第5話 謝れ

 朱里は逃げ出したくてたまらなかった。

 国王と荒癇の空気は険悪そのもの。 何があっても不思議ではないからだ。

 

 ――というかこいつは一体何なのよ……。


 明らかな国教に対しての侮辱。 大勢の武装した人間に囲まれているにもかかわらず平然としている。

 こいつは本当に同じ日本から連れてこられた人間なのだろうか?

 それほどまでに荒癇の放つ雰囲気は異様だった。


 「ふん、どうやってステータスに偽装をかけているか知らんが、貴様に力神プーバー様の加護がないという事は招かれざる客であるという事だ。 邪神の使徒め! 何処の国から送り込まれたか知らんが、知っている事を洗いざらい吐いて貰うぞ」

 

 剣や槍、それに魔法のような謎の光も向けられているが荒癇は特に恐れる様子もなく力なく首を振る。


 「無益な事は止めましょう。 俺は貴方達の召喚とやらに巻き込まれただけで、特にこの国に害を及ぼすつもりはありません。 やってしまった事は仕方がないので、帰る方法は自力で探すつもりです。 ――もし、帰る手段にお心当たりがあるのなら今すぐにでも帰らせていただきますが?」  


 言外にどうせ知らないだろうといっているようなものだ。 仮に知っていたとしてもいう訳がない。

 荒癇の平然とした態度が不快だったのか国王の顔が赤黒く染まる。


 「ふん、言葉こそ取り繕っているが命乞いか。 所詮は名前も知らぬ下等な神の眷属。 力神プーバー様の神威に恐れ慄いているというのなら素直にそう言え!」


 国王が馬鹿にするように鼻で笑う。 

 その瞬間、朱里の危機察知スキルが大音響で逃げろと騒ぎ出した。 

 対象は国王や周りの兵士達ではない。 目の前の少年に対してだ。


 「――は? 今、何て言った? ズヴィオーズ様が下等? もう一回言ってみろ」

 

 さっきまで凪いでいた荒癇に初めて感情のようなものが浮かぶ。

 生の感情が引き出せて相手の底を見たと判断したのか国王は得意げに笑う。


 「何度でも言ってやろう。 星と運命の女神? そんな聞いた事もない神格は力神プーバー様に比べれば下等な存在だと言ったのだ」

 

 荒癇は何か言いかけたが、大きく深呼吸。


 「我が女神は寛容。 謝罪すれば許してあげましょう。 さぁ、私が間違っていましたと謝罪しなさい」

 「謝るのは貴様だ。 この無礼者! 力神プーバー様の加護を受ける好機を棒に振った愚者め! 貴様がここに来た目的を素直に吐くならまだ情けを――」


 国王の言葉は最後まで紡がれる事はなかった。

 何故なら血を撒き散らしながら宙を舞っていたからだ。 何が起こったのか朱里にはさっぱり分からなかったが、荒癇が何かをした事だけは分かった。


 荒癇が手を伸ばすと宙に舞った国王の体が空中で静止し、吸い込まれるように引き寄せられた。

 飛んできた国王の胸倉を掴むと「謝れ」と一言。 

 

 「な? 何? なに、が??」


 鼻から血を流し、前歯がなくなった国王は自分に何が起こったのか理解できないといった様子だ。

 荒癇はそんな国王の顔面を殴りつけた。 凄まじく鈍い音が響き、顎が砕けたのか口の下半分がぶらぶらと揺れている。 


 「謝れ」

 「ま、まへ」


 また殴った。 頬が陥没し、目玉が飛び出しかけていた。

 あまりの光景にその場に居た全員が絶句。 ややあって、ミュリエルが我に返った。


 「や、止めなさい! こんな事をしてただで済むと――」

 「黙れ。 俺はこの男と話している。 さぁ、女神様への無礼を謝罪してください」

 「ほ、ほんなほとをひて――」

 

 また殴った。 顔の半分がぐしゃぐしゃになって目玉が飛び出す。

 あまりの光景に一部の日本人は思わず目を背ける。 朱里もそうしたかったが、力神プーバーの加護がない以上、どうにかこの場を逃げなければならない。 その為、状況の変化を見逃すわけにはいかなかった。


 国王はもう生きているのが不思議な有様だ。 

 人間は顔面をあそこまで破壊されても生きているんだなと現実逃避気味にそう考えてしまう。

 

 「騎士達よ! その者を取り押さえなさい!」

 「し、しかし王が――」

 「何とかしなさい! このままでは殺されてしまいます!」


 全身鎧達は武器を捨てて荒癇へと向かっていく。 素手で引き剥がすつもりのようだ。  

 騎士と呼ばれた者達は荒癇に取り付き、引き剥がそうとしたのだがピクリとも動かない。


 「くそ、なんだこいつ。 動かない!」

 「岩みたいだ! 離れろ! 離れろ!」


 力で引き剥がせないと判断したのか騎士の一人が荒癇を殴りつけた。

 頑丈そうな籠手はそれだけで立派な凶器だ。 普通なら皮膚が裂けてもおかしくはない。

 ――普通なら。 

 殴った騎士は腕を抑えて蹲る。 その口からは苦痛のうめき声。

 

 見た感じ、拳の骨に亀裂が入ったかどこかしら砕けたのかもしれない。

 その後に起こった出来事は記憶から消したいほどに凄まじいものだった。

 荒癇は朱里の見ている前で掴みかかって来た者達を全員殴り倒した。


 ステータスによる補正もあるのだろうが、殴っただけで数キロはありそうな全身鎧を身に纏った人間が宙に舞うのだ。 殴られた騎士達は一撃で行動不能になっており、鎧の胸部分にしっかりと刻まれた拳の跡とひしゃげた兜がその一撃の重さを物語っている。

 

 そして気が付けばミュリエルと日本人以外の全ての人間が地面に倒れ伏して動けなくなっていた。

 しかもそれを王を片手で掴んだまま行ったのだ。 尋常ではない。

 ミュリエルはあまりの光景に絶句。 荒癇はようやく話に戻れると言わんばかりに国王に目を向ける。 朱里の目にはもう死にそうに見える状態だが、荒癇は欠片も容赦するつもりはないようでさっきと同様に「謝れ」と促した。


 朱里はもうそろそろと言いかけたが、荒癇の目は驚くほどに冷たく、何の感情も浮かんでいない。

 まるで機械のようだと恐ろしくなった。 国王はもう喋る気力もないのか掠れた息を漏らすだけだ。

 荒癇は謝る気がないと認識したのか拳を振り上げて殴り抜く。 ゴキリと嫌な音がし、国王の首が千切れて飛んでいった。


 人を殴り殺しておいて荒癇はつまらないと言わんばかりに国王だった胴体を投げ捨てるとミュリエルへと視線を向ける。 ミュリエルはあまりの光景に腰を抜かしたのかその場に崩れ落ちた。

 荒癇は無言でミュリエルの方へと大股で歩き出す。 


 「ひ、こ、来ないで! 来ないで!」


 ミュリエルはさっきまでの態度は何処へ行ったのか、泣きながら来るな来るなと喚くばかりだった。

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