第三十一話 大切な話

 エドゥアルトの到着に合わせて集まった民衆も、今やまばらになっている。というのも、エドゥアルトの持ち帰った物資などの荷解きもあり、皆の関心もそちらに移ったところで、エドゥアルトがその場を辞したということもある。

 エドゥアルトは、自分の天幕に戻るついでによるをそちらへ誘導することも忘れない。

「待たせたね、よる。今日は大切な話があるんだ。」

 そう言ってよるを逃さない。

 エドゥアルトの真剣な眼差しを受け、戯れでないことはよるにも重々感じられた。

「大切な話…?手紙で言っていたことなの?」

 よるはエドゥアルトに耳を傾け、聞く姿勢に入る。

「そう、俺が王都へ戻った理由でもあるんだ。この度、キャロラインとの婚約は正式に破棄された。」

 エドゥアルトの鮮烈な宣告に、よるは驚きを隠せない。

「え、どう、して。とても重要な取り決めだったって…。」

 ルフトとセント。その固い絆の象徴でもあった両国の婚姻による関係の強化。それを覆すのは一筋縄では行かなかったはずだ。

「うーん、よるにはむしろ喜んで欲しかったんだが。まあ、あの兄妹が俺にしてきたことを考えれば当然の結果だと思う。キャロラインには悪いかもしれないが俺には元々キャロラインを愛することはできなかったわけだし。今になって価値観の違いが露呈したのだと思ってくれればいい。」

 エドゥアルトは淡々と語っているが、流石大切な話だけあって、スケールが大きすぎて、よるがはいそうですか、とあっさり受け入れるには事が重大すぎた。

「そ、それでエドはなんともないの?復讐されたり、危険な目に遭ってない?」

 よるは手放しには喜べないその状況に、エドゥアルトの身を慮った。今までのパターンだと、大体アルフレッドが暗殺しにかかってきそうなものだ。

「よるは優しいね。ありがとう。不思議と今の所そういう事態には遭遇していないよ。アルフレッドも、己が蒔いた種だから、反省しているのかもしれないな。」

 そう応えながら、エドゥアルトはよるを抱きしめると、思いきり空気を吸い込んだ。

「ん、エド?何してるの??」

 不穏な気配を感じたよるは、エドゥアルトに確認する。

「よるの匂い、久しぶりだから。」

 その回答にゾッとしながら、よるは離れようともがくが、エドゥアルトの膂力に抗えるわけがなかった。

「え、エド。その、特別いい香りでもないし、恥ずかしいから。離して?」

 よるにしてみれば、自分の匂いというのは、陣営での汗水の匂いなので、とても恥ずかしい。清潔に保っているつもりだが、衛生上から言えば、現代にいた時とは雲泥の差である。

 懇願するように言ってみるが、エドゥアルトの暴走は止まるところを知らなかった。

「いい匂いするからだめ。よる成分摂取しないと俺が死んじゃう。これでも王都で慣れないことをして、疲れたんだ。お願い、癒して?離さないよ、よる。」

 よるは混乱した。

(よる成分って何?エドが作った新しい栄養素かな?)

 しかし、確かに疲れた様子のエドゥアルトを突き放すことはよるにはできず、されるがままに少しの間させてあげることにした。

 エドゥアルトは、よるを抱きしめたまま、自身の寝台へと誘導する。

「よる、疲れたろう、少し眠ろう。」

 そう言っていつものように寝台にダイブするエドゥアルトだったが、その異変に気づかないわけはなかった。

「ん。」

 エドゥアルトは、寝台に顔を埋めたあと、もう一度抱きしめたままのよるの香りを確認すると、一つよるに頷いて、

「俺の心配など杞憂だったということだな。愛してる、よる。」

 と言って、またいつものようにキスをおねだりした。

 エドゥアルトが何を確認したのか、知りませんと言えるよるではなく、エドゥアルトのいない間、そこで眠っていたことを知られて恥ずかしくなったが、間違ってはないと己を納得させた。エドゥアルトも不快には思わなかったようだし、何も問題はなかったと思っておく。

 珍しくよるよりも先に寝息をたて始めるエドゥアルトに、よるは驚いたが、

(相当疲れてたんだね。お疲れさま、エド。)

 その伏せられた長い睫毛を見つめながら、声には出さないが、そう思いを抱くと、よるも目を閉じた。

 

 

 ところ変わってディエトロ国の城ー

 

「なんですって?」

 カルロは耳を疑った。父ディエトロ王には、良い報告をしたつもりだ。無意味な戦争に終止符を。カルロは常にそういう思いで動いていた。

 キャロラインとの婚姻による戦争の終結を父に提案した。

「そんなもの、なんの意味もないわ。余が戦争をしているのは、エリーザベトを手に入れるためだ。そんな世迷いごとを言っている暇があったら、ルフトの国を制圧して、余にエリーザベトを差し出すがいい。」

 カルロは父王が嫌いだ。理由は一つではない。母を蔑ろにし、口を開けばエリーザベトの名前ばかり。ならばなぜ母を娶り、自分という存在を生ませたのか。それは国の未来がないと、政をする連中が急かしたせいなのだが、ならば母はなんだったのだ、とカルロはいつも疑問を抱いていた。カルロの思い出の中にある母は、いつも優しくカルロに接しながらも、どこか悲しみを湛えていた。

 カルロは父の姿を見て、ああはなるまいと、常々心に誓っていた。自分はどんな結果になろうとも、結ばれた女性を大切にしようと。結ばれた女性がいながら、他の女に懸想し、挙句その妄想に生きることはあってはならないと思っていた。

 カルロは徐ろに、一束自分の髪の毛を引きちぎった。カルロは父に似たこの赤毛が大嫌いだった。自分がこの男の系譜を継いでいるという事が、恥でしかなかった。更にこの戦争を一人の女性のために終結させないという愚かさに、腑が煮え繰り返った。

 どれだけの民を巻き込めば気が済む?どれだけの人間を泣かせれば気が済む?王でありながら、国の未来よりも己の妄想を優先させるなどと、到底許されるはずがない。

 もはや、あの男は狂っているのだ。誰かが終止符を打たなければならないのではないか?

 カルロは相談役というものに恵まれなかった。思い込んでしまうその性格はある意味忌々しく思った男の系譜を継いでしまったのかもしれない。

 キャロラインの心を手に入れた事で、カルロはもう一つパイプを手に入れた。それがセント国の暗殺ギルドだ。その長たるアルフレッドにカルロは一つの要求をした。

『この辺りで解毒方法の知られていない強力な毒を手配してほしい』と。

 しばらくした頃、アルフレッドは軽々と三階のカルロの部屋を訪れる。

「よう。お待ちどうさんだ。これは遠い地で、墓の側に植えられるという花の根から取れる毒だ。致死毒だから、お前が間違って飲むなよ。」

 それだけ告げると、風のように去っていった。

(何に使うのかは、概ね察しているのだろうな。)

 カルロは、父を抹殺するという、強い決意を新たにした。

 

 

 アルフレッドは、キャロラインに寄り添おうとしているカルロに感謝していた。あの日から、キャロラインはここ数年見せたことのない笑顔で日々を過ごしていた。

(可愛い妹の幸せの形はひとつじゃなかったって事か…。)

 飄々としてはいるが、妹のことには人一倍心を砕いていた。妹を受け入れないエドゥアルトに憎しみさえ抱いていた。ただ、妹が止めるので、今まで生かしておいてやっただけだ。

 だが、今となってはどうでもいい。キャロラインの笑顔に関係ないものは、どうでもいいのだ。それがアルフレッドだ。そんなキャロラインの笑顔を守るためなら、ディエトロ王の暗殺だろうがなんだろうが、知ったこっちゃない。

 戦争も終わるし、キャロラインも幸せになるなら、いくらでも協力しよう。

 いつぞや、二度と組まないと言ったあの言は撤回しておくことにする。

 今はカルロからの吉報を待つ。

 駆け抜けるアルフレッドの笑い声が森の中にこだました。

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