第五章 誇り高い漢 5
ではその気になれば天井や壁をすり抜けることができるのか。このカップも……。
いや、できないじゃないか。
「あなたは幽霊じゃない。転生したの。いわゆる生まれ変わり」
おれの心の声が聞こえているようだな。
「ときたま段階を踏まずに途中でフローしてしまう魂があるのよ。記憶をもったまま転生してしまうの。本来は死ぬと純粋なエネルギーに還元されて記憶や意識なんてなくなってしまうんだけど、強い執着や未練があると道を外れちちゃって、転生することがあるのよ」
なるほど、おれは前世の記憶を持ったまま虫に転生したのか。で、なにから?
双葉は透明ファイルに入った新聞記事をコップの前にかざした。記事の内容は、お悩み相談の人気配信者がストーカーに逆恨みされて殺された、ストーカーもあとを追って自身の首を刺して死んだというもの。
おれ、ストーカーだったのか……。
「あなたはストーカーに刺されたほう」
おれは被害者のほうか。そりゃあ、未練たらたらだろうよ。
「こっちは週刊誌の記事。あと寄せられたコメント。あなたに同情する内容とストーカーへの憎しみの声がこんなにたくさん」
双葉はコップを取った。おれは自由になった。逃げてもよかったのだが、双葉が床にひろげてくれた記事を目で追っているうちに少しづつ記憶が補正されてきたので、じっくりと資料を読ませてもらうことにした。
記事の内容はこうだ。
ストーカー女は男性配信者、つまり前世のおれに恋慕して高額の投げ銭をしていた。やがておれに交際を迫るようになり、脅迫めいたコメントを連投するなどしてコメント欄を荒らした。おれは彼女をブロック。そして最悪の結末に。
そうそう、そうだったわ。キメたみたいに頭がしゃっきりした。
動画も見せてもらった。友人でもありライバルでもあった配信者が追悼してくれている。リスナーたちがおれへの愛を語り、ストーカーを罵ってくれている。おまえたちを悲しませてごめんな。ことの経緯を配信で話せたら……、最後にいままで聞いてくれてありがとうって言えたらいいのに。
「それがあなたの未練ですか」
双葉はじっとおれを見つめてくる。この女の目には精気がない。いつのまにか天井からおりてきて記事を読んでいる女の幽霊のほうが生き生きとして見える。
幽霊は虫を嫌がっていたはずだが、陰惨な事件への興味が勝ったようだ。いやなことを口走った。
『発見が遅れたからドロドロだったそうね。大家さん、清掃に金がかかったと怒ってたわ。ほんと、臭かったわ』
ウジ虫にとってはほっぺたが落ちるほどのご馳走なんだよ。おれにとっても──そうか、おれは前世の自分の死肉を食ったのか。悔しいが、美味かったぜ。
『すぐに見つけてもらえて、わたしはラッキーだわ。美しく死ねた』
美しく死ねた、だなんて、かっこつけやがって。どうせ死んだあとから心配になって成仏できそこなったんだろうが。
「虫になったあなたを人間に戻すことはできません。言葉を発せませんので配信もできない。せめて人間だったらよかったんですが」
この女は配信をよく知らないようだ。世の中に配信者はあふれている。潜在的な配信者予備軍を含めれば一億人はいるだろう。
配信ってのは自己表現だ。それも簡単にやれるお手軽気楽な自己表現だから人気がある。おれのリスナーのなかには、おれの配信を聞いて、これなら自分だってできると思って配信者になった奴もいたくらいだ。そしてすぐに挫折したりな。そしたらほかへ行けばいい。自己表現の方法はさまざまだ。文章が書くのもいい。音楽でもいい。絵を描くのもいい。ダンスもある。ファッションで表現することもできる。うちなる自分を表に出して世に訴えることがしたいのさ、みんな。自分はここにいるって叫びたいのさ。みんながしたいことなんてすぐに椅子は埋まる。半年前に消えたそこそこの配信者なんて、もう誰も覚えていない。
「それは悲しい……」
年寄りが呟いた。
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