第46話


それから2年もすると、時々、姫に縁談話が持ち込まれる様になった。


姫は17になっていた。


17と言えば、嫁に行って、早い人は子の一人も生んでいる年頃だ。

姫自身の美しさと、姫の持つ莫大な資産も物を言ったのかもしれない。

姫が魔女だという噂も、消えてしばらく経っていた。


家族はこれに賛成も反対もしなかった。

嫁に行かれては、姫に頼り切っていた資産運用を今後どうしたらいいのか?という問題が出てくるが、以前のように困っている訳ではない。

姫が興した会社の社長になり、それぞれが独立している。


ちょっとやそっとの失敗は気にならない程度に、彼らの資産も増えていた。

今後、自分達で運用しても、まぁ、何とかなるだろう、と彼らは考えた。

姫が嫁に行かなければ、この先も運用を任せて、自分達はその指示のままに動けばいいだけだから、こんな楽な事はない。

家族はだから、積極的に動かなかった。


姫は縁談話を、ことごとく断った。

相手の氏素性など聞く気もない。

出かけた先で偶然を装って出会っても、無視するか、挨拶を交わすのみ。

姫の興味の対象は、常に、自分の物となった出版社を通じて紹介される作家に限られていた。


姫はその作家を気にいると、屋敷に招待した。

姫はガードナーさんの案内なしに、彼らを部屋に通すように指示した。

いつも屋敷にいる、姫の母親にも引き合わせた。

姫が信用している、と彼らに思わせる為に。


彼らはすぐに、勝手に屋敷を訪れるようになった。

そのうち、本に夢中な姫を正気付かせるには、口付けが有効だと気付く。


僕の時の様に、姫が教えたのではない。

姫はとても魅力的だから、彼らが姫に誘われるように口付けるのがいつも始まりだ。


彼らが姫に口付けるのを、僕は見ていた。

正気付く時、姫は彼らの名を呼ばなかった。


絶対に。


それは僕と彼らを分ける一線。


彼らが口付けているのを見るのは苦痛だったが、その後の悦びを何倍にも変えてくれる行為でもあった。


「あぁ、ロビン!!」


その日、姫は部屋に戻ってくるなり、僕に抱き付いた。


「ありがとう!あなたのおかげよ!!」


こんなに興奮した姫を見たのは初めてだった。

僕は勢いで倒れてしまわない様に姫を支えながら、その理由を聞いた。


「どうしたんですか?一体何があったんです?」


聞きながらも、その答えを想像していた。

姫は今日、出版社主催のパーティーに出掛けた。

その先で素敵な事が起ったんだ。

多分、僕の望んだ様な。


「そんなにパーティーが楽しかったんですか?」


姫は頭を振った。


「いいえ。それ程は。あまり楽しくなくて、見知った顔の作家と話していたの」


その時話していた作家は、姫のお気に入りと言う訳ではなかった。

前に編集者から紹介されたから知っていただけ。

姫が出版社のパーティーに行くのは、作家と知り合う為。

だが、今日のパーティーに来ている作家は少ない様だった。

つまらないから帰ろうか、と思っていた時に、後ろから声をかけられた。


「あの会社の社長よ。彼、私に紹介したい人がいる、と言って、私をエスコートしたの」


社長は姫の向かいに立っている作家に適当に挨拶すると、さっさと姫の腕を取った。


「遅れていらっしゃったんですよ。その方、腰の重い方で。もういらっしゃらないかと思っていたんですが、来てくれた。ぃやぁ、良かった、良かった」


社長は、相手が誰だと教えずに、ひたすら相手が来た事を喜んでいる。


「私とその方とはもう10年来のお付き合いでしてね。私以外の人間が声をかけても来てはくれなかったんだと思うんです。ぁれ?この辺にいたんですけどね………あっちかな?」


姫はイライラした。

社長が、自分を連れ回す事だけでなく、相手が来た事を自分の手柄の様に話すから。

相手が誰だか知らないが、社長の態度で相手が気紛れな大物だろうと想像はつく。

姫がもう帰る、と言おうとした時、社長が、いた!と声を上げた。

社長の視線の先には、白髪の男性の背中があった。

姫は社長の引きずられる様にして、そちらに向かった。


「こちらにいらっしゃったんですか!先生、ご紹介します。こちら、アンナ・ケフナーさんと仰います。わが社の株主でいらっしゃいます」


男は、ゆっくりと振り向いた。

白い口髭を蓄えた初老の紳士。


姫はその男に見覚えがあった。

随分と老けた。

でも、見間違えはしない。

姫が何と言葉をかけるか迷っていると、男の方から挨拶した。


「初めまして。わしはマシュー・フォークナー」

「………初めまして、先生。御作はとても楽しく拝読させて頂いています」


この国にいなかった間に彼が書いた本は、手に入れた。

どれもが初版本だったが、残念ながらサインの入っていない本もある。

でも読むだけならサインの有無は構わない。

いつか手に入れる機会もあるだろう、とその日を楽しみに待つ事も出来る。

その機会が、今、向こうからやって来たかもしれないなんて!


姫は心臓が高鳴るのを実感した。

もしかしたらその頬は、嬉しさのあまり紅潮していたかもしれない。

姫は気持ちを落ち着かせ、右手を出した。

が、フォークナーは姫の右手を無視した。


「それは光栄至極。しかし、あなたの様なうら若き乙女には、わしの駄文は古臭く、高尚過ぎたのでは?」


姫は右手を下ろした。


こういう人だった、と姫は懐かしく思った。

文章は以前よりも落ち着いた雰囲気を持っていた。

きっと彼自身も落ち着いたんだろう、と思っていた。


でも。


この人はあの頃と変わっていない。

それが嬉しかった。


姫は返した。


「確かに埃を被っていましたけど、聖書ほどではなかったわ。それに駄文だと御自分で仰っているのに、私がそれ以上の事を申し上げるわけにはいきませんわね」


社長はおろおろしていたらしい。


言葉だけ聞けば、作家は姫に、お前には自分の文章は難し過ぎただろう、と言い、姫は、作家の文章は古臭く拙い、と作家に言っているのと同じだからだ。

フォークナーは気難しい事で有名だった。

自分の会社の株主が作家と知り合いになる事を望んでいる事を知っていたから、この国一番の作家を紹介した。

ボスの機嫌を取る為にやった事が、ボスだけでなく、作家の機嫌を損ねることになろうとは、想像もしていなかった。


この先、作家に書いてもらえなくなるかもしれない。

ぃや、自分は職を失う事になるかもしれない!!

その時の社長の心情を想像すれば、大体こんな所で間違ってはないだろう。


だが、姫は知っていた。

作家は皮肉やウィットに富んだ会話を好む。

フォークナーは、にやっと笑った。


「ほう。なかなか面白い。ミス.ケフナー。わしの噂を知らんのか?」

「アンナと呼んで下さって結構ですわ、伯爵。えぇ、私は知りません。どんな噂の主ですの?」


フォークナーは自分の事を“伯爵”と呼ばれて、目を丸くした。


「わしが“伯爵”だと、どこで聞いた?」

「ぁら、皆さんご存じじゃないの?それよりどんな噂?私に関する物よりも凄いのかしら?」

「なんと、アンナも噂になった事が?」

「えぇ」


フォークナーは姫に興味を持った。


「のう、アンナ。こんな騒がしい場所を出て、お茶でもどうかね?」

「どこか良い所をご存じ?」

「もちろん」


彼は姫をお茶に誘い、もちろん姫はそれを受け。

二人はパーティー会場を出た。

社長を置き去りにして。


パーティーはある貴族の城の一部を貸りて行われていた。

フォークナーはその貴族と知り合いだった様で、出席者は立ち入り禁止だった中庭に姫を案内した。

姫は自分がメアリーだった事を知られない様に言葉に気を付けながら、それでも彼との久しぶりの会話を楽しんだ。

フォークナーは姫を車で屋敷まで送った。

そして、次のデートの約束をした。


「それでね、ロビン。私にこれをプレゼントしてくれたのよ」


姫は僕から離れると、その手に持っていた本を見せた。


「最新作なんですって。まだ本屋には並んでいないの。送ってくれる途中で、彼の屋敷にも寄ったのよ。私が早く読みたいって言ったら、これを取りに寄ってくれたの。それにほら!」


姫は表紙を開いた。

そこにはフォークナーのサインと今日の日付。


「あぁ、良かったですね」


僕は心底そう言った。

二人が知り合いだった、と聞いたあの日から、僕は、この日の為に出版社の株を買い漁った。

姫とフォークナーを会わせる為に。


彼が姫の“薬”だったなら、こんな事はしなかった。

姫が彼を愛していた、と言っていたら、こんな事はしなかった。


僕はただ、今のように姫が僕に感謝してくれる事を想像しながら、株を買うように指示していた。

だが、二人が出会うまでに2年もかかってしまった。


この間、ケフナーの物になった出版社の数は大小合わせて50は超えている。

この国のほとんどの出版社を抑えてしまった。

残りの出版社もほとんどの株を買っている。


もちろん、今までも出版社を通して何人かの作家と会い、彼らからサイン入りの初版本を貰っていた。

その時々で、姫は喜んでいた。


が、今日の様な喜び方は初めてだった。

この顔を僕は望んでいたのだ、と思った。

姫の嬉しそうな顔を見るのが、僕の望みだったのだ、と。


「ロビン、ありがとう」


姫はもう一度、僕に抱き付いた。


「あなたのおかげよ。あなたのおかげで今回はたくさんの本が手に入る」


本当にありがとう、と姫は僕を抱きしめた。

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