書き×描き退魔師と死に急ぎ

月泉きはる

世界の景色となくした記憶

 世界にはたくさんの景色がある。

 すきとおるような青い海。堂々とそびえる山。何百年も前につくられたのが、信じられないくらいに美しい教会……。

 ほら、この、フランスの大聖堂のバラ窓。大きな円をえがくように並んだステンドグラスたち。

 コンピュータのない時代に、きれいな円の形に並べたんだよ? 一枚一枚のステンドグラスをどこにつけるのか、細かく計算してるんだ。

 太陽の光を吸い込んでかがやくのが幻想的で、ずっと見ていたくなる……


琴奈ことな!」

 ハリのある声で名前を呼ばれて、私、星乃ほしの琴奈は、空想から抜け出した。

 ここは五年一組の教室だ。朝読書が始まる前で、みんな、お友達とおしゃべりしてる。その話題は、昨日までのゴールデンウィークのことで持ちきりだ。


 私の名前を呼んだのは、朝陽あさひ隼人はやとくんだ。私の机に両手をついて、身体を前のめりにさせている。

 いつも明るくて、さわやかな笑顔を浮かべている。まるで太陽みたいな男の子。私と隼人くんは、どうやら幼なじみ……らしい。


「また、世界の写真を見ていたの?」

 隼人くんは、私が見ていた本を指差す。『世界の絶景ぜっけい百選!』という写真集だ。

「かすみ草の花畑は見つかった?」

 隼人くんの質問に、私は首を横にふって答えた。その拍子に目元に流れてきた、長くて茶色い髪を、私は耳にかける。


 私は、かすみ草のお花畑を探しているんだ。そのために、世界中の名所を調べ始めた。写真集をめくるうちに、世界にはたくさんの景色があることを知ったの。

 どの景色も、みんな違ってみんな素敵だ。豪華なお城から、大きくてクリアな海まで。見ているだけで、作った人の気持ちとか、じ技術のすごさを感じるんだ。

 そうして今では、世界の景色そのものにハマっちゃったってわけ。


「どんな花畑なのか、もう少しくわしく分かれば、調べられるかもしれないけど」

 隼人くんの言葉を聞いて、私はノートを広げた。そして、色鉛筆を取り出す。

「空は水色で、地面にはずーっと、たくさんのかすみ草が咲いてて……」

 頭の中のお花畑を、私は一生けん命描きあげる。

 私の全力をこめた絵を、隼人くんはこう評価した。

「世界の終わりみたい」

「そこまで言わなくても……ううん、言いたくなるよね……」

 私はガックリと肩を落とす。


 そう。私は、ビックリするほど絵が下手なんだ。


「琴奈、字は上手なのに、絵になると、これだからな」

 隼人くんは後ろのかべを見た。習字の時間に書いた、みんなの作品がはられている。私の作品の右上に、金色の折り紙でできたメダルがついている。

 私は、朝陽隼人くん命名の絵画『世界の終わり』を机にしまった。


「私の絵のお話は、もういいよ……隼人くん、私に何かご用事?」

 隼人くんは、自分の左手を広げてお皿にする。そのお皿に、握った右手を、ポンっと置いた。

「そうだそうだ。琴奈、今日の放課後、あいてる?」

「五時までなら大丈夫だよ。五時から、書道のおけいこなの」

 私が答えると、たちまち隼人くんの目がキラキラした。そして、私の両手を握って、こう誘った。


「一緒に魔女を探しに行こう!」


 ……え?

「マジョ?」

「そう。魔女!」

 えっと、そんなにさわやかに言われても、さすがにオカシさを誤魔化せてないよ?

 混乱する私をよそに、朝読書の開始を告げるチャイムが鳴る。

「それじゃあ、今日の放課後な!」

 隼人くんも、私を置いていくことにしたらしい。自分の席に、軽い足取りで戻ってしまった。

 魔女探しは決定事項になってしまった。


 朝読書の終わると同時に、小路おじ先生が入ってきた。おじいちゃん先生と呼ばれている、のんびりした先生だ。最近、白髪が増え始めたのが悩みらしい。

「朝の会を始めますよー」

 聞いていると眠たくなるような、ゆっくり優しい話し方だ。


「今日は、表彰ひょうしょう式をします。三月に『大切な人におくる絵のコンクール』の作品をいてもらったのを、覚えていますか?」

 私はまったく覚えていなかった。覚えていたとしても関係ないから、問題ないんだけどね。

 だって、私の画力で、コンクール入賞なんてあり得ないから。そんなことがあったら、審査員しんさいんの体調不良を疑う。


「このクラスの、宝月ほうづきしのぶくんの作品が、金賞に選ばれました」

 先生が一枚の絵を広げて見せた。クラスのみんなが「おおー!」と声を上げる。

 花びんにささった、九本のチューリップの絵だった。

 絵のことなんて何にも知らない私でも、上手なことはすぐに分かった。窓の外の青空までしっかり描き込んでいるけれど、主役のチューリップの邪魔をしないようになっている。太陽の光が当たる明るい部分と、影になる暗い部分が、しっかり描き分けられている。


 先生から賞状を受け取りに、宝月くんが前に歩いていく。高い身長に、まっすぐな背中。まゆ毛と目はキリッとしている。

 賞状を受け取るしゅんかん、みんなが、めいっぱいの拍手をした。もちろん私も。


 宝月くんは何も言わずに席に戻っていく。私の横を通る時、宝月くんがキリリと私をにらんだ。

 私は、とっさにうつむいた。


 なぜだか私は、宝月くんに嫌われているみたいなんだ。目が合うたびに怖い顔をされる。

 その理由は、私には分からない。だけど私は知っているのかもしれない。


 私には「四年生の時までの記憶がない」からだ。

 四年生の終わりごろに、とつぜん忘れちゃったんだ。

 だから、私と隼人くんが幼なじみだっていうのも、お母さんやクラスの子から聞いた話でしかない。

 さっきの絵のコンクールのことを覚えていないのも、記憶がなくなったせいなんだ。


 お医者さんは「ショックの大きい何かを見た」とか「頭に強い衝撃しょうげきを受けた」とか、あれこれ原因を考えていた。

 だけど、けっきょく分からずじまいだったんだ。

 いきなり何もかも分からなくなって、とっても怖かった。だけど、お父さんやお母さん、クラスのみんな、先生たち……たくさんの人に支えられて、立ち直れたんだ。

 そのおかげで、お父さんやお母さんのこと、クラスのみんなのことを、少しずつ思い出していっている。

 みんなに色々教えてもらったおかげで、学校の生活はできるようになった。隼人くんにも、たくさん協力してもらった。

 それでも、全部を思い出せたわけじゃない。

 だから、宝月くんに怖い顔をされる理由も、きっと私が思い出せていないんだ。


(かすみ草のお花畑のことが分かれば、きっと大切なことを思い出せるはずなんだ)

 空っぽになった私の記憶に、たったひとつ、残っていたもの。

 それが、かすみ草のお花畑なの。

 だから私は、探したいんだ。かすみ草のお花畑がどこにあるのかを。


「忍くん、カッコよくなったよねー」

「うんうん。三年生の時から、頭もよくて、足も速かったけどー」

「外国に行っている間に、もっとステキになったよねー!」

 私の後ろの席の女の子たちが、キャピキャピとした声で話している。


 どうやら宝月くんは、一度外国に行っていたらしい。それで、四年生の終わりに、日本に帰ってきた……らしい。

 四年生までの記憶をなくした私から見ると、宝月くんは、初めて会った男の子なんだけどね。


 頑張っても思い出せない記憶のことは、一度わきに置いておくことにした。

 今、一番の問題は、放課後の魔女探しだ。

(魔女なんて、本当にいるの?)

 その答えは出ないまま、朝の会が終わった。

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