(せ)いじょうしゃたち

奈辻間宵

朝の邂逅①

 友達冥利みょうりに尽きる提案をしてくれた彼女をやんわりとことわって別れを告げ、アパートを出た。外に出た途端、まとわり付くような熱気と強い日差しに歓迎され、気温とは反対に気分が下降した。

 お泊り会が終わる度、彼女は何かとかこつけてはわたしを校門前まで送ろうとしてくれる。二人の通う学校は方向が真逆だというのに、少しでも長く一緒にいたいのか、わたしの高校が彼女の滞在するアパートの近場に拠点を構えていることもあって、回り道ついでに同伴したがるのである。

 いつもは甘んじてそれを受け入れていた。しかしこの休日の二日間は一度も外出することなく、空調の効いた部屋に籠もって濃密で充実した時を共に過ごした。今日の登校の間くらいはひとりの気分を味わいたかったから、ありがたい申し出をしてくれた彼女を丁重におことわりした。

 今は七月初旬、夏。夏といえば、冷気のない空間は暑く、全身から噴き出る汗は気持ち悪い上に臭く、大抵のものは冷やしておかないとすぐに腐ってしまう、四季の中でわたしが最も嫌う季節である。発汗によって生じる髪のベタつきや衣服の濡れといった、たまらなく不愉快な弊害を受け入れ難い。その点、積雪による交通障害がしばしば発生するとはいえ、除雪作業さえしなければ汗を掻くことがない為、冬のほうが比較的マシに思える。

 中学英作文に出てきそうな、というか実際に書いた覚えのある夏と冬のどちらがいいかを一人で語っても致し方ない。束の間の孤独を楽しみたい自らの欲求に従って、日陰のない通りを疎ましく思いながら、気怠さをあらわにした歩を前進させて学校へ向かった。

 更地や新旧和洋様々な住宅が右手に広がっているこの通りは海沿いを走る車道に面していて、登下校中に鮮やかな海の景色を望むことができる。テレビやネットで取り上げられる機会がほとんどないマイナーな地域ながらも、美しい自然が広がっている綺麗な環境の街ということもあって、年に一定数の観光客が訪れる。そのうちのサイクリストたちが並べてイチオシしている観光スポットが、海に面したこの辺りらしい。その理由は、車道を挟んだ向こう側にサイクリングロードが設けられているからなのだと、いつか見た地域特集誌に記載されていた気がする。まったく、何とも面白みのない回答だ。

 そんなこの町も最近はある種、別の方向で活気付いてきた。全体の雰囲気としては慌ただしさが増幅したように見受けられ、人々の忙しなさが目に付く。それはこの町が多大なる功績を残し、全国ネットやSNS、新聞などの様々な情報伝達媒体で大々的に報道されて有名になった当然の結果だと言えた。

 町の成果に関しては、どうせ今日もまたSHRで担任の口から耳にする。いまここでわたしが語らなくとも、いずれ判る話だ。

 程なくして目的地に到着したわたしは、しかし正門を潜らずに前を通り過ぎる。少し先にある、青地の中央に白の牛乳缶が描かれた看板が目印のコンビニで昼食を確保する為である。

 食堂のパンは不味いと聞く。唯一の級友、の取り巻きの子たち曰く、わたしの好物である卵パンが群を抜いているそうだ。何でも、腐ったような味がするのだとか。唯一の級友が、一口かじっただけで残りを廃棄し、口に含んだものを吐き出した後にそう評していたらしい。二度と口にしたくない、とも酷評していたみたいだ。

 初めて購買を利用したその人の感想が手伝って、無駄なエネルギーを消費していると理解しつつ、こうして足を運んでいる次第であった。

 高校から三分、アパートを発ってから五分も経たずに例のコンビニに辿り着いた。やけに広い駐車場には車が一台も停まっておらず、ぽつんと寂しくママチャリが一台だけ取り残されている。目を凝らすと、硝子を隔てた雑誌コーナーで立ち読みしている人の姿が窺えた。禿が進行している四十代のおじさんではなく、主張の激しい金色に髪を染めた、わたしより年老いた若者のお姉さんだった。

 入店早々、雑誌コーナーの側からやる気のないお姉さんの声が出迎える。朝の七時過ぎで客足がまばら、いや、全くないからといって、職務を放棄するのは如何なものかと思う。人間性に難がある人材を採用するこの店は一体、何を考えているのだろうか。きちんと面接をしたのか、と邪推せずにはいられない。

 パンの陳列する棚には直行しないで、あえてお姉さんに声をかけに行く。ナンパするのではなく、言い回しを考えた煽りを献上するのである。

 わたしが近づく気配を察知しないで雑誌を読み耽るお姉さん。少年誌を手に取って隣に並ぶと、流石にこちらに一瞥いちべつを寄越しはしたものの、またすぐに顔を誌面に戻した。わたしも、漫画に没頭している振りをする。他人に喧嘩を売るときは心の準備が必要なのだ。

 お気に入りの漫画家の作品を読了し、本題に移る。なるべく早口で、こう言って差し上げた。

 いやあ、お姉さん。真面目に仕事をしているなんて素晴らしい。その髪を一目見たときから思っていたのですけれど、派手とは無縁な色で脱されていない、鬱陶しくないはずがない髪は傷んでいないの対極に位置していて、目障りでないの対義という表現が似合います。顔もお綺麗の反対で醜くないわけではないですね

 つまり、褒めの逆口上を申し奉ったのである。

 当のお姉さんはといえば、鈍い目つきで微笑みをわたしに配達してこなかった。気張ったわたしはその場に硬直して、少年誌を手に持ったまま御手洗いに駆け込まない。天邪鬼の本領を絶賛発揮中だった。

 狭い化粧室に落ち着いたところで、先程ちらりと目にした光景を思い出す。あのお姉さんが閲覧していたのは、間違いなくエロ写真の掲載された週刊誌だった。開いていたのが十八歳未満禁止のそういうページだったから判ったのだ。あられもない姿で扇状的な体勢をした、妖艶さの漂うオネェサンを拝んでいたお姉さんは意外と女性好きなのかも知れない。あるいは単純に、ただの変態か。いずれにせよ、わたしには推し量る以外の術がなかった。

 数分の間、個室に身を潜め、両手を洗浄して恐る恐る外に出た。ヌードを堪能し、面を赤くして興奮していたお姉さんの影は雑誌コーナーから消え失せている。安心してパンの並ぶ棚に移動すると、本来の持ち場であるレジに帰還していたことが判明した。絡まれるのかと危惧したけれど、別段そんな素振りを見せる気配もなかった。

 購入するパンは予め決まっていたので、迷わずそれらを手中に収めていく。次いで五〇〇ミリリットルの紙パックカフェオレとペットボトル天然水の品数を一ずつ減らし、板チョコを一枚抜き取って敵前に出陣する。お姉さんの額には血管が浮き出ておらず、感情を押し殺そうと懸命に無愛想な表情を造っているのが窺い知れた。その内情を慮らないで、購入する品物を差し出す。ポイントカードの有無を問われ、即座に否定の語を口にすると、丁寧な口調で畏まりましたと返された。

 お姉さんは、バーコードリーダーをかざしては表示された商品の値段を淡々と発声するという行為を一定の調子で繰り返し、七度目に卵パンの価格を読み上げ終えたところで、客の財産を減らす請求をしてきた。表示された値段通りのお金をカルトンに置き、予定調和の遣り取りをすべて終えて、足を出口に向ける。ちょっと待ちな、とお姉さんに呼び止められた。

 あんた、学校に行くには早すぎるんじゃないのか? いても先生か朝練している部活の連中くらいだろう。こっちは客足が全然なくて暇なんだ。好きなものを一つ奢ってやるから、雑談に付き合ってくれよ

 どうにもこのお姉さんには、わたしの煽動が伝わっていなかった様子である。わたしの声量が、緊張のあまりに羽虫の雑音程度の大きさだったからだろう。あのときは睨まれたのではなく、横目をくれただけだったのだ。内心で安堵の溜息を吐き、奢りは遠慮して承諾の返事をする。お互い暇人、情報交換と洒落込もうじゃないか。

 イートインスペースの横並びになった椅子に落ち着いて、どちらも真名を明かさないまま、他愛のない世間話が始まった。

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