に見せた花のような笑顔も。
彼女が生きて、ここにいた全ての証拠が否定されるようだった。
岸波瑠璃は終わった。
空気の読めない波が、命なんて魂なんて欠片ほども内包していない癖にまるで生き物のように動いて、蠢いて、行っては、帰って。揺れているのは自分なのか世界なのかまるでわからなくて。込み上げる感情の色が、腫れあがるように赤いのか、汚水の臭いで黒いのか、醜いゲロの色を重ねているのか、嗚呼何もかもが判然としない。自分すらわからない。
世界が眩む。熱が、この極最小の地点に集まって、抜けて行かない。丸い骨の中に閉じ込めたはずの黒い火が、今更思い出したかのように速く、速く、速く!
──滾る。
振り向くと新葉がいた。
酷く怯えていた。震えて声も出せない。腰は砕けて、何処かへと向かうこともできない。
まるで捨てられた玩具。見捨てられた命。
『正気に戻れ』と叫んだのは、誰だっただろう。
振り返ればそいつはそこにいた。イケメンでカッコよくて理想の男で、憧れる。
ああ、そうだよな。姉さん。
人前で醜い本性を、傷と泥に塗れた毛むくじゃらの獣のようなこの魂を零すなど、まるで理想の男ではない。
俺は詐欺師。人の不幸で飯が食える。涙の塩で米を喰え。
詐欺師のきほん、きほんの「き」。
君の為に、今いる修理。
「新葉ぁ!」
喉を派手に持ち上げる。人を騙すときの声。
気づけば俺は、嬉しくて楽しいフリが上手くなっていた。何故だと問われれば、本物を沢山見てきたから。
そう! 輝かしく幸福な大切な人との思い出を俺は人を騙すために使う! ああ終わってる。終わってる、終わってる、終わってる!
しかし詐欺師のきほん、きほんの「ほ」。
本物を追い求めろ。
「帰ろうぜ、家族が待ってる!」
どれだけ気分が最悪で、先も何も見えなくても。
笑ってみせよう、演じてみせよう。本物を追い求めてみせよう。
俺にできることを精一杯に、一生懸命に。
だって俺にはそれしかできないんだから。
詐欺師のきほん。きほんの「ん。」
終わってる。
【詐欺師・20】
彼女が最期に唱えた呪文が、頭の中で膨れてゆく。帯に書きつけられた紫電の祝詞は絡まって、気力の種、その全ては根腐れた。
『月光に星が塗りつぶされる満月の日。三日後に全ての魔法は解ける』
途方もない苦痛だった。
自然な忘却とは──なんて甘く、優しいものだったのだろう。
莫大で膨大な上部からの圧力に強制されて、彼女の記憶が挽き潰されてゆく。見上げれば青く光る星が煌々と世間を見下し、その一端の網島修理を強く諫めていた。これが人智の果てから訪れる苦痛であると、いつの間にか知っていて、それと同時に忘却の処理が始まる。
そうして理解するのは、【思い出すこと】を【後悔させること】こそが、この行いの真の目的であるということ。理解して、それすらもまた影も残さず星の裏へと飛び去った。
額は打ちっぱなしのコンクリート壁と何度も激しいキスをした。砕けるくらいに頭を打ち付けて、痛みで無理やり覚えさせた。意に反して悲鳴を上げる身体をやはり痛みで黙らせた。記憶の反芻、そしてその嚥下には波の咬合力では足りない。だから何度でも、何度でも血の世界を嚙み潰す。
揺れる脳に光が舞う。目玉の中で蛍が飛んだ。
瑠璃がいたこと。瑠璃が生きていたこと。
魔法も呪いもどうでもいい。ただ岸波瑠璃という女性が、ほんの瞬きほどの間であっても、この世界で息吹を受けていて、その生が祝福されていたことを覚えていなければ
俺が、
頭を打ち付ける度、海の光景が蘇る。
嗚呼そうだ。俺は一人で背負わなくちゃならない。
こんなことを。こんな苦痛を、
新葉に──背負わせてたまるものか。
──しかしそんな一つ覚えの蛮行にたやすく矯正されるほど、この苦痛は生易しくはなかった。
殴打の音と鈍い痛みに塗りつぶされるように、ゆっくりと。
脳味噌のように記憶が溢れてゆく。ブ厚いゼラチンの膜を掛けられたみたいに世界は判然としない。
日の光が白く部屋を照らし出す。呆然と眺めてみれば意味不明だった。
なに故か腫れ上がった額。瓦礫に染み込む赤黒い血。耳鳴りが──行っては、帰って来る。
そしてこの狭い頭の中で、ただ無力にも篝火のように燃えていたのは
鈍痛への吐き気と、ルリという音。
彼岸の果てはここだと気づく。
釜の底で煮られる心地だった。
しかし肋の内は酷く寒い。
誰か。
誰でもいい、誰か。誰かと。
ルリさんの話がしたいと思った、
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