第31話


「だから俺は戦場を出て、幸せになる為に歩いてるって訳だ」


ディヴィットは口を閉じた。

クリスの手はいつの間にか下がり、杖先は地を向いていた。


「………その人、医療呪文を知っていたのね」


クリスはぽつりと呟いた。


「なんだその医療呪文って。クリスは出来ないのか?」


ディヴィットの言葉にクリスは微笑んだ。


「残念だけど。あなたは運が良いわ。医療呪文を使える魔法使いは本当に少ないの。私の村にも一人しかいないわ」

「村?」

「えぇ。私は魔法使いばかりがいる村で育った………場所は聞かないでね。全部で………500人以上いると思うけど、その中で一人よ」

「それって、もしかして」

「ピーターではないわ。だって女の人なんですもの。彼女は私達が持っている知識でもどうにもならない様な怪我や病気を治す事が出来るの。魔法を使ってね」

「その、クリスがいたような村って、他にもあるのか?」


ディヴィットはピーターに一言礼が言いたかった。

相手が魔法使いなので会う事は諦めていたのだが、クリスがその手掛かりを知っているかもしれない。

だがクリスは頭を振った。


「さぁ。大伯母様達ならご存知かもしれないけれど………」

「会って話がしたい。ピーターの事を知ってるかもしれないだろ?」


珍しい魔法を使える魔法使い。

確かに大伯母達なら知っているかもしれない。

ディヴィットと二人を会わせた方が良いのだろうか?

それとも会わせない方が?

クリスは考えた。


グレンダ伯母様は持たぬ者とも付き合いがある。

それに対してグレナダ伯母様は、魔法使い以外とは会わない様にしていると聞いている。

どちらかと言えば、ディヴィットの知りたい情報を持っているのはグレナダ伯母様だろう。

でも。


「可能性がないとは言えないけれど、グレンダ伯母様はともかく、グレナダ伯母様には会えないでしょうね」

「大伯母さんって二人いるのか?」

「えぇ、そうよ。言ってなかったわね。大伯母様は二人いらっしゃるわ。二人は同じ家に暮らしていらっしゃるけれど、それを知っているのは限られた人だけなの」


クリスは自分が要らぬ事を言ってしまった事に気付いた。

グレナダ伯母様の事を話す必要はなかった。

ぃや、大伯母が二人いる事を言うのは構わない。

ただ二人が一緒に暮らしている事は、話すべきではなかった。

何故なら。


「二人いるんだったら、どっちかがピーターの事知ってるかもしれないな」


ディヴィットの目が輝いた。

ほら。

ディヴィットの期待が一層膨らんだ。

きっと何が何でも二人に会おうとするだろう。

私を無理やり”道連れ”にしたように。

クリスはこっそり息を吐いた。

こうなったら会うのを諦めさせるのが一番だ。

会えば不幸な事が起る可能性が高いのだから。


「残念だけどディヴィット。グレナダ伯母様は持たぬ者が嫌いなの。だからきっとあなたを見たらカエルに変えてしまうわ」


クリスは肩を竦めた。

グレナダは持たぬ者に魔法をかけるのは禁じられている。

ただ聞いた話では、それは誓っただけなので、破った所でグレナダは痛くも痒くもないらしい。

何故って、この先もしグレナダが彼らに魔法をかけたとしても、今以上状況が悪くなる事はないから。

グレナダの追放を解く為の詭弁、という事だ。

だからディヴィットが何かに変身させられたり、嫌がらせされる事は十分に考えられる。


「カエルか………それは勘弁だな」

「でしょう?だから二人に会うのは止めた方が良いと思うの」

「あぁ、そうかもしれないな」


ディヴィットは頷いた。

クリスは念の為、もうひと押しする事にした。


「それに魔法使いは持たぬ者と同じ暮らしをしている事も多いのよ。今まで通ってきた村や、あなたの住んでいた村にもいたかもしれないわ」

「そうなのか?クロニングに魔法使いが、ねぇ。でもそうだとすると、魔法使いってのは結構大勢いるんだな」

「えぇ。あなた達が思うよりたくさんいるわ。そして魔法使いである事を他の誰にも隠している事が多い。その中から一人を見付けるのは難しいでしょうね」


ディヴィットは、かもしれんと頷く。

その様子から、ディヴィットはピーター探しを諦めた様だ、とクリスは思った。

まぁ、探すのを諦めていなくても、大伯母様達と直接会う事を諦めてくれればそれでいい。

もう杖も必要なさそうだ。

クリスは一つ息を吐いて、それから杖をベルトに差した。

でもこのままではいられない。

クリスにとって、持たぬ者であるディヴィットに魔法使いだと知られた事は喜ばしい事ではない。

”告発しない”という彼の言葉は信じるにしても、共に行動する事は避けた方が良い。


「それじゃぁ、ディヴィット。ここで別れましょう」

「はぁ?俺の話聞いてたか?」

「えぇ。ピーターがあなたの前を去った様に、私もあなたの前を去る必要があるって事を、あなたは理解出来たと思うけど?」


ディヴィットは頭を振った。


「理解出来てない。そもそも俺はピーターがいなくなった事も納得してないんだ。どうしていなくなる?」

「やがて他の人にも知られるかもしれないからよ」

「俺が口外するっていうのか?」


クリスは頭を振った。


「あなたの前で魔法を使ってしまうからよ。あなたは魔法の恩恵に預かった。いざという時、あなたがそれを思い出したら?例えば、あなたの愛するリタが病気で死にそうだと知った時、あなたはピーターに泣きつかないと言える?」

「ぁ………当たり前だろ」


ディヴィットは、うん、とすぐには言えなかった。

クリスは胸にヘンな痛みが走った気がした。

だが、それをおくびにも出さず、言葉を重ねる。


「ディヴィット、その躊躇いは正しいわ。私だって、さっきどうにもならなくなったと思って魔法に頼ったんですもの。ピーターも私もあなた以外の人に見られていない事を確認して魔法を使った。でもこれが2度、3度と増えれば、誰かに見られる可能性が高くなるのよ」

「二人っきりの時に使えば良いじゃないか。他に誰もいない時に」

「そう都合の良い時ばかりではないでしょう?それに、もし私達が魔法使いだとばれた時、今度は一緒にいるあなたも魔法使いだと疑われるわ。私達は魔法を使って逃げられるけれど、あなたはそうではない。捕まって火炙りにされるのよ」

「…ん?待て。ってことは、今まで魔女狩りで火炙りにされた奴らは魔法使いじゃないのか?」

「ほぼ全員が持たぬ者よ。中には火炙りにされる事を楽しむような酔狂な魔法使いもいるから一概には言えないけれど」

「なんてこった………」


ディヴィットは息を吐いた。

そして素早く手を動かした。


「なっ!」


クリスは驚いた。

ディヴィットに杖腕を握られたから。


「放してっ!」


クリスは手を振りほどこうとした。

だがディヴィットに力で敵う訳がない。

杖腕を取られては魔法を使う事も出来ない。

クリスはディヴィットを睨みつけた。


「どういうつもりなの?」

「ん?逃がさないようにって思っただけ」


ディヴィットはクリスを見て、ニヤッと笑う。


「最低。やっぱり私を売るつもりだったのね?」

「違う。また礼も言わずに消えて欲しくなかっただけだ。恩を返さずに別れたくなかったんだ」


ディヴィットはクリスの手を握り直した。


「クリス、俺の為に魔法を使ってくれてありがとう。あのままだったら俺は狼に喰われてた。あんたは俺の命の恩人だ。ありがとう」

「いいえ、ディヴィット。あれは私が死にたくなかったからなのよ。あなたを助けた訳じゃないわ」


ディヴィットがクリスの手を握る手にほんの少し力を入れた。


「いいや。あんたが何と言おうとも、俺はあんたに助けられたんだ。一生恩に着る」

「だったら、この手を放して。そして私の事を放っておいて欲しいわ」


ディヴィットは頭を振った。


「俺はあんたを無事にスタッフィードの大伯母さんの所に送る。そう決めた。絶対にあんたに魔法を使わせるような事はしない。あんたに頼ろうともしない。俺が連れて行ってやる」

「ディヴィット。私としては、あなたがいない方が魔法も使えて快適な旅を送れるのよ」


クリスはあまり魔法を使わないようにしている事を秘密にしてそう言った。

スタッフィードまで一緒に行ったら、大伯母様達と会ってしまうかもしれない。

何の為に諦めさせようとしていたのだか分からなくなる。

だが、ディヴィットは頭を振った。


「そんな訳はない。あんたはバレる事を恐れて魔法を使う事を極力避けているはずだ。それに、クリス。あんた、独りで眠れるのか?」

「ぅっ………」


痛い所を突かれた。

クリスは返事をする代わりに顔を顰めた。

ディヴィットはそんなクリスを見て、満足そうに頷いた。


「だろ?俺がいないと眠れないんだ。いつまででもそれじゃ困るが、せめてこの旅の間だけでも俺が母親の代わりをしてやるよ。それが俺の恩返しだ」

「………」


クリスは何も言えなかった。

正直な気持ちは、一緒に旅を続けられて嬉しい、だ。

でも、母親の代わり、と言われてなんだか胸の辺りがもやもやとした。

さっきは心臓が痛いような気がしたし。

私、病気かしら?

クリスの反応に満足したのか、ディヴィットはクリスの荷物を分捕って中から鹿革を出した。

それを敷くと、小さくなっていた焚火に木の枝を入れ、火を熾す。

鹿革に座ると、毛布を被って手を広げた。


「さぁ、用意で来たぞ」

「あ~~さっきまで私が寝てたから、ディヴィットが寝たら?」


クリスはそう言って毛布を取る。


「そうか?だったらそうしようか」


ディヴィットはそう言ってクリスと場所を交代した。

クリスはディヴィットを抱きしめると、いつものようにその腕をそっと撫でた。


「お休み、ディヴィット」


お休み、の代わりにすぅっと寝息が立った。

クリスは少しおかしくなった。

こんな状態で良く私を寝せようと思ったものだわ。

自分だって子どもみたいに寝つきが良いじゃない。


クリスは小さい弟、ピーターを思い出す。

あの子と同じ名の人が、ディヴィットを助けた魔法使いだなんて、なんだか不思議な気分。

願わくば、そのピーターさんも幸せな時を送って下さってますように。

クリスはそう願って、ベルトから杖を取った。

もう魔法使いだとバレてしまった。

眠たいのだし、今だけ魔法を使おう。

クリスは焚火に朝まで燃え続けるように魔法をかけ、自分達の周りに結界を張った。

何かが近づいたら知れる様な結界ではなく、何も近づかない様な結界を、だ。


そうして。


クリスは杖をベルトに差して、目を閉じた。

余程疲れていたのか、それともディヴィットの寝息がその鼓動と同じ役割を果たしたのか。

クリスは心地よい眠りに入った。

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