第56話


彼女の部屋を出てすぐに、僕はもう一度部屋のドアをノックしようとした。

が、その手はラリーに止められる。


「離してくれ!」

「いいや、離さない。君は少し冷静になるべきだ」

「でも、僕は彼女に酷い事をした。それを謝って……」

「君も聞いただろう?アンナは僕達に帰れ、と言った。ノックしても彼女は会ってくれないよ。今は帰った方がいいんだ」


僕の言葉を遮って、ラリーは僕の腕を掴んだまま廊下を歩く。


「また明日にでも出直そう」

「いやだ!僕は彼女に謝りたいんだ!」


僕が反論しようとしても、ラリーは聞く耳を持たず、僕の腕を引いたまま、ずんずんと廊下を歩く。

腕を振るが、ラリーの力は強くて、振り離せない。

この細い体のどこにそんな力が?と驚く。


ラリーはガードナーから僕の分まで帽子を貰うと、彼ににこやかに挨拶をして玄関を出た。

もちろん、僕の腕は掴んだままだったので、不承知ながら僕も出る羽目になる。

ラリーは屋敷を出て、更に門まで出た所で、僕の腕を離した。


その頃にはもう抵抗する気も失せていた。


ただそのままでは恰好付かないので、ラリーの手から乱暴に帽子を取り上げ被ると、服の乱れを直した。


「さぁ、帰ろう」


ラリーは僕がまた門をくぐるのかと思うのか、僕の背中に回った。


「分かった。帰るから。だから僕の後ろに立たないでくれ」


そう言って屋敷から離れる事だけが、その時出来る精一杯だった。

下宿まで、僕達は並んで帰った。


話す事はない。


下宿の玄関に入り、階段を駆け上り、僕は自分の部屋に向かった。

部屋に入ってドアを閉めようとしたら、外からドアを押し返される。


「ラリー、一人にしてくれないか?」

「君と少し話がしたいんだ」


ラリーはドアをぐいぐい力任せに押して、ドアを開けようとする。

僕は息を吐いて、それからドアを開けた。


「止めてくれ。ドアを壊したらハリナンさんに怒られてしまう」

「君が、だよね?」


ラリーは僕にウィンクすると、それでも入れないように、と前に立っていた僕を押しのけ、部屋に入って来た。

帽子を脱ぐと、勝手にソファに座る。


「どうしたんだい?ここは君の部屋だ。座ったら?」


僕はこれ見よがしに息を吐いて、それから帽子掛けに帽子をかけ、ソファに座った。


「僕には話す事なんてないんだけど?」


ラリーと目を合わさない様に横を向く。


「ロビンって、誰?その男は本当に死んでいるの?」


ラリーはいきなりそこを突いた。

僕は、話したくない、という事をアピールする為に黙っていたが、ラリーは僕の言葉を黙って待っている。

ちらっと目を動かし伺うと、その表情は真剣で、話すまで帰ってくれなさそうだった。


「………“ロビン”は、彼女の家庭教師の息子だよ。幼なじみで、彼女の為にその資産をなげうった男だ」

「えっと………資産って?」


ラリーは首を傾げた。

知らないのか。


僕は、エリックから教えられた彼女と“ロビン”に関する事をラリーに話した。

ついでに、過去に彼女が作家から求婚されていた事やなんかも話す。

そうすれば、さっきの僕の態度を納得してもらえるだろう、と思ったからだ。


「分かるだろう?彼女はいもしない男の事をまだ想ってる。それが彼女の為にならないって、君も思わないかい?」


ラリーは腕を組み、目を閉じ、黙っていた。

何かを考えているようだった。

僕はその沈黙に耐えられなくて、だから口を動かす。


「僕は彼女に未来を生きて欲しいんだ。僕なら彼女と寄り添って生きていける。だって、僕以上に彼女を愛している男は存在しないんだ。確かにあの部屋でトム・スチュワートの本を読んだ時は驚いたさ。今の僕と同じ様な境遇だったから。でも、彼は振られた。僕と彼は違うんだ。トム・スチュワートは振られて、僕はまだ振られていない。だって、告白してないんだから」


ラリーが目を開いた。


「いいや、ヘンリー。僕が見た所、君は振られたよ。彼女は言っただろう?“ロビンを愛している”って。その男が今、目の前にいようがいまいが、そんなのは関係ないんだ。女ってのは、そういう生き物なんだよ」


ラリーは身を乗り出すように、ソファに浅く腰かけなおした。


「いいかい?この場合、彼女が“ロビン”は傍にいる、と思っている事が重要なんだ。今聞いた限りでは、彼は失踪しているだけで、死んでいるのか分からないけれど、どちらにしろ、彼女は彼がいない事を悲しんでいる様には見えなかった。つまり、あの部屋に彼はいて、彼女には彼の姿が見える。もしかしたら会話も楽しんでいるのかもしれない。それがどういう事だか分かるかい?」

「………彼女の目や頭がどうかしている。だから僕は彼女を正気に戻す手伝いをしなくちゃならないんだ」


ラリーは頭を振った。


「ムリだよ………少なくとも今は。エリックがそれを教えてくれたって事は、かなり広く知れ渡っている事なんだろう。さっき話に出たトム・スチュワートもそれを聞いたはずさ。君と同じ様に考えて、同じように行動して、でも彼女は変わらなかった。彼の本を最後まで読めばそれがはっきりするだろう」


その本を買って来るから題名を教えて、とラリーは立ち上がり、僕の机から紙とペンを取る。

僕はその題名を口にしながら、一つの疑問が浮かんだ。


「………君はどうしてそんな事が分かるんだい?彼女の心情が、さ」


ラリーは肩を竦めた。


「だって、そういうのを僕は書いているからね。女性と付き合った経験は少ないけれど、劇場にはそんな話ばかり転がってる。耳年増にもなるさ」


だから、とラリーは続けた。


「君が僕を牽制する為に打った手は、見事だ、と思う。僕だって相手より上だ、と見せつける事の出来る手駒は全部出しただろうから。おかげで僕の彼女への恋心は霧散してしまったよ。残っているのは、彼女と彼女が住む世界への憧れだけさ」


そう言って、題名を書いた紙をポケットに入れた。


「じゃぁ、本屋に行って来るよ。お代は君もちだからね」

「分かった……ぁ、いや、ちょっと待って」


ラリーは帽子をかぶろうとした手を止めた。


「どうして君は、そんなに親切なんだい?」

「それは………僕が君の話を元に、一本書こうと思っているからさ。きっと大当たりだ」


ラリーは、ニヤッと笑って、部屋を飛び出していった。


「………僕が主人公になるのか?」


僕は考えた。

自分の境遇が、果たして主人公に相応しいのか?と。


今の僕は、例えて言うなら、自分の恋心を優先する為に友人を追い落とそうとした男、だ。

しかも、恋する女には他に好きな男がいて、ムリやりにその心を自分の物にしようと足掻く男。


………なんだ。


そんな話は今までだってたくさんあったじゃないか。

僕はその事に気付いて、笑った。


「大当たりが期待できる話ではないなぁ………」


少なくとも僕は書かない。


はぁっと息を吐き、ソファに横になった。

ラリーが帰ってくるまで、そのままそこで寝て過ごした。


夢は見なかった。

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