第6話 走り出した僕ら

 今日は珍しく早い帰宅になった。

 電車の中から夕陽をみつめる。


 夕陽なんて見るのは何年振りだろうか。もしかして、うちの会社ってブラックというやつなのだろうか。

 そんな事を考えていると、目の前のドア窓に写る、反対側に座った中年女性に気付いた。なんの変哲もない、どこにでもいるような普通のおばちゃんだ。


 その人はなんでもない普通な人だったけれど、昔、電車で見かけたおばちゃんのことを、その時急に思い出した。

 あれはいつだったか……そうだ、あれは高校生の時だ。


 高校生の頃、僕は卒業後に備えてバイト三昧の日々だった。

 週8でバイトしてたっけ。毎日放課後にバイトして、日曜日は二か所入っていた。

 いつの間にか休みが無く、バイトで埋まっていたっけ。


 そんな日々でもユウと健斗には偶に会って、夜まで遊んでいた。高校への進学先は分かれてしまったけれど、連絡はとりあい、バイトの後なんかに遊んでいた。

 あの日は……そう、学校をサボった日だった。


 健斗の家にユウと一緒に泊まった次の朝だった。

 理由は忘れたけれど、今日は学校に行かなくていいかと、誰かが言い出した気がする。勢いだけで、サボって何処か遠くへ行こうと、バカな事になった。

 本当に高校生男子なんて、幼子おさなごよりもバカだから仕方がないね。


 健斗の家を出て駅に向かう途中だった。

 道端に一台の自転車チャリが止めてあった。

 古くて壊れかけで鍵もついていなかった。

 誰かが盗んできて、そこに乗り捨てたかのようだった。


「いぇ~い、チャリげっとぉ~」

 ふざけた健斗がチャリにまたがる。

「よし、乗れ乗れ」

「よっしゃっ」


 走り出した健斗のチャリに、僕は飛び乗った。後ろの荷台に座ってユウにも声を掛けると、ユウも飛び乗って来た。

 荷台に立ち上がり、健斗の肩につかまった。

 僕らは三人乗りで、あてもなく走った。


「おっ、二台目はっけん!」

 飛び降りたユウが、鍵をつけっぱなしのチャリを発見した。

 通りかかったマンションの自転車置き場から、鍵を掛け忘れたのだろう自転車に乗って、ユウが走り出した。


「マジかよっ、あったよ三台目」

「いけいけ、陽一っ」

「陽一だけママチャリじゃん」


 まさかの三台目をみつけた僕は、健斗の後ろから降りて鍵の壊れた自転車を走らせた。何故か僕だけママチャリなのは気に入らなかったけど。

 このままどこか遠くへ行こうと、バカな三人は走り出していた。


 住宅地を抜け、いつの間にか建物がまばらになっていった。

 人も車も少ない無駄に広い道を、拾った自転車で駆け抜ける。


「だいぶ遠くまで来ちゃったな」

「これ、帰るのしんどいぞ」

「まぁ、チャリを乗り捨てて、電車で帰ればいいさ」


 勢いだけで走っていた僕らだけど、いい加減に疲れてきて、バカな勢いも薄れて来ていた。帰りまでチャリをこぐ気にはなれなかった。

 あれはそんな頃だった。


 疲れて油断はしていたかもしれない。

 広い道だが、偶に車が通るくらいだった。

 道の両側は森なのか、木々が生い茂っていた。


「うおっ! なんだ今のっ」

 油断していた僕は、脇から飛び出して来た何かを、小さな黒い塊をよけきれなかった。いや、よける気もなかった。


「うわぁ……やっちまったなぁ」

「俺らは知らないよ。轢いたのは陽一だけだからね」

 二人も止まって、ソレを見て顔を顰める。


「僕だって、わざとじゃないし……飛び出すから悪いんだよ」

 急に飛び出して来たのは黒い猫だった。

 避けられず、僕の乗ったチャリは猫の首を……きゅっと。

 それは、ほとんど千切れていた。


「頭、とれかけてるよ」

 ちょっと爪先で蹴ってみると、頭が千切れて転がった。

「うわっ、やめろよ」

「そうだよ。猫は祟るっていうよ」

「クロネコだしな……うぇ、気持ちわるっ」


 30を過ぎて、今考えると酷い話だとは思うけど、あの頃に人の心なんてなかったのだろうか。轢いてしまったクロネコをそのままに、僕らはチャリを走らせた。

 国営だったか県立だったか、大きな公園まで走って、僕らは飽きてチャリを乗り捨てた。公園前の駅から、帰りはのんびり電車になった。


 よく、あんなとこまで走ったもんだ。

 フルマラソン以上の距離を、拾ったチャリで走った事になる。

 盗んだわけじゃないよ、拾っただけだよ?


 疲れ切った僕らは、大人しくぐったりと帰りの電車内で、揺られて眠っていた。

 駅に着くところで僕らは起きて、眠い目をこすりながら電車を降りた。

 二人は気付かなかったようだけど、僕は見てしまった。


 いつの間にか、僕らの向かいに座っていたおばちゃん。電車を降りる僕らを……いや、僕をじっとみつめていた。

 もしかしたら睨んでいたような気もする。


 電車のドアが閉まる直前、おばちゃんの黒目が、しゅっと細くなった。僕を睨みつける黒目が、縦に細くなった気がした。

 一瞬、その瞳が金色に光った。


 それはまるで、千切れた頭で僕を見上げていた、あのクロネコのようだった。


 あれから、あのおばちゃんにも猫にも会ってはいない。いつかまた、出会う事もあるのだろうか。あの猫は、僕を迎えに来るのだろうか。

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