第30話
私は歌った。
シャロンの為に。
彼女に求められるままに。
2曲、3曲と歌い続ける。
シャロンは曲が終わるたびに手を叩き、素晴らしい、と目を輝かせた。
私はその姿を正面から見ながら、幸せな気分だった。
こんなに満ち足りた気分で歌を歌った事はなかったかもしれない。
5曲を歌い終わった所で喉を潤す為に、ゴブレットを手に取った。
水が美味しい。
「やっぱりあなたの声は素敵だわ。そのリュート演奏があると格別ね」
「おほめ頂き、光栄にございます」
私はゴブレットを置くとリュートを持って立ち、大げさに体を折ると頭を下げた。
上半身裸なのでしまらなかったが。
それでもシャロンは嬉しそうにくすくすと笑う。
「そんな風にされると、気分は貴族のお姫様ね」
「君にその素質は十分あると思うけど」
私はリュートを持ったまま、シャロンの横に座った。
シャロンは手を伸ばし、リュートをそっと触った。
「きれいなリュートね。ラリーはどうやってこれを手に入れたのかしら?リュートって高価なんでしょう?彼がそんなにお金持だったとは思えないわ」
私は微笑んだ。
その答えを言って良いものかどうか悩んだから。
シャロンは、はっと息を飲んだ。
「もしかして!あなたのお金に手をつけたなんて事………」
「それはないらしい。私も中身を確認してはないけれど、拾った、と言っていた」
「拾った?そんなバカな。高価でこんなに大きいものを誰が落とすというの?本当はどうしたのか聞いてないの?」
私はシャロンがライリーに聞きに行くよりはいい、と思い、話す事にした。
万が一、彼と話す事があった時の事を考えて………真実を口にする。
「これは彼が仕事をして得たものだと言った。彼の獲物がこれを持っていた、と」
私は“獲物”と言う時、胸の奥が痛んだ。
ディーンの事をそんな風に呼ぶ日が来るなんて思ってもいなかった。
「“獲物”………ぃやっっ!!」
何かに思い当たった様に叫ぶと、シャロンは私から急いで離れた。
裸のままベッドから降りて部屋を出る。
私は何があったのか、と彼女の後を追った。
シャロンは台所で手を洗っていた。
「ぁぁ…ぃや……汚れた…汚い……」
そう呟きながら石鹸を泡立てている。
「シャロン?」
私は後ろから声をかけた。
「どうしたんだい?」
シャロンは手を止め、私を見た。
「レムス!あなたまだそんなものを持っているの?!」
シャロンは目を見張り、1歩後ずさった。
「そんなものって………」
私が持っているのはリュートだけ。
「リュートの事?」
私はシャロンの様子がおかしい事に気付いた。
心なしか顔色が悪いように見えるし、震えてもいるようだ。
「えぇ、そうよ!そんな汚いモノ、この家に入れないで!!」
「汚いって……どこも汚れていないよ。きれいなリュートじゃないか。それよりどこか具合が………」
「汚いわよっ!!狼男が使ってた物なんか穢れているに決まっているわ!!」
私は言葉を失った。
シャロンは泡だらけの手で己を抱きしめる様にした。
「ライリーは一体何を考えているの?!あなたにそんな穢れた物を渡すなんて!あなたもよ、レムス!由来を知ってて何故そんなものをもらったの?!」
「………シャロン、これは楽器だ。私の仕事道具でもあるんだ。君だって聞いた………」
「金貨がっ!」
シャロンは私の言葉を遮って叫んだ。
「金貨があるじゃない!それで新しいのを買えばいいわ!最初の時そう言ってたでしょう?それは捨てて、新しいのを買って!」
「だが、シャロン」
「いいからレムス!早くそれを捨ててきて!!」
シャロンはヒステリックに叫んだ。
私はシャツを羽織るとリュートを持って外に出た。
捨てろ、と言われたが、捨てる気はなかった。
でもあの調子では家に置いておく事は出来ない。
彼女の目に触れる所にも、だ。
私は森に向かって歩いた。
切り株の上に置いて、家に戻る。
戸を開けて目に入った光景に、私は呆然とした。
シャロンはテーブルを洗っていた。
石鹸を泡立てて、ブラシを使ってごしごしと。
寝巻一枚で髪を振り乱しながら、一心不乱に手を動かしている。
「………急にどうしたんだい?」
何か言わなければ、と思って口にした私の言葉に、シャロンは尖った言葉を返した。
「見て分からないの?洗ってるのよ!レムス!そこから動かないでっ!」
シャロンは顔を上げると私を睨んだ。
その剣幕に私は足を止め、息を呑んだ。
「このテーブルも、私のベッドも穢れてしまったわ!」
そして私を指さした。
「レムス!あなた体を洗ってきて!早く!そうしない限り家には入れないわ!」
「シャロン……」
「早く行って!」
そしてまたテーブルを洗い始めた。
私は外に出た。
なにを言っても彼女の耳には届かない、とそう思った。
井戸端に行くと、水を汲み、体を洗った。
洗っている内に、腹の底から笑いがこみあげてきた。
「ふっ………ふふっ……ははは………」
何て滑稽なんだ。
私は笑いを止めるため頭から水を被ると、また水を汲んだ。
実に面白い。
声を張り上げて笑えないのが残念だ。
シャロンがヘンに思ってしまう。
私がシャロンをヘンだ、と思ったように。
シャロンは狼男の持ち物がテーブルに乗っていただけで“穢された”と言った。
ベッドなんか、それを持った私が座っただけなのに“穢された”と。
あんなに必死になってブラシで洗う程、嫌だったとは。
あんなに必死になって叫ぶほど、厭わしかったとは。
「…はははっ………くっ………ふはは……」
私はまた水を被った。
でもあれが“普通”の反応なのだろう。
狼男は呪われた存在だから。
厭わしく、忌まわしい生き物。
思えば私もディーンと初めて会った時、そんな事を言ったものだった。
シャロンは私が狼男だと知ったらどうするだろう。
とりあえず、体を洗うのだろうな。
つま先から髪の毛の1本1本に至るまで、念入りに………
ん?
私を咥えこんでいた穴も洗うのだろうか?
あそこに泡のついたブラシを突っ込むのか?
「ぷぅぅっ………はっ……はは…………」
笑いを静める為に水を被る。
もう体の事は考えまい。
家だ。
シャロンは家中を洗うだろう。
泡をうんと作って、ブラシを手にごしごしと。
家中が泡だらけになって、そのうち泡の中で泳がなければならなくなるな。
泡を流す為の水も大量に必要になる。
家中が水浸しだと、寝るにも困ってしまうだろうな。
シャロンが濡れたベッドの上で震えている絵が浮かぶ。
「ふっ……はは……」
被っても、被っても。
笑いは腹の底から湧き出てくる。
腹が痛くて夕日が歪む。
声を殺すので喉の奥に大きな石の塊がある。
水を被りすぎて鼻の奥がツンとする。
「はは…………くっ………ぅ………」
私は何度も水を被った。
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