12:48 すれ違う二人

 食堂では神谷たちが話をしながら昼食をとっていた。五十嵐は神谷の様子をうかがいながら話しており、木野と円東もそれぞれに食事を進めつつ、時折会話に加わっている。

 倉本が食堂と居間の間に立って、千晴と神谷の両者を気にかけていた。

 千晴は神谷の見つけた手がかりについて、ひたすら思考を巡らせていた。彼が離れと一階を探すというからには、きっとそのどちらかにあるのではないか。

 ふと足を止めて千晴は倉本を見る。そうだ、彼は休憩中に神谷とともにいた。どのように過ごしていたか、具体的なところを知っているのではないか。

 千晴は思いつくなり倉本へ歩み寄った。

「倉本さん、後で協力してほしいことがあります」

「ああ、何だ?」

「神谷さんのことで、少し聞きたくて」

 彼に聞こえないよう小声で言う。倉本は察したようにうなずいた。

「分かった」

 食堂へ視線をやると神谷はすでに皿を空にしていた。慌てて五十嵐は食べかけのロールパンを口へ詰めこみ、席を立った彼を追う。

 倉本がテーブルへ向かっていくのを見て、千晴は居間を振り返った。

「僕たちもお昼ご飯にしよう」

 万桜が亜坂と一緒に腰を上げてこちらへやってくる。

 千晴たちが席へ着くと、入れ替わるようにして木野が立ち上がる。

「私、さっきは何も出来なかったから……翔吾くんたちと一緒に探してみるね」

 木野がそそくさと食堂を去り、円東もゆっくりと立ち上がった。

「悪いが千晴、おれも別行動をさせてもらう。少し気になることがあるんだ」

「分かりました」

 午後はもう居間に全員が集まることはなさそうだ。神谷がどのような状況で手がかりを持ってくるか予想できないため、千晴は自分のやりたいようにやろうと決める。

 時計を見ると午後一時を過ぎたところだった。

 台所と食堂を往復していた倉本がじゃがいもの冷製スープ、ヴィシソワーズを目の前へ置いてくれた。

「あんまり気にするなよ。お前は自分にできることをやればいいんだ」

「はい。ありがとうございます」

 少なくとも倉本は千晴の味方でいてくれる。それがとてもありがたかった。

 付け合わせのロールパンと小鉢に入ったサラダがテーブルへ並び、万桜が小さく「いただきます」と手を合わせた。

 遅れて千晴もスプーンを手にし、スープを一口すする。なめらかな舌触りに優しい甘みの後、ほのかな塩味が感じられた。冷たさが心地よく喉を通り、束の間気持ちが穏やかになる。

 洗面所の方からがたがたと音がしたが、探しているのは五十嵐か木野のようだ。すぐそこの廊下で神谷と円東の話している声が聞こえた。

 耳を澄ませようかと思ったが、千晴は黙って食事に集中した。


 食事を終えたのは二十分ほど経過した頃だった。神谷たちはしばらく前に離れへ移ったようで、すっかり静かになっていた。

 倉本が台所で皿洗いを始めており、亜坂が千晴たちの使った食器をそちらへ運んでいく。

 千晴は万桜とともに一旦居間へ戻った。腹が満たされたために眠気を覚えるが、両腕を上げて伸びをすることで追い払う。

 ひとまず倉本の手が空くのを待つことにして、千晴はソファへ座っていた万桜の隣へ腰を下ろした。

「万桜ちゃん、神谷さんは僕の知らない手がかりをつかんでるはずだ」

「そうなの?」

「うん、休憩中にきっと見つけたんだと思う。だから、まずはそれを見つけたいと思うんだけど」

 千晴がそこまで言った時、外から耳をつんざくような甲高い悲鳴が聞こえた。

 はっとして立ち上がり、千晴は台所へ向かう。そこでは亜坂と倉本が戸惑いと恐怖に立ち尽くしていた。

「今の声は?」

「木野だ。ちょっと前に出て行った」

 倉本の返答を受けるなり、千晴は勝手口を開けて離れへ走った。また悲鳴を聞くことになるとは思わず、気ばかりが焦った。


 離れの扉は開け放されていた。そのまま中へ入ると、廊下の奥に五十嵐の後ろ姿が見えた。その向こうに木野が立っており、さらに奥で円東が青ざめた顔で立ち尽くしていた。

「何があったんですか?」

 たずねた千晴へ木野がはっと振り返り、半ばヒステリックに叫ぶ。

「円東さんよ! 円東さんが翔吾くんを殺したの!」

 円東が立っていたのは奥にあるユニットバスの前だった。開け放された扉から中をのぞくと、神谷が首にロープを絡ませたまま、ふたの閉まった便器の上にぐったりと座っていた。首には抵抗したと思しき爪痕があり、見るからに他殺だった。

 頭が真っ白になった。

 数瞬してから千晴は彼の首へ手を置いた。脈はなく、呼吸もしていない。まだ間に合うかもしれないと思い、彼の後頭部に見つけた結び目を外そうと試みる。だが、手が震えてしまい上手くいかなかった。

 焦りばかりが募り、千晴はあきらめてその場に座りこんだ。

「僕のせいだ……」

 神谷の口には透明な粘着テープが貼られていた。

 自分がとんでもない勘違いをしていたことがとうとう浮き彫りとなり、悲しみや後悔ばかりか、情けなさと自己嫌悪とが入り混じって何も考えられなくなる。ひどい虚脱感に襲われて涙も出てこなかった。

 むざむざと神谷を死なせてしまったことが、千晴の心に巣食う闇を増大させる。

「お兄ちゃん……」

 気力を失った兄を見て、万桜は覚悟を決めた。サコッシュからノートとボールペンを取り出しながら冷静にたずねる。

「みなさんの話を聞かせてください」

「話って、円東さんが犯人に決まってるじゃない! 私、見たのよ!? 円東さんがトイレから出てくるところ! そうしたら私に気づいて立ち止まって、様子が変だから近づいたら、中で翔吾くんが……っ」

 一息に言って木野はぼろぼろと涙をこぼし始めた。亜坂が彼女のそばへ寄り、万桜は五十嵐へ顔を向けた。

「五十嵐さん、どうしてこうなったのか教えてもらえますか? みなさんは離れの中を探していたんですよね?」

「あ、ああ、そうだ。いや、違う。翔吾さんが中を探すから、オレは外を見てこいって言われて……円東さんは、どうしてここに? もう翔吾さんとの話は済んだはず」

 泣き笑いのような表情で五十嵐が円東を見た。万桜もそちらを振り返り、できるだけ穏やかにたずねる。

「円東さん、教えてくれますか? どうしてここにいたんですか?」

「……おれも一緒にいた方がいいかと思ったんだ。中へ入ったらやけに静かだった。トイレの扉が開けっ放しになっていることに気づいて、近づいたら中で神谷が死んでいた。それで誰かを呼ぼうとしたら木野と会った」

「神谷さんを殺していない、というわけですか?」

「ああ。そう言っても、誰も信じないだろうけどな」

 皮肉な笑みを浮かべる円東の言葉通り、今や疑いは彼に向けられていた。

 万桜はちらりと兄の背中を見てから、その場の全員へ視線を向けた。

「円東さんが犯人かどうか判断するには、正しい情報が必要です。ひとまず広いところに……いえ、ここの居間へ移動しましょう」

 倉本が千晴を立ち上がらせ、亜坂は木野を支えながら居間へ誘導した。

 万桜は理性的に論理を構築すべく、呼吸を意識して歩いた。探偵として一番頼りになる姉が消え、代わりを務められる兄が力を失った今、頼れるのは自分だけだ。

 こんな形で探偵役を務めるのはプレッシャーだが、この状況でもっとも俯瞰ふかん的に判断を下せるのは自分以外にいない。姉の姿を思い出しながら、できる限りのことをやろうと決意した。


 居間へつくと、千晴と木野が優先的にソファへ座らせられた。窓は閉めきられ、誰がつけたのか冷房が作動していた。

「今回の容疑者は円東さんと五十嵐さんです」

 万桜は立ったまま言い、千晴の隣に座った五十嵐がうつむく。円東は無表情で腕を組み、黙って壁にもたれかかっていた。

「神谷さんはわたしたちが昼食にするちょっと前、入れ替わるようにして食堂を出ていきました。一時過ぎだったと思います。それから五十嵐さんと木野さん、円東さんが順に出ていきました。その後のことを聞かせてもらえますか?」

 台所にいた倉本が水の入ったグラスを持ってきて、千晴と木野の前へ置いた。

 木野が水を一口飲んでから、落ち着いた様子で口を開いた。

「食堂から出た後、廊下で円東さんと翔吾くんが話してた。その時、五十嵐が洗面所を見ていたから、私も一緒に探すって声をかけたわ。翔吾くんは円東さんとの話がすぐに終わったみたいで、私に台所を念入りに探すようにって言った。時計を見たから覚えてる。一時十五分だった」

 観念したように五十嵐も話し出す。

「台所を木野に任せて、オレは翔吾さんと外に出たんだ。その時、裏で円東さんがタバコを吸ってたのを見た」

 円東が重々しく口を開けた。

「ああ、タバコを吸いながら考えていたんだ。神谷が何かを隠しているのはたしかだったからな」

「隠している、ですか?」

「食堂を出た後、廊下で話していたのがそれだ。何か隠しているんじゃないかとたずねたが、神谷は教えてくれなかった。はぐらかされてしまったんだ」

 非常に気になることだが、当の神谷は死んでしまった。隠していることとは、もしかしたら千晴の言う手がかりだろうか。

 思い出したように円東がまた口を開く。

「そうだ。二人が離れへ入っていくのを見ていたが、五十嵐は十分くらい出てこなかったな」

「最初は二人で探してたんすよ。廊下の一番奥の窓が開いてることに気づいて、翔吾さんに外を見てこいって言われたんです」

 万桜はとっさに廊下へ出て奥へ目を凝らした。突きあたりの窓が五センチほど開いていた。

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