第9話

******



「理沙も、香菜江さんがいてくれると嬉しいみたいね。いつもの倍、騒がしいもの」


 時刻は21時。

 優香さんの家で、理沙ちゃんを寝かしつけた後だ。

 しんと静まり返った居間で、ようやく二人きりの時間が訪れた。


 わたしは今日一日で、優香さんの家族に溶け込むことができた気がする。この先、一緒に暮らすことになるかもしれないし、いつまでもドキドキとしてなんかいられない。でも、もうちょっと初恋のような甘酸っぱい感覚も味わっていたい。二人きりのときは思う存分、味わえるみたいだけど。


 わたしと優香さんは、なかなか目を合わせて会話ができない。理沙ちゃんが間にいるときは、普段通りに接することができていたのに。

 ただ、この初々しさは、今しか体験できないはずだ。この瞬間も楽しんでいる自分がいた。


「あの、優香さん」


 わたしは、意を決して優香さんに向き直る。

 いい加減、はっきりさせようと思ったのだ。今の関係は、ちょっとふわふわしすぎている。優香さんだって子どもを育てているわけだし、しっかりとした伴侶はんりょを欲しているはずだ。


「な、何かしら」


 優香さんも、ぴしっと正座をして向き直ってくれる。


「わたしは、優香さんとともに理沙ちゃんを育てる覚悟があります。その、け、結婚を前提に、ってことで……いいですか?」


 いざ口にすると、緊張がすごいな。漫画やドラマでしか聞いたことのない台詞を、自分が言う日がくるなんて。しかも、優香さん相手に。


 優香さんは優香さんで、女神のような美しい顔をりんごよりも赤く染めて、こくり、と頷いてくれる。


「喜んで……お受けするけど……。あのね、私……、恋愛経験はないから……。香菜江さんといると、すごくドキドキして……。香菜江さんのこと、楽しませられないかも……。それでも、いいの……?」


 待て待て。

 優香さんは、人の脳みそを破壊する天才なのかな?

 清楚だなとは思っていたが、これほどまでとは。わたしは鼻血が吹き出そうになって、鼻頭をついつい押さえてしまった。


「恋愛経験ないのは、わたしもですけど……。優香さん、美人すぎるし、たくさん告白とかされてそうなのに、意外ですね……」


「されたことは、あるにはあるけど……。なんか、あまり興味が持てなかったのよね。でも、香菜江さんと出会ってわかったわ。私、女の人じゃないとダメだったみたい」


 優香さんは環境のせいか、自分のセクシャリティに気づくことができなかったようだ。そういう人は珍しくないらしく、26歳まで自覚できなくっても、なんらおかしくはなかった。むしろ、長年悪い虫がつかなかったことに感謝したいくらいだ。


「わたしは、けっこう早くから女性しか意識できなかったんですけど……。出会いが全然つくれなくて、恋人ができませんでしたよ」


「うーん。香菜江さんって格好いいし、スタイルいいし、むしろ女性からのほうが人気高そうに見えるのに。私を選んでくれるなんて、嬉しすぎるわ。……でも、香菜江さんは、どうして私がよかったの? 子どもだっているのに」


 う……。正直に言っていいのか?

 でも、優香さんに嘘はつきたくないしなぁ……。


「最初は、その……。優香さんの顔が好きすぎました……。完全に一目惚れです」


 わたしは、懺悔ざんげでもするかのように、うつむきながら答えた。悪いテストを見せた子どもかってくらいオドオドとしつつ、優香さんの顔をちらりと盗み見る。

 彼女は、意外だ、といわんばかりに口を半開きにして驚いていた。容姿で選んだこと、軽蔑けいべつしたりはしないみたいだ。


「私の顔……? ふふ、なんか、嬉しくなっちゃうわね。私も、香菜江さんの顔、好きよ……?」


 照れてもじもじしながら言う優香さん。

 可愛すぎて、抱きつきたくなった。っていうか、抱きついていいのでは? 結婚を前提にお付き合いしてくれるって言ってくれたわけだし。


 よし、抱きつこう。


 わたしは黙って立ち上がり、優香さんのそばにすり寄ってから、包み込むようにしてハグした。わたしがビビリだからってのもあってか、壊れ物を扱うみたいなささやかなハグだ。


「今は、優香さんの全部が好きです。優しいところとか、しっかりしているところとか。匂いだって……。わたし、一日中優香さんのこと考えちゃうくらい好きなんですよ」


 理沙ちゃんがいないからか、歯止めがきかない。

 その上、優香さんも恐る恐る抱きしめ返してくれるものだから、熱い抱擁ほうようをかわすこととなった。まるで、上昇気流に乗ったみたいに、二人の関係性が進んでいく。ちょっと前までは、朝に挨拶するだけだったのに。


 ここまできたら、キスもいけるかな?

 心臓が破裂しそうなくらいドキドキとする。


「私も……だめかも。香菜江さんに、恋を教えられちゃったから。母親なのに……香菜江さんのことで頭がいっぱいになっちゃう。理沙が一人前になるまでは、子育て一筋って決めていたのに、ダメな親よね……。でも、香菜江さんが一緒に支えてくれるんでしょ……? 甘えて、いい?」


「もちろんです。わたしだって、理沙ちゃんをないがしろにするつもりないですから、安心してください。でも、わたしも……。理沙ちゃんが寝静まっているときくらいは、優香さんを独り占めしたいです……」


「うん……。今は……香菜江さんのものだからね……? 私も、香菜江さんのこと、ちゃんと愛して……るからね? だめ、恥ずかしい」


 優香さんの体、発熱してるのかってくらい熱い。わたしだってそうだ。

 蒸気を出しそうな頬をした優香さんは、恥ずかしさのあまりか、わたしから顔をそむけようとする。その彼女のあごを、ぐいっと手で引き寄せた。


 そして――深い深い口づけをする。


 頭の中が真っ白になった。

 幸せが臨界点を過ぎると、何も考えられなくなるのか。


 まるで宇宙でも彷徨さまよっているかのような、大きな開放感。

 優香さんの唇を味わう時間は、無限にも感じられた。


「はじめて奪われちゃったわね……。香菜江さん、責任取らないとだめ、よ?」


 どこまで可愛いんだ、優香さんは。

 キスだけじゃ我慢できないかも。

 わたしは優香さんをさらに強く抱きしめた。


「優香さんこそ。わたし、けっこう欲まみれですよ。からだだって、いっぱい触りたいんです。やっぱりそういうのは嫌、なんて言うのナシですからね」


「い、嫌、ってわけじゃないけど……。待って、私何したらいいかわからないし、順序ってものが」


 優香さんは、機械がショートしたみたいにギクシャクとしている。わたしから距離を置こうともがき始めるし、言葉だってたどたどしかった。

 無論、わたしだって経験はないのだが、自信はある。自分のからだだって女性だから、どうすればいいのかは想像がつくし。それに、知識だけは無数に仕入れてある。


「キスもしたし、順序は大丈夫でしょう。わたしに任せてください」


「え、まって、まって。ここで? 理沙が隣の部屋にいるのよ? ていうか、香菜江さん、なんか急に手慣れてない?」


「声出さなければ平気ですよ。……女性とこういうこと、ずっとしてみたかったんです。だから頭の中では百戦錬磨ですよ。お預けはなしですからね?」


 反論しようとする優香さんの口を、口でふさぐ。

 二度目のキスは余裕を持てたので、優香さんをじっくりおがむことにした。


 彼女は怯えたように目をつむり、わたしをなすがまま受け入れてくれている。

 舌をねじ込んでみると、優香さんの全身から力が抜けていった。わたしに全てを預けてくれるみたいだ。


 しばらくは優香さんの口内を舌で這い回り、唾液を堪能たんのうした。ディープキスをしていると、優香さんは定期的にぴくんぴくんと体が跳ねていて、可愛い。


 次は、優香さんの巨大な胸を味わいたい。 

 思い立ったら即実行。さっそく、服の上から手をあてがってみた。


「んっ!!」


 優香さんは敏感な反応を示し、咄嗟とっさにわたしから逃れようとした。けど、彼女を離したくない。その想いでいっぱいだったわたしは、優香さんの後頭部をしっかりと片手でホールドしてキスを続ける。

 そして、右手では優香さんの豊満な胸を、触診するように優しく撫でる。シャツ越しでもわかる、大きな乳房。とんでもなく柔らかい。直接触ったとしたら、マシュマロよりもふわふわするんじゃなかろうか。


 胸をだんだん強く揉んでみると、優香さんのくぐもった悲鳴が目立ってくる。

 ちょっとやりすぎたか?

 暴走列車だったわたしは、緊急ブレーキを踏むことに成功した。


「す、すみません。やっぱり嫌、でしたか……?」


「ん……。驚いちゃっただけよ……。でも……香菜江さんって……えっちね」


 どうしてそういうこと言うかなぁ。誘ってるようにしか聞こえないじゃないか。


「魅力たっぷりの優香さんが悪いんですからね。もう、止めませんから……」


 わたしは、布団も敷いていない居間の床に、優香さんを押し倒した。準備も何もなしに体を重ねるのだから、本能のおもむくままだ。

 獣と化したわたしは、優香さんのむき出しの首筋を噛みつくようにして、唇をあてがう。そして、吸って、舐める。右手は、執拗しつように胸をまさぐった。


「んっ……。だめっ……、声、出ちゃうっ……」


 優香さんはわたしの愛撫で感じてくれているのか、息が荒い。しかも、嬌声きょうせいが断続的に漏れていて凄まじくエロかった。

 優香さんにどんどん脳みそを破壊されていく。自分が人間じゃなくなっていくような感覚さえあった。ひたすらに優香さんをむさぼりたい。


 わたしの右手は優香さんの巨乳を離れ、下降していく。そして、ズボンの隙間に手を差し込もうとして――さえぎられた。


「そこは、ダメ……。お願い……。理沙、起きちゃうから」


 優香さんの懇願こんがんした声は真剣さを帯びていて、わたしは冷水を浴びせられたみたいにして、我に返った。

 そうだ。隣の部屋では、理沙ちゃんが寝ているんだ。

 激しいセックスは、できないよなぁ……。


「ごめんなさい……。優香さんと、ずっとしたかったから……歯止めがきかなくって」


「ううん、それはいいの。でも、ほら……やっぱり、理沙の近くでは、私も集中できない、っていうか……」


 それも、そうだよね。

 世の中の子持ち夫婦は、夜のいとなみをどうやって済ませているのだろうか。

 少なくとも優香さんは、隣の部屋が気になってしかたないみたいだった。


「じゃあ、集中してえっちができそうなときは、思いっきりしちゃっていいですか?」


「う、うん……。そのときは、お願いします……。私も、香菜江さんには喜んでもらいたいから……。ごめんね、今、させてあげられなくって。それに、何もわからなくて、こっちからもできないし……」


「そこがいいんですよ、優香さん。わたしも、理性を保てるように頑張ります。……あ、でも、声が出ない程度のことならば、してもいいですよね?」


 優香さんは、何をされるのか心当たりがないのか、小首をかしげる。

 わたしは、不意打ちでキスをした。優香さんは、またも頬を染めて、汗でも飛び出しそうに慌てている。


「これくらいなら……大丈夫かも……」


 ひとまず、キスはいくらでもしていいこととなった。


 この後、就寝することになるのだが、途中でお預けをくらってしまったわたしは、一晩中ムラムラしてしまい大変だった。結ばれたはいいが、生殺しも辛い。

 どうにかして、理沙ちゃんの対策を練らないといけないな。

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