第17話.『紫翠色の涙』


 ――セフィリア、無事で……



「いてくれ……」



 目が覚めて最初に目に入ったのは、傷一つない純白の袖付きローブを纏った少女の後ろ姿。

 いつまでも鮮烈に記憶に残る忘れることのできない美しい白髪がさらりと揺れる。

 

 それを見たら居ても立ってもいられなかった。

 周囲の状況も体の状態もお構いなしに、手紙を書いてる少女に駆け寄る。



「セフィリアッ!!」



 今はただ、彼女を抱きしめて幻ではないセフィリアがいるんだと、これが夢ではないんだと実感したかった。



「あ、わ、カナメ?!」

「ぐあっ!」



 セフィリアを抱きしめようとしたカナメの熱い想いは、棒状の何かに阻まれ「ガンッ」という鈍い音とともに崩れ落ちていく。



「ご、ごめんなさいカナメ! 大丈夫ですか!?」



 二人の感動の再開に水を差したのは、セフィリアが咄嗟に割り込ませた彼女がいつも持ち歩いている魔術師用の杖だった。

 これが現実かどうか知りたい。それは確かにカナメが知りたかったことではあるのだが、選択肢にあったにもかかわらず抱擁という温もりではなく痛みを持って知ることになったのは、創精霊様とやらがカナメのことを嫌っているからに違いない。



「いや……俺こそいきなり詰め寄って悪かったよ」



 チカチカと星が弾けるような眩暈に頭を振りながら、紳士としてあるまじき行為を謝罪する。まぁ、紳士の何たるかを知っているわけではないが、男がいきなり駆け寄ってきたらこうもなるのは想像できる。



「すいません、ちょっとびっくりしちゃって」



 ブレる視界で見たからか、セフィリアが泣いているように見えた。



「大丈夫――じゃなくて怪我は平気なのか!? 何かおかしなところとか、気持ち悪いとか、苦しいとか!?」



 思い出したようにセフィリアの安否を確認する。

 実際、全力で飛び出した人間の質量が杖に止められたのだ。記憶の一部が抜け落ちてもおかしくない。というか額が割れなかったのが奇跡である。そしてそれを止めたセフィリアの腕力は神秘の塊だ。



「ふふ、そんないっぺんに聞かれても答えられないですよ」

「そっか、そうだよな、ごめんセフィリア。それで、えっと、怪我は大丈夫か?」

「はい。この通り元気です!」



 力こぶを作って見せるセフィリアだったが、残念ながら盛り上がった筋肉はお目見えにならない。押したらぷにっとしてそうだ。

 そして元気だという割には少し顔色がよくない気もする。ただセフィリアはもともと色白なので病的というわけじゃない。彼女が大丈夫というならきっと大丈夫なのだろう。

 あと気になる点といえば、村を出るときにはしていなかった革製の手袋を着用していることだった。



「その手袋は?」

「これは……この後の対策です。カナメが許してくれれば、なんですけどね。その話をする前に事の顛末を確認しちゃいませんか?」


 

 セフィリアにしては歯切れが悪い気がする。はぐらかす時も、イタズラする時もほとんど言いよどむ事がないセフィリアさん。彼女がこんな反応をするということは、よほど言い難いことなのだろうと思う。


 何を許してほしいのか気になるところだが、確認が先と言われてしまえば仕方ない。それに、ニコニコと話を進めるセフィリアさんの話の腰を折るのは憚られる。

 とはいってもだ、セフィリアの事が聞けたのであと聞きたいことは二つしかない。そのうちカナメにとって重要な方から確認することにした。

 


「ハルフリートさんは、大丈夫なのか?」

「はい。奇跡的に命に別状はありませんでした。ただ、酷い怪我だったので今は軍の施設で療養中です」



 カナメの目から見れば、正直助かる見込みも何も即死に見えた。あれから一命を取り留めるなど、異世界人のタフネスが尋常ではないのか、それとも治癒魔術が凄いのか、きっとそのどちらもなのだろうと結論付ける。



「後遺症とかは、大丈夫だったのか?」

「そういったものも無かったみたいですが、マナの枯渇しかけているので暫くは安静にと」

「そっか……よかった」



 あの時、カナメはハルフリートに嘘をついた。今こうしてセフィリアは無事だったが、それは結果論であって、あの時の不実が消えるわけではない。純白の騎士が戻ってきたら例え斬られてでも謝らなければなるまい。



「それでなんですけど……おじ様のところには、カナメ一人で行ってもらうことになります。アトラニア様が迎えにきてくださるので、カナメは何もしなくても大丈夫です」

「セフィリアは来てくれないのか?」

「私は、穢レのことでの聴取がありますから」



 聞きたかったもう一つだ。カナメは最後の瞬間をぼんやりとしか覚えていない。


 水晶から声が聞こえ、元の世界に帰れなくなる代わりに穢レを祓えると言われ、次は失敗するなよと――確かそんなことを言われた気がする。

 

 つまり、頼りにならない記憶の「失敗」という言葉を信じるなら、穢レを祓い損ねたことになる。

 紛う事なき厄災――人類の天敵、あれに虫の息なんてものがあるのかわからないが、今もその存在がこの町にいるかと思うと夜も眠れない。もしそうなら一刻も早く宰相閣下を呼ぶべきだ。



「穢レは、どうなったんだ?」

「穢レは、祓えば死体を残さず消滅するんですけど、あの路地にいた幼い少女は纏っていた服だけを残して消えていました。これはおじ様以外のガーディアンが穢レを祓った時と同じ現象です。あの場に他のガーディアンが来たのか、無名のガーディアンと同等の強き者がいたのか、分かりませんが、祓われたと思って間違いないです」



 じゃあ何を失敗したというのか。もやもやする気持ちだけを残していったあの声には物申したい。いや、流石にその前に感謝が先か。



「祓われたのか。まぁ、とりあえず安心した。でもそっか……セフィリアと王都に行けないのかぁ」

「聴取もありますが、フリートを置いていけませんからね。軍の施設といってもフリートは大貴族の騎士です。誰が狙っているか分かったものではありませんから」



 その通りだ。元の世界なら療養中は病院にいれば安全だがここは異世界なのだ。彼方にいた時の価値観で考えて失礼なことを言ってしまったかもしれない。それこそ、下手したら見捨てるみたいなニュアンスで伝わっているかもしれないのだ。



「そうだよな、ごめん。そこまで頭回らなかった」

「大丈夫ですよ。そんなつもりがないのはわかっていますから。カナメの元いた世界とこちらでは常識からして違うと思います。それに、こちらの常識を知ったとしても慣れるまでは時間がかかるものです。ましてカナメは勉強中なんですから」



 なんて優しい先生なのだろうか。セフィリアはきっと褒めて伸ばすタイプだ。

 いや、ユーファレッタさんの時を考えるとそうでもないのか。



「他に気になることがなければ、お願いを聞いてもらえませんか?」



 カナメがどうでもいいことを考えていると知っているのか、これ以上確認すべきことは無くなったのだろうと判断したセフィリアが、上目遣いパワープレイでお願いしてくる。

 これで断れる男児がいるだろうか? 否、非人道的なことでもない限り、断る余地すらない。そしてセフィリアはそんなことを人にお願いするような子じゃない。故に断る選択肢はない。



「良いよ」

「えっと――え? まだ何も言ってないんですけど……」

「答えは変わらないけど、何か聞いておこうかな」

「それはそれで恥ずかしいですね……では、その……今からもう一度、町を見て回りませんか? カナメの体が大丈夫ならですけど……」



 やはり答えは決まっていた。

 セフィリアと同じように、大してありもしない力こぶを作る。


「この通り元気です! 行こう、セフィリア」

 

 中途半端に終わってしまったあの時間を今度は最高の思い出にする。

 その意味の向かう先は違えど、確かな同じ想いを胸に、二人は昼下がりの町に歩き出した。

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