第 2 話  母と父

 フェルバーン家の始祖は五百年ほど前の戦乱期に王家を守った騎士で王子のフレーデリックで、エパナスターシを大公国として独立宣言したヤン・エパナスターシ大公の末裔でもある。

 由緒があり伯爵家でありながら、公爵家にも劣らない格式の高い家門として国内では知らない人はいない。そうただの町娘でも。


「だから何としても、フェルバーン家のユリアーナをクリストッフェルの妻に迎えないと。」


 アニカは感情的になって言う。彼女は王太子の住むカサロス城の一番眺めの良い一室を居室として与えられている。それがマウリッツ王太子のせめてもの心遣いだ。

 彼女は裏町の小さなパン屋の娘だった。今の王太子マウリッツが立太子するより以前、学園時代の仲間に誘われて寄った酒場で年を誤魔化して働いていたアニカに一目惚れした。

 暫くは秘密の恋人だったが、立太子したときに城へ迎えた。

 だが、アニカは当然妃の扱いにはならず、表向きはマウリッツの正妃アンドレーアの侍女。王太子ともなれば、側妃はもちろんのこと愛妾ですらも末端貴族の娘と言うのが習わし。彼女は非公認の愛妾としてしか側にはいられなかった。

 そのアニカには十八になる息子クリストッフェルがいる。もちろん、父親は王太子のマウリッツだ。しかし、彼を王子として育てる代わりにアニカはクリストッフェルの母親として表立つことが許されなかった。

 それでも、我が子の行く末が心配になるのは当然の事。ただの町の娘だったアニカに貴族の後ろ盾などはなく、愛妾の立場ですらない者に味方もいない。


「どうにかして、フェルバーン伯爵と会う機会を作って。」


 アニカは正式な夜会や茶会などには一切出席していない。彼女の客と言えば、月に幾度か昔からの知り合いである町場の娘が王室の出入り業者を装って城へやって来て、小一時間お茶を飲みながら話して帰るだけだ。

 それは妃教育などを一切しない代わりに、社交界には決して出席しない事をここに来た時に約束したためだ。

 アニカの話しに耳を傾けていた、マウリッツ王太子の侍従長であるヘールトは考えを巡らせる。

 フェルバーン伯爵と言えば、現閣議長で数百年続くフェルバーン家の当主。王太子殿下の幼なじみと言えども、初期の社交のルールすら覚束ない彼女がお友達感覚で呼んでお茶をするような相手ではない。


「まずは殿下へお話し致しましょう。アニカ様もご存じの通り、フェルバーン家は由緒のあるお家ですから、そのご令嬢ともなると許嫁がいても不思議ではございません。」

「それは、ヴィレムの事?」

「いいえ。そのようなお話しはございません。」

「だけれど、クリストッフェルと結婚させるくらいなら、ヴィレムと…と誰もが思うでしょうね。アンドレーア妃の産んだ子ならば、辺境伯家の後ろ盾もあるのだから…。」



∴∵



「エルンスト。今日は忙しいところ来てもらってすまない。」


 エルンスト・フェルバーン。政治の上では三十九歳にしてこの国で王に次ぐ権力を持つ者。しかし、面構えはそんな重責を担っているとは思えないほど若々しく、美しい容姿は年を重ねる毎に衰えるどころか深みを増している様だった。

 

「いいえ。」


 城の応接室の一室で向かい合って座る。マウリッツはエパナスターシ特産の葡萄の蒸留酒に数種のハーブの香りを付けた酒をエルンストに注ぐ。テーブルには一口で食べられるような簡単なつまみも用意されている。

 夕食前にこの甘くてキツイ酒を腹に溜まらない程度のつまみを食べながらショットグラス一、二杯楽しむのはエパナスターシの習慣で、ハーリーと言われ仕事終わりにごく親しい人とこの時間を過ごすのが男たちの楽しみでもある。

 部屋にこの酒と、つまみが用意されていた時点で、王太子が閣議長を呼んだのではなく、一人の男が昔なじみを呼んだのだと理解した。

 乾杯をした後、酒を一口啜る。


「ユリアーナは確か、今年十六歳だったな?」

「半年後の十一月が誕生日です。」

「では、来年の春に社交界デビューだな。早いものだな。」

「はい。本当に。」

「結婚は?確かユリアーナには公表された許嫁などいなかっただろう?」

「ヴィレム殿下ですか?」


 マウリッツはのんびりした様子で少し笑い、首を軽く振った。


「クリストッフェルと結婚させたいと、アニカが言っているそうだ。」


 柔和な表情をしているが、この王太子の感情は読みにくい。


「我が娘をそのように見て頂けるとは、有り難いことです。」

「アニカはクリストッフェルに少しでも強い後ろ盾をと望んでいる。アニカ自身、何の後ろ盾もなく城に住み、一時ひとときも気の休まらない日々を暮らしている。だから、その気持ちは理解できるが…才媛の誉れ高いユリアーナでは…」

「いいえ。クリストッフェル殿下はとても優秀な方だと聞き及んでおります。…しかし、ユリアーナには想う相手がいるようなのです。」


 エルンストはショットグラスに少し残っていた酒を飲み干す。


「私たちも最近聞いたのですが、本人たちがそう望むなら気持を尊重してやりたいと親としては思っています。」

「相手を聞いても良いか?」

「エイクマン伯の嫡子、コンスタンティンです。」

「妹のアンナと結婚させるつもりでいたのではないか?」


 マウリッツが酒の栓を外すと、辺りに独特のハーブの香りが漂う。

 

「えぇ。しかし、二人の後押しをしたのがアンナだった様なのです。」


 エルンストは注がれた酒を舐めるように啜る。


「親馬鹿と言われるかも知れませんが、我が儘ばかりだったアンナが、二人の幸せを願って行動が出来るほど、大人になっていたのだと思うと頼もしく、嬉しく思いました。そのアンナの気持も含め、尊重してやりたいと。」


 マウリッツは、数回頷く仕草をした。


「コンスタンティンは、将来有望な青年だと私の耳にも入ってきている。父親のレネの背中を見てしっかりと育ったようだ。将来は一緒に仕事をする事になるだろうが、その日が楽しみだ。ユリアーナとはお似合いだな。」


 自分に良い事が起った時のように、マウリッツは笑顔でつまみを口に入れた。その笑顔を見たエルンストもかみしめるような笑顔を作って酒を呷った。



∴∵



「アンナ、あなたはこれで本当に良かったの?」


 ゾフィーは二人の実子と一人の養子を育てる三人の母だが、その美貌は今なお衰えず雅びた微笑みをアンナに見せる。


「お母様は、ユリアーナにもそうやって聞いたことはある?」


 アンナはゆっくりとした所作でお茶を飲む。ゾフィーはアンナのその姿をじっと見ていた。


「ユリアーナは、私の知っている限りお父様やお母様に嫌だとかやりたくないとか言ったことなかったわよね。」

「あの子はあなたと違って小さな時から物わかりの良い子だったからよ。」

「だけど、ユリアーナの胸の内に何もないわけではないでしょう?それなのに、お父様もお母様もユリアーナには自分たちのして欲しいことを言うばかり。今までユリアーナの肩に荷物を乗せ続けるだけで、胸の内を知ろうともしなかったんじゃないの?何も言わないのを良いことに。」


 ゾフィーは悲しいような、傷ついたような顔をアンナに向ける。


「お母様を批難したいわけじゃないの。私だって、素直で努力家で善良なユリアーナを盾にして、自分のやりたいようにやって来たの。それも、今度の誕生日までにしようと思うの。」


 そこに、エルンストの帰りを報せに、メイドがやって来た。ゾフィーは軽く返事して立ち上がる。

 アンナは部屋を出て行くゾフィーに暢気な笑顔を見せた。

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