鈴の音
「私は恋をすると、耳の奥に小さな鈴の音が聞こえるのよ」
と私が書いたら、どう思いますか。
きざっぽい?
少女小説にしても、「鈴の音はないでしょう」とか、「作り過ぎ」、と言われると思うのですが。
今日はその「鈴の音」の話です。
―――――
村上春樹は短編「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中で、彼が恋をすると、「心臓が脈打ち、呼吸が早くなり、耳の奥で小さくなっている鈴の音が聞こえる」と書いている。
さて、この短編の中には三人の女性が出てくる。そのうちのふたりが、僕の鈴を鳴らした。
一人目は主人公の「僕」と同じ神戸の高校で同学年だった(と思われる)美少女。ただ名前も知らないし、それも「会った」のではなく、「見かけた」だけ。暗い廊下で、スカートのすそを翻して早足で通り過ぎたのを。ただ一度見ただけ。その彼女は「ウィズ・ザ・ビートルズ」のLPレコードを胸に抱えていた。
その彼女は鈴を鳴らしてくれた。
もうひとりは、東京の大学で出会った女性。「僕」は卒業後に彼女と結婚して、東京に住み続け、ものを書いて生活している。この彼女も、鈴の音を鳴らしてくれた。
この小説では、もうひとりの女性が出てくる。僕は彼女を名前ではなく、「ガールフレンド」と呼ぶ。彼女のことは長く語られているのだが、読者は彼女の兄の口を通して。その名前が「サヨコ」だとわかる。
サヨコは高校一年の時に同じクラスで、二年になった時、彼女から声をかけてきて付き合い始める。僕の初めてのガールフレンドである。
「わたしって、すごく嫉妬深いの」
と彼女が言った。
「ふうん」
「それだけは知っておいてほしかったから」
「いいよ」
「嫉妬深いってね、時にはすごくきついことなの」
僕も彼女が好きで、キスもしたし、抱き合ったし、「おそらく十代の時にしか手にいれることのできない素晴らしい時間を共有した」のだった。
しかし、東京の大学に進んだ僕は、別の女性と知り合い、鈴の音を聞き、神戸のガールフレンドには、六甲山のホテルカフェで、別れを告げることになる。その時、彼女は何も言わず、ハンドバックを抱えて、早足で出ていった。
以後、一度も会ってはいない。結局のところ、彼女は鈴を鳴らしてはくれなかった、と僕は書く。
それはなんだい、と私は思う。
年月が流れ、僕は三十五歳になり、渋谷で偶然にサヨコの兄に出会う。
そして、サヨコは二十六歳で結婚して、子供を二人産んだが、三十二歳で自殺したと伝えられる。
「サヨコが自殺するかもしれんなんて、一度も考えたことがなかった」
と兄は言う。
それも、睡眠薬を貯めておいての、計画的自殺だという。
最後にこの兄は言う。
「サヨコはきみが一番好きやったんやと思う」と。
この兄も、僕も、サヨコのことをわかっていないように見える(そう書いてある)けれど、たぶん女性なら、わかる部分が多いね、と私は思う。彼女が彼を選んだり、あのセリフを言ったり、自殺したり。女の方程式には、ぴたりとはまっている気がする。
全然、想像もできないのが、「鈴の音」のこと。
そういう経験がある人は、ほかにもいるのかな。
村上さんだけの経験かもしれないし、創作かもしれないけれど。そういう稀な経験、描写なら、わからない読者がいることを想定して、もっと別な表現をしてほしかったと思うのは私だけだろうか。
この二ヵ所の「鈴の音」が、モノクロ画に、そこだけアクリルの赤が塗られているようで、違和感がある。
それがよいのかもしれないし、そうでないのかもしれないし、そこはわからない。
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