第9話 月明かり 

 エル城の一室のベッドで横になっていた。夜は涼しく、天窓から見える月が蒼白い。

 部屋を満たす月明かりのせいで眠れなかった。



 城に来たはいいもののメアリー・トマスはいなかった。しかも新しい領主、赤毛のハーバートはメアリーの行き先を知らないらしい。



 エル城には一度も来たことがなかった。メアリーだってこの城を嫌っていたのだ。冷淡な父親と過ごすのがいやだったのだろう。



 〈りんごの園〉を歩いているとどこかからか矢が飛んできて近くの木にあたった。小ぶりの矢だ。


「だれなのー?矢をとばさないで」

 リリィが矢を拾って叫ぶ。


 木陰から金髪の少年が走って出てきた。矢筒を背負っている。落とした矢を探しているらしい。

 リリィが矢を手にしているのを見ると、立ち止まった。


「どうしてここで遊んでいるの?」

 リリィがたずねる。


「どうしてって、ハーバートおじさんがここで練習するように言ったからさ」

 少年はこましゃくれた様子で答えた。


 不意に獣のうなり声がする。陽光に黄金色のたてがみがきらめくのが見えた。ライオンが少年の後ろにいたのだ。


「まあ、ロト!あなたライオンのロトなのね!」

 リリィが叫ぶ。たちまちロトの女主人を見る目が優しくとろけた。


 かくしてリリィと弟ウィリー、ライオンのロトは再会したのだ。もちろん弟はリリィの顔も覚えていなかったのだが。ウィリーの弓術の腕前はなかなかで、リリィは姉としてほこらしくなった。


「姉さんは弓矢を誰に教わったの?」

 ウィリーが姉がすずめを射抜くのを見ていう。


「お義兄にいさまよ。あなたは誰に教わったの?まさかメアリー?それともハーバートおじさん?」

 リリィが晴れやかな表情でたずねた。


「ビリーだよ。兄さんって誰?」


「アレックスよ」

 リリィは答えるのに一瞬ためらった。

帝都ていとにいるの。あなたのお義兄さまでもあるわ」


「じゃあ知ってる。皇帝でしょ。メアリーとビリーが次に皇帝になるのは僕だって言ってた。そうなる可能性が大きいって。でも僕は皇帝になんかなりたくない。世界を見てまわりたいんだ」

 

 リリィはウィリーの行く末が心配になった。アレックスはどうして義弟を都に呼ばないのだろうか。アビゲイルと再婚したとは聞いていたが、妻の年齢を考えれば跡継あとつぎをもうけるのは難しい。まさかウィリーが反旗をひるがえすのではと疑っているのだろうか。


「皇帝は僕がメアリーについて世界を見てまわるのも許してくれなかった。きっとひねくれた、意地の悪い奴なんだ」


「まあ、そんなことないわ。でもメアリーがどこに行くんですって?」

 リリィがなだめて言った。




 メアリー・トマスは小舟から小島の岸辺におりたつと櫂をもつビリーを振り返る。


「ここで待ってて。アレックスには見つからないように」

 メアリーが言う。


「皇帝が来るもんか。だいたい彼には君をどうこうする権利はないんだぜ」

 ビリーが気に入らなさそうに答えた。


「私だってそう信じたいわ。でも彼は皇帝なの。もしここで捕まったら、あなたと旅に出てどこか遠い異国で暮らすのは夢のまた夢になるわ」


「まるで娘の駆け落ちをとめる父親みたいだ。ウンザリするぜ。でも無事に船旅にでたら二度とあいつのお綺麗な顔と高貴な声をおがまなくていい」


 ここ最近の二人の悩みは皇帝の干渉のことばっかりだったのだ。アレックスはメアリーかビリーと旅に出ることも反対していた。


「そういうことよ。だから油断しないで」


 島の中央に崩れかけの煙でくすんだ小屋が立っていた。メアリーが袖からステッキを出して扉を叩く。無音だ。返事はなにもない。


 ため息をもらすと合言葉をささやいて扉をくすぐった。小屋の中は鍋や薬品入りの瓶がころがるばかりで、人はいない。



「洞窟にいるのね」


 メアリーは小屋をでて小舟の近くに行き、ガウンを脱いだ。


「また潜水か?物好きだなあ」

 ビリーがメアリーのガウンを回収しながら言う。


 メアリーは下着姿になって服が軽くなると海の中に入って身を沈めた。



 青白い光の中、洞窟には魔女が待っている。彼女はひかる湖を見つめていた。


「弟が死んだかい?」

 魔女がしわがれた声できく。


「ええ。弟を殺したのは私だと思われている。だからビリーをつれて、ここを離れるの。これからはあなたには会えないわ。あなたの名前も知らないまま、お別れよ」


「名前なんざ教えないね。旅に出たければ出ればいい。でもどこに行こうが無駄だよ。魔女は嫌われる。ただここよりましってとこだ」



 メアリーは魔女に促されるままに湖の中に入った。ターコイズブルーの水は生温かく、肌がぬれる感覚もない。


 遠くに女が立っているのが見えた。背の高い黒い髪の女。リリィの母、皇太后こうたいごうヘレナだ。ただ現実のヘレナよりもっと美しく、もっと若かった。もう一人、魔女がいる。腰は曲がり、髪は灰色で泥でもつれていた。


 メアリーは音もなく、二人に近づいてゆく。


「薬が必要だ。金貨が30枚ある」

 ヘレナが高慢な様子で言った。


「金貨はいらない。わたしゃ真実が知りたいんだよ。赤ん坊おろしに、娘っ子たちは大勢やってくる。夫が見つからないのや、育てる余裕のないのや、不名誉な妊娠だったのがさ。だが、あんたは皇帝と近々結婚する身でそのどれにも当てはまらない」

 魔女がおもしろそうにヘレナを見て言う。


「あんたに私の秘密を教えるつもりはない。それに腹の中の異物がなくなれば秘密もなくなるんだ」


 結局、魔女はあくどい知恵を使ってヘレナから真実を聞き出した。


 ヘレナは〈七光石〉を手にするため、恋してるふうを装い、人魚と寝た。妊娠するなどとは思っていなかったのだ。だが、ヘレナの腹に一物いちもつあると知ると、人魚は怒って自分たちの間に生まれた子どもは永遠に親を苦しめ、災いのもとになるだろう、と言ってきたのだ。



「リリィが本当に人魚の子だと?あんなのはハッタリだわ!」

 メアリーが湖から上がるなり言う。


「夫のリチャードには似なかった。それにあの子は夜に灰色の瞳をもっている。私はあの女に偽の薬を渡したんだ」

 魔女はそう言うとにんまりと笑った。


 不意に湖から甲高い音が聴こえてくる。


「お客がいらしたよ。どうやらあんたに用があるみたいだね」


 アイダたった。メアリーにリリィがエル城のハーバートのもとにいることを告げてきたのだ。


 メアリーは嬉しく思う半面、ビリーにどう伝えようかと思った。

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