妖魔の未練と退魔の筆

 学習相談室は、ふつうの教室と同じような部屋だ。机といすが並んでいて、前と後ろに黒板がある。

 ドアに手をかけた私は、ゆっくりと開ける。


 まどの前に、ひとりの男の子が立っていた。

 スッとした、まっすぐな姿勢で、うでを組んでいる。「中学生です」って言ったら、信じる人は少なくないと思う。

 強くて、ゆるがないひとみで、まどの外をながめている。

 私の背中がビクリとふるえた。

(宝月くん……!)

 そう。その男の子とは、宝月忍くんだったんだ。


 どうして宝月くんが、学習相談室にいるんだろう?

 中に入りづらい……だけど、私には、学習相談室って書かれた紙切れが……!

「……何で入らないの」

「ひゃっ!」

 私は思わず悲鳴をあげてしまった。

 宝月くんが、横目で私を見ていた。私の気配に、とっくに気がついていたみたいだ。


「ど、どうして、宝月くんは、ここに……?」

 おそるおそる聞く私に、宝月くんは、まゆをひそめた。

「どうしてって……見ただろう、メモ」

「メモ?」

「放課後に、学習相談室に来てって、書いておいただろう。俺の名前もそえて」

 宝月くんの名前が書かれたメモ……?


 私は、うずまき文字の紙切れを確認する。

 ……言われてみると、一番最後の行に「ほうづきしのぶ」って書いてある気が……しないでもない。

「宝月くんが、私を呼んだの……?」

 宝月くんは、だまってうなずいた。

(どうして私のことを……?)

 宝月くんからは、いつも怖い顔を向けられている。それなのに、私を呼び出すなんて……


(ついに怒られる日が来たんだ)

 なんで嫌われているのか、答えを探せないまま、今日まで来てしまったから。

 とうとう、宝月くんの堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れたんだ。きっとそうだ。

「ごめんなさい……!」

 だから私は謝った。大きく背中を曲げて、全力で。


「私が、宝月くんの嫌がることをしたから……」

「……謝罪しゃざいさせたくて、呼んだんじゃないんだけど」

 宝月くんが、私の方に身体を向けた。そして、小さく手招きをする。

 私は、ゆっくりゆっくり、教室の中に入った。


「持ってるんだろう」

「な、なにを……?」

退魔たいまの筆」

 たいま、っていうのは、よく分からない。だけど、筆なら、心当たりがあった。

 机にランドセルを置いた私は、中から筆を取り出す。

「この、金色の筆のこと、かな……?」

 私は、おそるおそる筆を差し出す。


「書いてあるだろう、そこに」

 宝月くんは、筆管——持ち手の部分だね——を指さした。

 よく見てみると、つなげ字で何かが書いてある。『退魔之筆』……かな?

「この筆が、どうかしたの?」

 きょとんとする私を見て、宝月くんはうでを組んだ。


「本当に、何も知らないんだな」

「ご、ごめんなさい……」

「だから、謝罪させたいわけじゃない」

 宝月くんは、黒板の前に移動する。私の身体も、黒板の方に動く。

 宝月くんは、黒板に絵を描いた。地球の絵、その右どなりに、ひとつの丸。


「左が、おれたちの住んでいる世界。右が魔界まかい

 右の丸の周りに、色々な絵を追加する。九本のしっぽを持ったキツネとか、火をまとった鳥とか。

 そんな絵をスラスラと描いていくのを見て、私は素直にすごいと思った。宝月くんは、いっしゅんで色々な絵を生み出す、手品師みたいだ。

 ……丸の下に、うずまき文字が追加された。ううんと、「まかい」って書いてあるのかな?


「この鳥やキツネは『妖魔ようま』という。昔は、妖魔も、俺たちの住む世界にいたんだ。だけど、いきなり、俺たちの世界と、魔界とが、離ればなれになった」

 地球と魔界の間に、一本の棒が、サッと引かれた。

「それで、妖魔は魔界に帰った……はずだった」

「はずだった?」

「魔界に帰れずに、残っている妖魔がいる」

「どうして……?」

 宝月くんは、身体を私に向けた。


「もう一度、あの景色を見たい」


 私は首をかたむけた。どういう意味なんだろう?

「この世界に感動した妖魔が、少なくないんだ。それで、魔界に帰る前に、好きな景色を、もう一度だけ見たいと思ってる。その未練が強くて、魔界に帰れなかったんだ」

 たしかに、世界中に、すてきな景色があるからね。なんだか、妖魔に親近感を持ってしまう。


「でも、それなら、妖魔たちが、自分でその場所に行けばいいんじゃないかな?」

「行けないんだ」

「どうして?」

「妖魔は、ある場所に閉じ込められているから。悪さをしないように」

「ある場所って、どこなの?」

 宝月くんは、もうひとつの絵を描いた。それを見た私は、描かれたものを口に出す。


「学校?」

 宝月くんは付け足した。

「ここから少し歩いたところにある、旧校舎」

 それを聞いた私は、目を見開いた。

 旧校舎って、まさか……

「それって、海の近くにある、あの?」

「そう」

 私はがく然とした。


「昨日、隼人くんと行ったところだ……」

 私の言葉に、宝月くんが、いっしゅんイヤそうな顔をした。

「もしかして、隼人くんの具合が悪いのって……」

「具合が悪い?」

「おかしな夢を見て、ねむれなかったって」

 宝月くんはため息をついた。


「妖魔に取りつかれたな」

「え……⁉︎」

 私の顔から、血の気が引いていくのが分かった。宝月くんは冷静だ。

「妖魔は、自分が見たい景色を、人間の夢で再現するんだ。朝陽が見たのは、取りついた妖魔が、もう一度見たいと思っている場所の夢だろう。自分は学校から出られないから、未練の念で朝陽を呪って、夢を見させてる」

「どうすれば、隼人くんに取りついた妖魔に、帰ってもらえるの?」

 私は前のめりになった。

 おかしな夢を見せられるせいで、隼人くんは休めなくて、具合が悪くなっている。そんなのが何日も続いたら、隼人くんの身体がこわれちゃうよ。


「妖魔の望む景色を見せればいい」

 あせる私と、淡々としている宝月くんは、まるで正反対だ。

「妖魔の望む景色を見せる……でも、妖魔は、旧校舎から出られないんだよね? どうやって景色を見てもらうの?」

 私の質問を聞いた宝月くんは、自分のランドセルから何かを取り出した。


「この札に、場所の名前を書く」

 宝月くんの手には、真っ白なお札がある。

「その、退魔の筆を使って」

 宝月くんの目線が、私の持っている筆に向いた。

 この金色の筆——退魔の筆で?


「それで、場所の名前を書いた札を、俺の筆——創造の筆に吸わせる」

 宝月くんのランドセルから、一本の筆が出てきた。

「銀色の筆……」

 高級そうで、見た目以上に重みのありそうな筆だ。

「札に書かれた場所は、この筆で描き上げることができる」

「それで、妖魔が見たいと思っている景色を、もう一度見てもらうんだね」

「そう。それで満足すれば、朝陽への呪いをといて、魔界に帰るだろう……こうやって、筆を使って妖魔を魔界に帰す人を、退魔師たいましという」

 私は、とりあえずホッとした。隼人くんを助ける方法が分かったから。


「まさか、星乃が、退魔の筆を持っていたなんてな」

 宝月くんは、はあ、と息をはいて、横を向いた。横顔も整っている。ううん、整いすぎている。

「どうして私が、筆を持っているって分かったの?」

「あれだけ光らせてれば、さすがに気がつく」

 私は朝の出来事を思い出した。金色の筆がとつぜん光ったこと。

 あの時、宝月は、ずっと私を見たいた。あれは、退魔の筆が光ったって思ったからなんだ。


「俺の持っている創造の筆に反応したんだろう」

 私は、金色の筆と銀色の筆を、交互に見る。

「どうして、名前を書く筆と、絵を描く筆が分かれているのかな? 名前を書くのも、絵を描くのも、一人じゃいけないのかな?」

 宝月くんは、首を横にふった。

「下手な字だと、創造の筆が、正しく場所を記憶してくれない。俺は、字がうまくない……分かるだろう」

 宝月くんはムスッとしている。

 そんなことないよ……って言いたかったけど、このうずまき文字を「上手」とは言えなくて、私は引きつった笑いでごまかしてしまう。


「そして、創造の筆の力は、札に書かれた場所を、いっしゅんで絵描けるようになる力。ふつうなら何十時間もかかるところを、あっという間に描けるっていうだけ」

「それって、どういうこと?」

「もともと絵のうまくない人が、創造の筆を使っても、意味がないってこと。うまいとは言えない絵を、いっしゅんで描けるようになるだけだから」

 私はひとつの絵を思い出した。昨日生み出してしまった迷画めいが『世界の終わり』だ。

 私が創造の筆で絵を描いても、妖魔を満足させることはできないだろう。怒らせる可能性すらある。


 宝月くんは、黒板に描いた絵を消した。ランドセルを背負って、教室を出て行こうとする。

「何してるの」

 ぼうっと立っている私に、宝月くんが声をかけてきた。

「え?」

「一緒に行かないといけないだろう」

「どこに?」

「旧校舎。決まっているだろう」

 宝月くんの強い目が、私をまっすぐとらえる。


「朝陽を呪っている妖魔を、魔界に帰しに行くんだろう」

 その言葉で、私はハッとした。

(そうだ。隼人くんを助けなきゃ)

 私のことを、いつも救ってくれた隼人くん。

 いつも明るくて、すてきな笑顔の隼人くん。

 今度は私が、助ける番だ。

「うん!」

 私は宝月くんについていく。


 妖魔を魔界に帰す、退魔師のお仕事が始まった。

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