第8話 チェスの魔術

 手に残るチェス様の温もりに意識を向けていたせいでしょうか。私は地面から突き出ていた石に気付かず、派手に転んでしまいました。


「テレシアっ‼」


 前を歩いていたチェス様が、私に駆け寄りました。


 スカートが少し破れ、血がついています。どうやらすりむいてしまったようです。


 チェス様の表情が一変しました。


「きゃっ!」


 体の浮遊感に、私は思わず悲鳴をあげてしまいました。チェス様が私を抱き上げたからです。


「あ、あのっ、歩けますから! だから下ろしてください!」

「いいから大人しくしてろ、こらっ、言ってるそばから暴れるな‼」


 チェス様の腕に力が込められ、彼の胸に私の体が密着しました。チェス様の早い心音が伝わってきます。それと同じくらい、私の心臓も早鐘を打っています。


 彼は人通りのない路地に入ると、私を木箱の上に座らせました。


「ほら、怪我を見せろ」

「あ、はい……」


 私は言われるがままスカートを膝までたくし上げ、傷を見せました。

 異性に肌を見せるのは恥ずかしかったのですが、チェス様があまりにも真剣な表情をされていたので、断れなかったのです。


 チェス様は瞳を閉じると、傷の上に手をかざしました。

 彼の手から光が洩れ、傷の痛みがスッと引いていきます。光が消え、チェス様が手をさげると、傷はなくなっていました。


「き、傷が癒えた? もしかして、チェス様も魔術師なのでしょうか?」

「……ああ、そうだ」

「トルライン家の魔術師はヴェッセル様だけだとお聞きしていましたが、チェス様も魔術師だったとは思いませんでした」


 私の傷を確認したチェス様は、大きく溜息をつくと、別の木箱に腰をかけました。片膝を立て、頬杖をつきながら、私を見ます。


「お前、怖くないのか?」

「え?」

「魔術師の力は強大だ。知っているだろ? 前の戦争で、兄貴が大勢の敵兵を殺したことを。同じ力がある人間が、今お前のすぐ傍にいるんだぞ」


 そう仰ると、チェス様は頭を抱えて俯かれました。いつもは快活な声が、暗くか細いものへと変わっています。


「俺は……こんな力、嫌いだ。怖い。人を大勢傷つける。だからお前も……怖いだろ?」


 チェス様が抱える苦しみを聞き、彼が何故荒々しい言動をしていたのか、理由が分かりました。


 自分の力を恐れ、人を傷つけないように遠ざけるために――


「でもその力は、傷を癒やすこともできます」


 私が近付くとチェス様が顔をあげ、こちらを見ました。翠色の瞳にはどこか、縋るような寂しさが見えます。


「チェス様は、私が料理で包丁を使っている姿を、恐ろしいと感じられますか?」

「……いいや」

「それと同じですよ。優しいあなたが、むやみに力を振りかざすことはありません。力を使うときはきっと、大切なものを守るためです。ありがとうございます、私の傷を癒やしてくださって」


 チェス様の瞳から、一筋の涙が零れました。

 ご自身が持つ魔術の力に、ずっとずっと苦しんでこられたのでしょう。誰にも相談できずに、たった一人で――


 彼はゴシゴシと服の袖で目を擦ると、私から視線を逸らしました。


「……今の話は、絶対に秘密だからな」

「はい、私たちだけの秘密です」

「……あと俺は、泣いてないからな」

「はい、きっと私の見間違いですね」


 私たちは立ち上がりました。

 歩こうと足を進めた瞬間、手が温もりで包まれました。


 チェス様が私の手を握ったのです。


「お前、また転びそうだしな」


 プイッと視線を逸らしながら仰ったチェス様の耳は、何故か真っ赤に染まっていました。


 きっと、夕陽に照らされているからでしょう。


 私の頬が熱くなっているのも、きっと――

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