第15話



 太郎坊が、羽団扇はうちわを大きく仰いだ。


「烈風扇破!」


 風圧が、俺に向かって放たれた。烈風が空気を切り裂き、俺の身体を押し返そうとする。ただの風じゃない——熱気が上乗せされた圧縮波。まともに食らえば、吹き飛ばされるだけじゃすまない。


 でも、俺は黒い翼を丸めて身体を包み、風圧を受け流した。衝撃が翼を叩くけど、重力で固定して踏みとどまる。翼の表面を滑るように風が流れていって、俺の身体には届かない。


「っ……!」


 太郎坊は驚いた表情を見せた。でもすぐに、再び団扇を仰ぐ。今度は連続で。風圧が次々と俺に襲いかかる。一発、二発、三発——途切れることなく放たれる風の弾幕。


 俺は修験道の秘術を使う。靴裏に黒い紋が一瞬浮かび、次の瞬間、斜め上方向に踏み出して加速する。空を踏むように、風圧の間を縫って進む。太郎坊との距離が縮まっていく。でも、太郎坊も速い。オレンジ色の風翼が展開され、一気に後退する。まるで風そのものになったように、滑らかに空中を移動する。俺が近づけば離れ、俺が止まれば攻撃してくる。完璧な間合い管理だ。


「黄金疾風!」


 太郎坊の速度が一気に跳ね上がった。風翼が黄金色に輝き、瞬間的に加速する。視界から消えたかと思うと、俺の背後に回り込んでいた。速すぎる。俺の反応速度でも、ぎりぎり追えるかどうかってレベルだ。


 ——速い!


 俺は反射的に身体を回転させて、防御態勢に入る。次の瞬間、風刃が飛んできた。紅蓮の羽根の姿をした高温の風刃となって、俺の翼を叩く。次々と飛んでくる紅蓮の風刃。


 ガキン、ガキン、と硬い音が連続で響く。翼が風刃を弾くけど、衝撃が全身に伝わってくる。翼腕が痺れる。翼を維持するだけで、精一杯だ。


「くっ……!」


 俺は身体ごと翼を回転させて、風刃を全て弾き飛ばした。遠心力を利用して、軌道を逸らす。そして振り向きざまに、太郎坊に向かって重力波を放つ。


零重唱グラビティ・ダウンビート!」


 太郎坊の頭上に局所重力を叩きつける。見えないハンマーが、彼女の身体を押し潰そうとする。空気が歪んで、重力の波紋が広がる。でも——


「黄金疾風!」


 また、太郎坊の風翼が黄金色に輝き、急加速してかわされる。重力技は発動に溜めがある傾向がある。風術から繋げたり、仲間のお膳立てがあれば強力な技なんだが、こうして単独で撃っても、読まれて避けられてしまう。


「なっ……!」


 こいつ、ただの魔法少女じゃない。


 太郎坊はニヤリと笑った。王子様みたいな、でもどこか子供っぽい笑顔。


「ボクのスピード、どうかな?」


「……やるじゃん」


 俺も笑い返した。この子、強い。予想以上だ。攻撃力も高い。そして、機動力が半端ない。風を自在に操って、空中戦のセオリーを完璧に理解している。


 太郎坊は羽団扇を構え直して、再び風を操る。今度は周囲の空気そのものが揺らぎ始めた。風が渦を巻いて、俺の周囲を取り囲む。上下左右、全方向から風圧が集まってくる。


「烈風の檻、だよ!」


 風の壁が俺を囲む。上下左右、全方向から風圧が押し寄せてくる。逃げ場がない。このままでは、風に押し潰される——はずだった。


 ――だが、実際には、"風無き静寂"が生まれる。


 風は気圧の差が生み出す。気圧とは空気の重さによる圧力。重力を操る俺に風術は効かない。周囲の風が俺に到達する前に、重力操作で気圧を均一化させて、風の流れを止めてしまう。何ならそのエネルギーを反撃に利用することもできるが……今はそこまでする必要はない。


 太郎坊は少し距離を取って、俺を見つめている。琥珀色の瞳が、真剣な色を帯びている。俺の能力を分析しようとしている。頭がいい子だ。


「……強いね。でも、まだボクの本気じゃない」


「私もだよ」


 風が吹いて、髪が揺れる。月光が俺たちを照らし、影が夜空に伸びる。この高度なら、地上の人間には見えないだろう。


 太郎坊は羽団扇を両手で握り直した。構えが変わる。今までとは違う、より本格的な戦闘態勢。身体全体から放たれる気配が、一段階上がった。


「もう、これ以上は我慢できない……!」


 太郎坊は羽団扇を胸元で構えた。風が太郎坊の周囲に集まり始める。黄金の風翼が大きく広がり、光を放ち始める。周囲の空気が震え、熱を帯びていく。温度が一気に上昇して、夜の冷たい空気が一瞬で蒸発していく。


 ——まずい。


 これは、必殺技だ。本気の一撃。


 俺は黒い翼を最大限に展開させて、防御態勢に入った。重力の盾を何重にも張り巡らせ、翼を交差させて身体を守る。


 太郎坊の瞳が、金色に輝いた。


天翼てんよく白炎葬界びゃくえんそうかい!」


 視界が、真っ白に染まった。


 純白の業火が、空そのものを埋め尽くす。上下左右、全方向が白い炎に包まれる。熱を持たない、でも確かに存在する炎。浄化の業火。敵の魔力・呪気・邪炎だけを焼き尽くす、逃げ場のない白い地獄。炎は音もなく、でも確実に、俺の周囲を包み込んでいく。重力の盾が、少しずつ削られていく。


 ――十分稼いだし、しおどきだな。


 俺は瞬間移動を発動させた。


 次の瞬間、俺は立川の自室に立っていた。


 ベッドの上。見慣れた部屋。窓の外には、立川の夜景が広がっている。嗅ぎ慣れた部屋の匂いに、ようやく現実に戻ってきた実感が湧く。


 ——間に合った。


 俺は大きく息を吐いた。心臓が激しく打っている。あの白炎、本当にヤバかった。もう少し遅れていたら、完全に焼かれていたかもしれない。


 変身を解除する。黒い翼が光の粒子となって消え、黒髪ツインテールの普段の姿に戻る。


 ベッドに座り込んで、深呼吸する。


「……あの子、マジで強かったな」


 愛宕山太郎坊の魔法少女。あの実力なら、港区は安泰だろう。というか、23区の中でもトップクラスじゃないか? あの速度と火力、そして判断力。完璧すぎる。


 電脳を開いて、いづなにメッセージを送った。


*『無事逃げた。そっちは?』


 すぐに返信が来た。


*『みんな無事だよ。今、立川駅前。もうすぐ小角の家着く』


*『了解。待ってる』


 俺は窓から外を見た。立川の夜景が、静かに広がっている。街の明かりが点々と光り、温かく感じる。あの激しい戦闘の後だと、この静けさが妙に心地いい。


 しばらくして、ドアをノックする音が聞こえた。


「小角、開けて」


 いづなの声だ。俺はドアを開けた。


 いづなとかえでが、子供たちを連れて立っていた。変身は解除されている。どちらも少し息を切らしている。


 子供たちは無事だ。疲れた様子だけど、誰も怪我していない。アッコはかえでの手を握っていて、他の子供たちもいづなの後ろに隠れるようにして立っている。


「小角! 大丈夫だった!?」


 かえでが駆け寄ってきた。琥珀色の目が、心配そうに俺を見つめている。


「大丈夫。なんとか逃げてきた」


「すんなり逃げれたのぉ? あの子、めっちゃ強そうだったけど……」


「強かった。マジで。でも、ガチで戦っても時間の無駄だし」


 いづなが呆れたように笑った。


「アンタ、ホント逃げ足速いわね」


「褒め言葉として受け取っとく」


 俺たちは笑い合った。子供たちも、ようやく安心したように笑顔を見せている。部屋の中に入ってきて、周囲を興味深そうに見回している。


「ここが、小角ちゃんの部屋?」


 アッコが小さな声で聞いた。


「そう。狭いけどね」


「でも、温かい……」


 アッコは嬉しそうに笑った。他の子供たちも、ほっとした表情を浮かべている。ベッドに座ったり、窓の外を見たり、それぞれが緊張を解いていく。


 いづながソファに座って、大きく息を吐いた。


「疲れた……子供抱えて飛ぶの、想像以上にキツかったわ」


「お疲れ様。ホントに助かったよ」


「ま、これくらい平気だけどね」


 いづなは笑いながら、子供たちを見た。優しい目だ。普段のちょっと意地悪な雰囲気とは違う、本当に優しい表情。


「この子たち、今夜はどうすんの?」


「とりあえず、ここに泊めるしかないかな。明日、雅に相談して、ちゃんとした住む場所を探す」


「了解。」


 かえでが子供たちの頭を撫でながら、俺を見た。


「小角、ありがとね。アンタがいなかったら、あたしたち……」


「気にすんな。仲間だろ」


 かえでは、ちょっとだけ頬を赤くして、視線を逸らした。照れてる。可愛いな、この子。


 俺は窓の外を見上げた。夜空に、月が浮かんでいる。静かな夜。でも、確かにここには温かさがある。


 俺は小さく呟いた。


「……ようこそ、多摩連邦へ」


 いづなとかえでが、俺を見て笑った。子供たちも、嬉しそうに笑っている。狭い部屋だけど、今夜は少しだけ賑やかだ。


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