Chapter1 わずかな金で満足すること、これも一つの才能である(3)
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どうもこうも、一触即発な雰囲気らしいが?
そんな緊迫した場でも俺は、背後に佇んでいた彼女へ、視線を向けてしまった。
……
ラピスラズリの原石にも似た、鮮烈にしてナチュラルな美しさを彼女は有している。肩先ほどの長さに揃えられた健康的な黒髪に、瑞々しさを存分に含んだ肌。
付随して。何よりも際立っているのは、瞳。しなやかな肢体とは対照的に、どこか芯の強さのようなものが垣間見える。引力に似た逆らいがたい魅力を、彼女は秘めていた。
途方も無く、綺麗で美しく。それだけでない何かをも、内包していると直感できて。
だからこそ、もっと彼女のことを知りたい──疑いなく、そう思えた。
「What's your name?」「……え?」「名前だ。まずはそこから、教えてくれないか?」
急に俺から話しかけたこともあって、彼女は少々、面食らった様子。
ただ。唐突さがむしろ功を奏したようで、こちらの質問には素直な答えが返ってくる。
「──
「セリザワ……アリカ、か。耳心地の良い、スイートな名前だな。よく似合ってるよ」
「……私たち、初対面よね?」
流れのまま。ファーストインプレッションをより濃密にしたいところ、だったが……。
「なんなんだ、畜生が……どいつもこいつも、鬱陶しいんだよ……」
……心底から機嫌が悪そうな男子学生を延々、放置しておくわけにもいかないか。
「アリカ──在歌。状況を見るにお前は、目に付いたトラブルを解決したいんだよな?」
「それは……ええ、もちろん」「なら、この場は俺が引き受けよう」「えっ」
聞いて、即座に捲し立てる。
イエスもノーも、この俺──
「正当防衛の名の下に制圧するか、事務局に始終を説明して突き出すか、他には──要は金を払いたくないのか? なら、代金を誰かしらが負担すれば、一応は収拾が付くな」
着地した際。スラックスから飛び出した紙幣を一枚だけ、地面から拾い上げる。
「俺には不要な代物だ。だから、在歌が望むならドブに捨ててやってもいい」
「……不要?」在歌は男子学生の様子を気にしつつも、引き続き小声で返してくる。
「第一、それってドル紙幣よね」「なんか問題か?」「ここじゃ、使えないと思うけど」
……………………Oops. そういえば、ここは日本だった。
「外貨両替機とかってのは、ストリート内にあったっけな……」
「一応、コンビニエンスストアはあるけれど……って、いえ、そういうことじゃない」
やり取りの末。在歌は凜然とした声でもって、宣言してくる。
「必要以上に誰かが傷つかないように。そのうえで──ルールに則った解決をしたいの」
「……純粋な説得、な。聞いておいて言うのも何だが、そりゃ一番難儀だな」
ただ。それでいて、何故だか──それは最も、彼女らしい主張に思えてしまって。
「OKだ──おい、そこの
「……温情だと? ……くだらねえ。こっちはセレクションなんて、どうだって……」
「そうか。お前にもなにがしか、背景事情があったりするのか……だが、そのフラストレーションは別の手段で解消すべきだったはずだ。少なくとも他人に、とりわけ女性に手を出して発散するなんてのは、ファッ○ン最悪も良いところだろ?」
「言い回しが、いちいち気色悪ぃな……説教なんて聞きたかねぇんだよ」
「ああ、そうだ。どうしても何かを痛めつけたいなら、自分の筋肉を相手にするのはどうだ? ……筋トレは良いぞ? 手っ取り早くマイルームでも始められるうえに、日に日に変わっていく自らの肉体を眺めるのは、それだけでセロトニンが分泌されるからな」
「ふざけんのも大概に……」
ついでにお勧めのプロテインでも教えてやろうかと思ってはいたものの、彼は怒りの臨界点を、いよいよ超えそうになっているらしい。わかったよ、結論を言おう。
「黙って払え──ちなみに、さっきと同じような原始的な手段に訴えるのは止めとけ。問題が積み重なるだけで誰も良い気分にならないうえに、何より俺が、それを許さない」
その気になれば強硬手段にも対応できるというのは、口先だけのペテンではなく。
「それでもなお、リアルファイトをしたいと言うなら──先攻は、譲ってやるよ」
首の関節を右左と鳴らして、こちらは構わないというスタンスは決して崩さない。
「あ、あいつ、二階から落ちたのに大丈夫なのか?」「大丈夫だからガチ喧嘩しようとしてんじゃねえの?」「てか、あの金髪の人、めっちゃ格好よくない?」「なんか留学生っぽいよね」「そんなん言ってる場合じゃないだろ」「事務局に連絡した方が良いのかな……」
「……」「……」「……テメェらの顔、覚えたからな」
粘り強い説得が効いたのか、はたまた、人の目が集まりすぎたことを嫌ってか。
男子学生は五千円札を地面に叩き付けた後で、歩幅大きく、遠ざかっていった。
覚えたからな、か……その台詞は、できれば女性から聞きたい言葉だな、と。
未だ紙幣が散らばったままの地面を眺めながら、俺は小さく苦笑してしまった。
「本当に、ありがとうございました……どうやって感謝すればいいか、その……」
「チップは遠慮しておく。俺はそんなくだらないものが欲しくて、動いたわけじゃないからな──それより、シフトは夜まで? 春休みの間、ずっと? なら、連絡先だけでも」
女子店員から平身低頭の礼を受け、俺自身の会計を終えるついでに一言二言、彼女とも言葉を交わした後。その場には俺と、芹沢在歌だけが残された。
「助けてくれて、どうもありがとう……それと、これ」
在歌も感謝の言葉を伝えてきて、ついでに、ドル紙幣をまとめて俺に手渡してくる。
「いや、うっかりしていた。そりゃ日本なら、円が流通してるに決まっているよな──コンビニで両替できなかったら、俺も、あの
「……止めに入った人が同じことをしたら、冗談にもならないでしょうからね」
ごもっともなツッコミをしつつも、在歌は表情を、ほんの少しだけ和らげていた。
「何にせよ。君のおかげで、比較的平和な落とし所に着地したと思う。お店への迷惑も最小限のもので済んだはずだし、それに、君の仲裁が無かったら──」
「間違いなく、在歌は痛い思いをしていただろうな。まさにグッドタイミングだった」
ふんすと腕組みしながら。俺は、いたく自然な相槌を打ったつもり……だったが。
「そんなことは、問題じゃないわ」
「……? どういう意味だ?」
「そのままよ。私が暴力を受けるのはともかくとして、そうなった場合、
「……ダメなのか? トラブルの火種を持ってきたのは、あいつ自身だろ?」
「そうかもしれないけれど……でも、ここにいる時点で彼だって、何か志を持って、やって来ているはず。だから、被害者は勿論、加害者が出るのも絶対に避けたくて……それも含めて君のおかげよ。本当に、感謝してもしきれないくらい」
……在歌は馬鹿真面目に、しかもあっけらかんと、そう言い放ってきた。
自分はどうでもよくて、他人の幸福こそが、あの場での最優先事項だと──。
「──そんな訳、ないだろうが」
どうにも耐えられなくなった俺は、思わず在歌の両肩に自分の手を置いてしまった。
「ちょ、ちょっと……」
「よく考えてみろ。顔に傷が残ったらどうする? あの場は丸く収まったとして、逆恨みされ、後で酷い目に遭ったら? ……美しい女性が涙を流すのは個人の悲劇である以上に、俺にとっての大いなる損失なんだぞ?」
「き、君にとって? よくわからないけれど……いや、わかったからその、距離が……」
「だいたい──自分を守れない奴が、どうして他人を守ることができる?」
「…………」俺の心からのアドバイスを聞いた在歌は、一度逡巡するかのように視線を逸らして、ふるふると首を小さく横に振って、それから。
「そう、ね……もう少し上手いやり方が検討できるよう、今後も努力してみる」
微妙に釈然としない回答だったものの、伝えたいことは概ね、理解してくれたらしい。
彼女の肩から手を離し、ようやっと一息吐き……と、いったところで。
「……それじゃあ、私も君もセレクションを控えているわけだから、この辺で」
「さて。随分遅れてしまったが、こっちも自己紹介をしようか」
意図せず言葉が重なったものの、続く会話の主導権は、こちらがきっちりと握った。
「──俺の名前は
「……」「目を点にして、どうかしたか?」「色々と、気になる点はあるのだけど」
こほんと一度、咳払いをしてくる在歌。
「とりあえずは君も、入学セレクションを受けに来た学生ってことで良いの?」
「なんだ、最初に聞きたいことがそれなのか? ……ま、お察しの通りなんだけどな」
肯定しながらも──俺はお互いの立場について、改めて振り返ってみた。
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