第15話【轍の痕】

【詐欺師・11】

 悪ガキ二人の秘密作戦が始まった。

 会場はわたくし、網島修理のねぐらでございます。何時人を上げてもいいように片付けだけは常にしてあるのが功を奏した形です。

「いいか新葉。女の子を口説くときには、まず相手のことを知ろうとするのが大切だ」

「普通の事じゃない、それ?」

「うむ」

 新葉の肩をがっしと掴む。この熱き感動を伝えたかった。

「どうかそのまま育ってくれ……」

「お、おう……」

 そういうことを真っ直ぐ言える奴が結局一番モテる。女性に限らず人類皆普遍の事実として、どいつもこいつも俺もお前もやさしい奴が大好きだ。

 やさしさとは、その口馴染みに起因するふわふわとしたイメージとは異なって、実は落ち着いた心の律動のことではなく、瞬発力のことを指す。

 頭の中でどれだけ優しき夢想を繰り広げていようと、そんなもんは思い上がりに過ぎない。咄嗟の状況に対して最適解を通し、その上で人の心を救い得る行動を取ることの出来る奴は誰からもモテるし、俺はそっちの方が好きだ。

 自分が掴み損ねた理想だから。

「なんでいきなり凹んでんの?」

「大人にはよくあるんだよ……頭の中ぐちゃぐちゃになることが」

 唐突に過去と現在が融合して未来を隠すこの現象を何と呼ぶ。訊けばこの現象は大人の間で流行しており、昨今では若年層への感染も懸念されると言う。最早正式に病に勘定してもよいのではなかろうか。

 はい。

 切り替えます。

「なんつってなあ!」

「おかえり」

「ただいまー」

 現実よこんにちは。悲しみよこんにちは。俺たちは出会ってばかりである。何故なら真に別れてしまうと、出会ったことも別れたことも忘れてしまうからである。記憶と思い入れは全く同義である。

 だから

 両親からの愛を奪われてしまったこの少年は、同情という言葉を吐くのも傲慢なくらいに哀れなのだ。

「なんだよ」

「なんにもねえよ。そしてそれが問題なのさ」

 どう生きるべきか死ぬべきか、それは新葉にとっては命題であって問題ではない。だって答えなんぞ当たり前に出ているのだから。

 新葉が問題を抱えているというならば、それは彼の環境に巻き起こった最悪の魔法のことを指していて、同時にその原因は瑠璃である。

 なれば瑠璃。何処まで行っても瑠璃。俺たちは魔女から逃げられない。

 気合を込めて頬を叩く。真白の火花が散る。

「仲良し作戦開始だな」

「もうちょい捻れんのか」

「無理い」


「いいか新葉。女の子に渡すプレゼントは何がいいと思う」

「邪魔にならなくて実用性のあるもの?」

「おめーほんッとかわいくねえな」

 先生今回は褒めれません。もっと花とかお菓子とか言いなさい。沢山失敗しろ俺のように。

「じゃあ何さ」

「何もだっても、さっきの応用だ。相手に直接訊くのが一番」

「それ訊けるならもう仲良くなってない?」

「そうなんだよねえ」

「使えねえな……」

 使えないとかそんな辛い言葉を安易に人に投げかけるではない。

 人間は道具ではない。

 道具の方がより上等であるという点において明確に異なるのである。

 人間は叩いても直らない。まず正常な状態の判別が難しいから、つい殴り過ぎる。

「だから、頼みの綱はお前なんだよ」

「おれですかい」

 このテンションに、最早げんなりしている最近の若い子(9歳)は、自分を指差す。その指に重ねるように俺もまた指を立てた。

「瑠璃のことをこの中で一番知ってるのはお前だ」

「二人しかいないっす先生」

 暗に無能を提示しながら喋ると、人は結構世話を焼く方向で頑張ってくれる。無論愛嬌を振り撒くことが前提ではあるのだが。

 そして人に行動を起こさせる場合の手っ取り早い手法として、ご教授願うというものがある。

「頼む! 瑠璃のことなんでもいいから教えてくれないか」

 これはかつて新葉よりも幼いお子さんと暮らした時の生活の知恵だ。

 彼女たちは俺の記憶の中、今も揺蕩い、時に頭痛を呼び起こす。

「えー……」

 新葉は得心しかねる様子だった。しかし探偵役がやるみたいに顎に手を添えると、目を細めて唸り出す。真面目な子である。

「あ」

「天才」

「まだ何も言ってねえ」

 新葉は唇を尖らせた。しかしこれは世辞ではない。思い出せたこと自体が天才なのである。

 記憶の操作は確実に、瑠璃の持つ能力の一つなのだから、隠蔽された可能性もまた在り得る。

 すげえ、漫画みたい。

 とかアホみたいな面で考えていると新葉は咳を一つ打った。

「写真」

 思いがけない単語に俺が聞き返すと新葉は頷く。

「おれ、瑠璃が来てからみんな頭がおかしくなったんだと思ってさ。でも考えると、俺の頭がおかしくなったかもじゃんか。だから書斎のアルバムを探して、家族三人の、瑠璃が写ってない写真を探したんだ」

 記憶と思い入れは同一のものだが、記憶と記録は全く異なるものだ。感情や新たな出会いに追い出されず、記録は常に一定にそこに留まり続ける。

 だが

「一枚もなかった。全部瑠璃が写ってた」

「……マジ?」

「マジだよ」

 寒風が吹いた。

 恐らく心中に吹いた怖気の具現であろう。

 どうも瑠璃は、人の記憶のみならず、過去の現象にまで干渉できるらしい。

「で、これがどう話に通じるかと言うとだな」

「冷静だねきみ」

「冷静でいられるかこんなこと。死にもの狂いだよ」

 死にもの狂いという言葉が、ただの例えに留まらない場合に直面すると、人は生唾が止まらなくなるものらしい。だくだく溢れる生ぬるい涎を飲み干し、続いて固唾を呑んで続きを待つ。

「おれはその時思ったんだ。どうせ誰も瑠璃のことを疑ったりしないのに、写真まで全部すり替えやがって、って。そんなことする必要なんて無いのに、何処までも欲張りな奴だと思った。けどさ、本当にそうなのかな」

「……そうとは?」

 新葉の言いたいことは何となく分かっていた。しかし訊いたのは、この少年が辿り着きし一種の解答は、彼だけのものだからだ。

「瑠璃が写ってた写真、全部見たよ。吐きそうだったけどちゃんと全部見た。山とか海とか入学式とかクリスマスとか、そういう……なんて言えばいいんだろう。思い出みたいな写真に写ってた」

 それは

【思い出を穢された】と

【異物が入り込んでしまった】と考えたっておかしくない不可解な現象のはずだ。

 しかし新葉の語り口から嫌悪感は滲まない。ただ彼の中で膨れていたのは、恐怖へと立ち向かう一滴の勇気だった。

「だから俺は思うんだよ。瑠璃のことは……本当にこわいけど」

 相手のことを考える。通常は、そんな行為は懐柔か侵略の為に働かれる。

 嗚呼だからこういう、普通じゃないくらい真っ直ぐな奴にしか見えない景色が確かにあって、俺はそういうものに憧れていたのだ。

「あの人は、本当は何処かに行きたいんじゃないか」

 熱を込めた口調で言い切って、表情は少しこわばった。

 瑠璃を肯定するような言葉を吐いて、果たして瑠璃を強大なものとして恐れている俺が賛同するかは掴めない。

 だがしかし、舐めるな小僧。俺は詐欺師。どうしようもなく詐欺師。

「合格。満点」

 ちいこき頭を手のひらでぐりぐり可愛がると、新葉はぎゃあぎゃあ騒ぎながら、逆に手のひらに頭突いてくる。圧力が嬉しかった。バカみたいな営みが当然にできる関係性は、いつまで経っても輝きを失わない。

「やさしー奴だよお前は」

「そんなことねえし」

「あるよ。俺はさあ……」

 だらしなく緩んだ口元の止水弁が、要らぬ言葉まで垂れ流しそうになる。

「俺は?」

「いや。そういうの良いと思う。グッドだぜ」

 歯も溶けるくらいに甘い。けれども単純に主体性が無いわけではなくって、現状の最適解を通しながら、誰でも救おうと頑張れる。

 俺は

 お前みたいな奴になりたかったんじゃないか、って。偶に思う。

「さて、じゃあ明日誘うか」

「明日ぁ⁈」

「早い方がいいんだよ。女を待たせる奴は、どんな理由があろうと最低だ」

「いやいやいや……」

 先ほどまでの雄弁な様とはまるで異なる小市民的なリアクションに、腹の底も愉快に踊る。これくらいのガキは、これくらいでいい。 

 解決策が見いだせたのなら、厄介ごとはさっさと終わらせるに限る。

 だって人は死ぬ。俺が明日死ぬかもしれないし──別の誰かがいなくなる可能性も当然ある。

 岸波新葉。大いなる悪い魔法に巻き込まれし勇敢な少年よ。

 どうか平穏に身を浸し、子どもにしか見れない夢を見て、遊び疲れる為にぐっすりと、なんの禍根もなく眠ってくれ。その忙しき瞳に安寧を。しかしどうか忙しく幸福で在れ。岸波新葉の瞳に星を。奪われし彼自身の星の巡りを、その体温が思い出す為に。

 俺が生ける限り継続する業は、今この瞬間はお前の為に。

「姉弟は仲がいい方がいい。実はな」

 笑えないことを笑って述べた。

 だから俺は詐欺師だった。


 翌日にレンタカーを借りて【岸波邸】を訪れると、既に二人は待っていた。瑠璃は白いワンピースにつば広の防止を被って、貴婦人のキノコのようである。

 二人は目を合わせない。

「さて何処に行くかな」

 遊びに行こうぜと呼び掛けて、しかし何処へ行くのかは決めていない。二人に決めて貰おうと思った。目的地を選ぶところから旅は始まっている。

 先日、会議終了後のこと。

 二人並んで瑠璃の部屋をノックすると、えげつないほど眉間に皺を寄せた美少女がうっかりとばかりに顔を出した。おいすげえ嫌われてんぞと新葉を見ると、新葉も同じ顔で俺を視ていた。随分仲良くなったものである。

「なんですか」

「わかってるくせにー」

 瑠璃の低い姿勢の問に、へらへら笑うと槍が飛んでくる。

「うざ……」

 罵詈を放ったのは新葉であった。なんで?

 顔を上げると瑠璃も頷いた。この場に俺の味方はいない。

 お前ら本当はもっと仲良くできるんじゃねえの?

 ──それは完全にモノローグ。俺にしか知り得ぬ尋常の思考。

 そしてそこに至るまでに辿った、岸波新葉という少年との問答は、無意識の内に復旧し、接続する。

 瑠璃の瞳が揺らぐ。

「わかりました。明日ですね」

「え? あ、おう」

「では」

 少女が扉を閉めるのと、俺たちがハイタッチするのは完全に同時だった。


 日差しの下で見る瑠璃は、光を吸い込んで煌めく宝石のようだった。これも魔法かと目を擦ると、バカにするように笑われたので地毛らしい。

 旅の行先の意見を求めると、瑠璃は、今更嫌がった。

 知らない土地を踏むことを嫌がった。

 あの箱庭の外の世界を怖がるのだ。全てを見通す癖に。

「そんなことを思われても困る」

 変な日本語である。

 にやにやしそうになっていると、瑠璃の表情が世界の最下層のゴミを睨むような眼になった。どんな顔で迎え撃てばさっぱりわからんかったので改めてばっちりキメてみると、綺麗な顔にやはり無限の皺が寄った。すみませんでした。

 では新葉はと言えば、やはり喜んでいるようには見えない。

 一目見て、この顔だけは無駄にも優れた俺を屑だと見抜ける瞳は、少し青い。

 星の無い宇宙のように。

 つまりこんな旅路は、すべて俺の手腕に掛かっているわけである。筋肉よ、爆ぜろ。人を救い上げる為に覚醒せよ。


 執拗に助手席に座ろうとする新葉に、俺の運転が荒いことと、助手席の死亡率を教えてやると、血の気を引かせてすごすごと見知らぬ姉の隣に座る。互いに目を合わせようとはしない。何処か罪悪感に近しい感覚は、無数の剣のように空間をけん制し合う。

 明らかに距離があった。歩み寄ろうとしなければ、その距離は無限と言って相違無い。

 そして距離間に続くように無音の時間が流れていく。なかなか耐えがたい苦痛だったのでラジオを付けると、陽気なおっさんが、昔自分が好きだった曲について語っていた。

 メロディだけ知っていたので軽く口ずさんでから振り向くと、若い二人はツンとしてそっけない。その様に苦笑してから、埒が明かないので連れていく場所は俺が決めることにした。

「シートベルトしめろよー」

 行き先は海。遥かなる青い海。季節にはまだ早いけれども、それでも未だにあの場所は、この下らない脳髄の更に中心で輝いている。

 三人目の彼女と一緒に行った、思い出の場所だ。

 ルームミラーに映る瑠璃は、不機嫌そうに口をすぼめた。






【詐欺師・12】

 三人目の彼女は金持ちだった。いつも忙しそうで、動きも頭の回転も早い。誰がどの角度からどう見ても、優秀で綺麗だった。

 名前を蓮と言った。カッコいい名前だと言うとくすぐったそうに口元をひん曲げる。

 ので、こんな可愛い人なのになぁと率直な意見を述べたら、一時間ほど目を合わせてくれなかった。やはり可愛い人である。

 彼女との出会いはやはり車に起因していた。

 秀子さんたちが亡くなったことを知り、全てがどうでもよくなって仕事も辞めて──いろんな人に迷惑と心配をかけて、けれどもそれすら気に出来ないほど俺の内側は赤く腐っていた。

 耳にイヤホンを捻じ込んで、当てもなく歩いた。自衛だった。朗らかな音の全てが、あの時ばかりは脳をも焼いた。子どもの笑い声も学生のお喋りも、道すがらの鼻歌も、全てすべてが異様なまでに癇に障った。雑念を塗り潰すくらいの激しいロックを鼓膜から直接投与して、狂気の線を越えぬようにと歯を食いしばる。

 太陽から逃げる方向へ。

 ひたすら歩き続けた。

 嵐の日の河川のように荒れ狂っていた。口から耳から氾濫した思考は溢れて止まらなかった。ブツブツと念仏のように世界へ呪言を吐き続けて、それらは全て自分に跳ね返ってきた。けれども言葉の意味を理解するよりも早く次の呪いが溢れて止まらなかったから、俺はマイナスの永久機関となってエネルギーを消費し続けた。そんな不気味なカタマリは、最後の自尊心として、誰かと関わることでこの醜さを晒したくはなかったから、地面を話し相手にひたすら歩き続けて

 力尽きた場所は高速道路の真ん中だった。

 千切れたイヤホンのコードが丁度はだけた心臓の辺りに触れていた。しかし無音。無音。地面の下へ沈んでゆく。血が足りていない感覚があった。身も心も冷たく死んでいた。

 秋口も近く、少し涼しくなってしまった大気とは異なって、太陽は心地よくアスファルトを温めていたものだから、まるで羽毛に包まれる幻覚のまま、誰かに轢殺されることを望んでいた。今思えば皮肉なことだ。

 そして通りかかった深紅のスポーツカーは恨めしいくらいにギラギラ燃えていたものだから、俺は『嗚呼こんな金持ちの人生狂わせて死ねるならおもしれえや』と全く以て不義理な感情に支配されながら。絶無に遂げる痛みを待っていた。

 しかし道端のゴミを無視できなかった優しい運転手は、固い音を鳴らして地面に降り立ち、死に体の俺を覗き込む。

 どうも面白がるようでもないし、かといって興味がないようでもない。なんとも妙な表情だった。けれどもただ一つ理解できたこと。

 逆光の最中であっても、彼女は眩かった。


 蓮はいろんなものを食わせてくれた。いろんな場所へ連れて行ってくれた。彼女の趣味はドライブだった。無論愛車はギラギラのスポーツカー。車種も社名も一ミリもわからないが、しかしそれが失われし男児の魂をも燃やしちまうほどカッコよく、深紅に輝いていたことは確かな記憶だ。

 そんな些細な旅の中で、一番楽しかったのは海だった。秋も深まったある日のこと、ドライブ行こうぜと鍵をクルクル誘われて、アホのように激しくヘドバンをかます。事実アホだろとかそういうのは要らない。

「何処行きたい?」

 凛とした声で訊かれたものだから、咄嗟に「海!」

「今ぁ?」

 鼻で笑われて、けれども嫌な気分はしない。彼女とならば何処であろうと楽園だった。

 生前姉さんが言っていた。『彼氏できたら海行きてえー』と。果たしてそれが秋に行くことを示していたかは、今では定かではない。だがまあ、違うと思う。

 しかし季節が何時であれ、潮風が涼しく肌を撫ぜようと、楽しかったものは楽しかったのだ。向かった場所は日本海側。ああ、魚も美味かったな。

 深い青は、しかし明日の天気に透かされて、染みわたるように煌めいた。

 その光にキラリ目を焼かれ、諸手を振り回してはしゃぐ俺を見て、彼女はケタケタ笑っていた。笑いすぎて涙を零すことすらあった。

 彼女には家族がいなかった。

 少なくともまともな奴はいなかった。

 だから正直、彼氏彼女というよりも、何処か弟のように見られていたような気もする。でも俺はそれが嫌じゃなかったし、何より救ってくれた人が望むのならば、こんな木偶の坊は針の束だって飲み干せる。

 そういう男になるのだと、かつて誓ったのだ。

 彼女に憧れて免許を取ろうと思った。

 いつか彼女には、助手席でゆっくりとつまらないラジオでも聴きながらくつろいでもらって、俺がハンドルを握る。

 強く吹く風が身体を冷やしたならば二人で温めればいい。そういうことが出来る相手がいるというのは多分に幸せだった。蓮は手を繋ぐことが好きだった。今もその体温は俺の真ん中で燃えている。

 運転は疲れる。やって分かった。

 でも二人で交代しながら進めば、何処へだって行ける気がしていた。


 免許証の最終試験の前夜、俺が教本を眺めながら最後の復習をしていると、隣で構って待ちのまま、ぐでぐでしていた蓮が唐突に手を打った。何かを思い付いたようだった。今からドライブ行こうとか言われたら流石にどうしようとか考えていると、彼女は「修理」と名を呼んだ。

「はいなんスか」

「免許取れたらさ、ご褒美あげるよ。何がいい?」

 今しがたまで覚えていた単語が全部吹っ飛んだ。

 ご褒美ってなんぞ。何までなら求めていいんですか。それって健全な提案なんですか。訊きたいことがもぐら叩きみたいにポコポコ生まれて、思わず視線は蓮へと向く。しかし彼女の瞳はまんまるに、首もゆるりと傾いた。瞬間ふと思い出す。蓮はそういう駆け引きをするタイプではない。これもまた、彼女の優しさの当然の発露だった。

 だから一度息を大きく、長く、吹いてから自分を律する。

 誰かが自分の為に何かをしてくれる。そういう提案を気軽に出来るというこの関係性。壊したくない失いたくない、だから燃えるジョニーを押さえつけよ。

 ──まあそれはそれとしてご褒美の梗概くらいは聴いていても何ら不便なことは無いし別に気にしてるわけじゃないけど目標なんてものはなんぼあってもええですからね、はい。

 不健全男子ですから。

「どしたのフリーズして」

「こういう時、普通の男子高校生なら何を欲しがるのかなぁ、と」

 一般的健全なる男子高校生を例に置いた場合、同居している美人なお姉さんに『ご褒美何がいい?』とか言われたら何を求めるのだろう。いやあー、わっからんなあー。マジで。

 というのは無論建前である。俺は脳内の助平的妄想の発生源を世間一般の持つ男子高校生のイメージの中に結び付けることで、幼稚な戦略としていたのである。

 しかしこういう愚かしい番外戦術は、年上のお姉さんには通用しない。

「普通じゃなくていいんじゃない?」

 俺の幼稚なブラフを上からばっさり切り捨てて、蓮はちょっとばかし寂しそうに笑う。そして身体を少し寄せて、彼女の瞳に俺がそっくりそのまま映るんじゃないかってくらい近づいて。

「修理が欲しいものでいいんだよ」

 贈り物には相手が欲しいものを。

 クリスマスとバレンタインと誕生日が大嫌いな俺に、その【当然】は眩し過ぎて

 嗚呼俺は一生、蓮には勝てないのだと悟った。


 例に漏れず。彼女も死んだ。

 車に轢かれて、四十メートル引きずられて死んだ。

 美しい彼女の姿は見る影もなく崩れていた。





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