黒き邪心に薪をくべろ

XI

0.デモン・イーブル

0-1.

*****


 長く歩くこともあれば、長く留まることもある。西へ西へと向かっている。あてなどまるでないことが、なぜだかとても心地良い。この先も気の向くままに、圧倒的な蛇行や気分次第の寄り道を楽しみながら、あちらへこちらへと進むことになるのだろう。


 徒歩での移動がしゅであるものの、今日は道中、のんびりと行く馬車を見つけ、荷台に乗せてもらった。しっかりと乾燥した干し草がたくさん積まれていて――空を眺める仰向けの状態、背中で感じるふかふかの刺激が非常に気持ちいい。顔の隣には小柄なハシボソガラスの姿――まるで洒落っ気のない黒色こくしょくの彼の名はオミという。不吉の象徴というわけだ。


 土の道はつんけんしていて、馬車もおんぼろで、だから荷台はがたがた揺れる。不快指数は上がらない。デモンはそこまで小さなニンゲンではない――若干、短気ではあるかもしれないが。


 デモンは「なあ、おい、オミ」と呼びかけ、「ただひたすらに“ゴミ掃除”のみをくり返すわたしのせいの展望――は、開けていると思うかね?」と訊いた。するとオミは、「未来は誰にでもあるんだ」と答えた。「ぼくにだってあるんだ。カラスにだってあるんだ」と続けた。


「そもそもデモン、きみは未来が欲しいのかい?」

「どちらとも言えん」と返し、デモンはふんと鼻を鳴らした。「――が、ニンゲン、常に刹那的であるべきだとは思う」

「べき論は面白味に欠けるんだ。へたくそで気の利かない考え方なんだ」

「カラスのくせによく言う」

「酷い発言なんだ。きみは差別主義者なんだ」

「やかましい」


 黒いコートに黒い背広、黒いシャツに黒いネクタイ――といった具合に、完全に黒ずくめのデモンにとって、太陽が正面にあるのはあまり愉快ではない状況だ。とはいえ、照りつける日差しは問答無用で確かなものだが、幸い、汗ばむほどの陽気ではない。目を閉じるだけで多少は涼しくなる。先達て立ち寄った街で髪を短くしておいて良かったなと思った。


 だらだら続いていた揺れが和らぐ。マシな道に入ったようだ。馬車の主――御者を務める老人が、「黒いヒト、あんたはどこまで行くんだ?」と訊ねてきた。「人生観を語れというのか? だとしたら、なかなかに深い問いかけだな」とデモンは感心し、「生き方の道しるべなどないほうがいいだろう?」と、やり返すように言った。特別に「いつ何時も、自らの心に従うのがヒトの道だ」と真理まで説いてやった。


「どこのか、それくらいは教えてくれないか?」

「わたしは答えない。面倒だからだ。知りたければカラスに訊いてくれ」

「それもいいが、そもそもどうしてカラスがしゃべるんだ?」

「そのへんも直接訊いてくれ。見た目は殺伐としていて、思考も愚鈍ではあるものの、当該カラスはほんの少し頭が回る。受け答えくらいなら可能だ。問題はない」


 するとオミは心外そうに一つ「カァ」と鳴き。


「きみは失礼なんだ。ぼくは賢人なんだ」

「賢人? おまえはカラスだろうが」

「まあまあ、お二人さん、ケンカはよしてくれ」


 デモンの「やかましいぞ、じいさん」と、オミの「うるさいんだ、じいさん」が重なった。老人はおかしそうに、カッカッカと笑った。じつはデモンはこの老人を買っている。カラスがしゃべる。その珍妙な現象を受け容れるだけの柔軟さがあるからだ。へたに凝り固まった人格であれば会話の相手すらしてやらない。オミだってそうだろう。


「ねぇ、ぼくはいきなりおなかがすいたんだ」

「腹とは徐々に減るものだ。それとも、わたしの辞書の記載を修正しろと?」

「目下、低体温なんだ。高級な牛肉が食べることでしこたま温まりたいんだ」

「具体的すぎるわかままだ。うっとうしいから死んでくれ」


 ぼくは覚えているんだ。

 そんなふうにオミは言い。


「こないだ、きみが掃除した“ダスト”――大きな大きなシルバーバックだよ。アレには賞金がかかっていたよね? 高額だったよね? いい牛肉くらい買えるよね? なんなら黒毛の牛をまるごと買えるよね? 一頭買いができるよね?」


 まったく、よくしゃべるカラスである。まるで無愛想な外見のくせに、とても偉そうではないか。“ダスト”認定して掃除してやろうか――否、どうでもいい事物や事象について無駄な労力を使うのは美学に反する――ような気がする。そも美学とはなんだ? わたしの生き様とは? ――などと考え始めたらきりがないだろうからやめておくことにする。自分は自分であり、そんなありきたりな解釈が案外すんなり自分を納得させる。凡庸というフレーズが頭に浮かんだ。ちょっと最悪だ。


 無性にビールが飲みたくなってきた。馬車がまたがたがたと揺れ始めた。だからますますビールが飲みたくなってきた。このあたりのわけのわからなさが自身特有の思考のパターンだということを、デモンはよく知っている。


「おや、デモン、きみはビールが飲みたいんじゃないのかい?」

「おぉっ」デモンは激しく驚いた。「わたしの心を読んだのかね?」

「そんなわけないよ。ぼくはただのカラスなんだ」

「だったら黙っていろ。わたしの幸福のみに貢献しろ。でなければ燃やしてやるぞ」


 オミ、今度は心底不服そうに「カァ」と鳴き。


「ネガティブな存在であることは認めるよ。だけど燃やすのはよくないよ。動物愛護の精神を忘れてはいけないよ。ぼくは没個性的ではあるけれど、気高き一匹のカラスなんだからね」


 馬鹿にするように「馬鹿め」と罵り――いまだ目は開けてやらない、デモン。


「だからおまえは馬鹿だと言うんだ。一匹ではない。単位を間違っているぞ。一羽なんだよ、一羽。そういう些細なミスが言動の説得力を削ぐんだよ。わかれとは言わんが理解はしろ。できなければ、やはりおまえは死ぬしかない」

「それは暴論と言うんだ」

「知ったことか」


 今度は呆れたような「カァ」。

 カラスとはいえ、肩をすくめるくらいはしただろう。


「おい、じいさん、そろそろ降ろせ。歩きたくなってきた」

「あいよ」


 揺れが止まり、馬車も止まった。目を開ける。身体を起こし、着替え等が入った黒いバッグを手に、荷台から降りる。


 デモンの左の肩に、オミが飛び乗った。


「名もなき老人よ、短い付き合いだったが、ありがとう」

「おや、きちんと礼は言えるんだな」

「たまにはな」

「よい旅を」


 ゆっくりと去りゆく馬車。荷台を曳くのは老いたオスだ。だからほんとうにゆっくり――。災難だな、鹿毛の馬よ。年金ももらえないまま、まだ労働に駆り出されるとは。ストも起こせないことには同情したくもなる。


 土がいよいよ黄色味を帯び、そのうち愛想も素っ気もない十字路に出くわした。直進? 左折? それとも右折? どこをゆこうとどれも農道だ。左方の先には大きな森が見える。奥行きがどれだけあるかわからないし、ともすれば迷子になるかもしれない。ただ、緑の木々を眺めながら歩くのも一興――。


「森に入るつもりかい?」

「そうだが、それが何か?」

「ぼくはおなかがすいたんだよ?」

「いいかげんにしろ、馬鹿ガラス」

「そんな種は存在しないんだ?」

「やかましいと言った」


 丈のある黒いコートの裾を、生ぬるい風が揺らした。やはり暑くないことはない。だらしないのは嫌だからと、いつも正装でいるのはさまざまな意味で非効率なのかもしれない。


 右手を腰に当て、痩せた畑に挟まれた直線を堂々とゆく。


「今日もきみは心が穏やかではないようだね」

「ああ。わたしはいつも何かを壊したい」

「飽くなき邪欲が原動力とは、つくづく非建設的なんだ」

「しかし、それがわたし、ひいてはヒトの構造だ」


 きみはほんとうに凡人だね。

 たかがカラスに、そんなふうに言われてしまった。


「仮にわたしがそうだとして、だが平凡さとは美徳だろう?」

「一般的にはそうかもしれないね」

「わたしだって見ようによっては一般人だ」


 オミは「そうかもしれないね」と肯定した上で、「だけど、ぼくは凡才は嫌いなんだ」と、クソ生意気なことをほざいた。私見を持ち合わせているのは結構なことだが、意思があるカラスというのは少なからず気味が悪い。腹立たしさを感じることもある。間違っても、相棒などではないのだ。


「きみと一緒だと飽きないんだ」


 カァカァと喜ぶように、オミは鳴いた。のんきな奴だ、怒りすら覚える――が、焼き鳥にして食ったところで美味くないに違いない。知恵があろうがしゃべろうが、カラスなんてそんなものだ。


 ゆっくりと歩を進めながら、胸の内の邪心を愛でる。途端、目眩を覚え、下半身に性的な刺激が走った。ふと気がつけば悶々としていて、都度、いつもいつも戦いに身を投じたいのだと自覚することになる。


 つまるところ、デモン・イーブルは今日も暴力を振るいたいのだ。

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