27. レッサーデーモンとの死闘 後編

「あ……ああ……」


 上半身を燃やされたダイヤが川に転がり入ったまま出て来ない。

 それが何を意味しているのか、いんが分からないはずがない。


「(あいつが……死んだ……そんな……)」


 そうならないために一緒にここまでやってきた。

 自分のために無茶をするダイヤをサポートし、一緒に生還するためにイベントダンジョンに挑んだ。


「(私の……せい……私を……守って……)」


 しかし結果はどうだ。

 魔物相手に手も足も出ないどころか、怯えてへたり込み立つことすらままならない。

 しかもあろうことか、動けない自分を庇ってダイヤはダークフレイムの盾となった。

 

 足手纏い。


 ダイヤが死んだのはいんが何も出来なかったから。


「ああああああああああああああああ!」


 その事実が弱っていたいんの心にトドメを指した。

 死がゆっくりと迫っていることすら気付かず、ただ只管ひたすらに嘆く。


「何が……ヴァルキュリアよ……戦えないヴァルキュリアだなんて……皆が言うように……男を誘うだけの低俗な女……」


 ヴァルキュリアという職業で活躍出来なかったとしても、強いとされるレア職業の遺伝子を求めて男達が殺到する。


 その体には価値がある。


 男を惹き付け、選ぶことが出来る。


 だがそれだけの人生などいんには低俗に思えて認められなかった。

 認められなかったのに、肝心なところで戦えずそう在ろうとしている。

 その結果が、自分を好いてくれて自分のために行動してくれた男の死。


 最初から自分が低俗であると認め、種を残すことだけに注力していればこんなことにはならなかったかもしれない。


『あ~あ、素直に男と遊んでれば良かったのに』

『ざまぁ』

『ヴァルキュリアだなんて調子に乗ってるからそうなるのよ』

『ねぇ今どんな気持ち?今どんな気持ち?』 

『あそこまでして男に守ってもらえるだなんて羨ましいわ』

『次はどんな男を選ぶの?』


 近所のおばさんが、子供達が、同級生が、見知った人々が自分を責める声が聞こえる。

 愚かな自分をあざけ笑い、侮辱し、自業自得だと、それがお前の本性なのだと暗く嗤う。


「ち……ちが……」


 その声をもういんは否定することが出来ない。

 がっくりと項垂れ、絶望が心を染めてゆく。


『やる気ないならさっさと死ねば?』

『あんたみたいなのに男を取られたくないんですけど』

『さっさとダンジョンに入って事故死しろって前から思ってたんだよね』

『早く死ねよ』

『さっさと死んで』

『死ね』

『死ね』

『死ね』

『死ね』

『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』

「…………」


 折れた心は繋がらない。

 むしろ更なる幻聴により粉々にされてしまう。


 ダイヤを見殺しにしてしまった自責の念が、お前も死んで罰を受けろと言っている。


「おばあちゃん……ごめんなさい……」


 今は亡き祖母の姿を思い出す。

 高潔で凛々しい憧れの人。

 祖母のようになりたいと願い、ダンジョンにやってきた。


 しかしそれももうおしまいだ。

 いんの戦いはここで終わる。


 高潔にも、低俗にもなれずに生涯を終えてしまう。


 ザッ。


 音がする。

 自分を終わらせる足音が聞こえる。


「あ……ああ……」


 最早顔を上げる気力も起きない。

 近くまで迫っているソレは、残された爪をもう振り上げているのかもしれないが、それを確認する勇気すら持てない。


 心折れたいんは、ただ死を待つだけの嘆きの人形と化していた。




「お前の相手は僕だって言っただろ!」




 一足先に死んでいたいんの心が蘇る。

 強くて温かなその声を聴き、そんな馬鹿なと、あり得ないと、幻聴に違いないと否定しながらも、恐る恐る声の方を確認する。


 ダイヤがいた。

 上半身の服が燃え尽き、真っ赤に激しく火傷した肌を露出し、全身をびっしょりと濡らして大量の雫を垂らしながら川から上がってくる。


「う……そ……」


 ダークフレイムが直撃し、上半身を激しく燃やされながらもまだ生きていた。

 今にも死にそうな見た目なのに、不思議と今までよりも強い生を感じられる。


「来い!」


 動けない女と戦意を剥き出しにする死にかけの男。

 レッサーデーモンが反応したのは後者だった。


 全力で走り、今度こそ仕留ようと残された左の爪を高く掲げる。


「もうそれは怖くないよ!」


 両手に爪があったから、連撃が絶え間なく続き避けられなかったのだ。

 片手だけで攻撃をするのであれば、一旦振り下ろした腕をもう一度上げるまでに時間がかかり、スムーズな連撃とはならない。


「余裕余裕!」


 しかも今のダイヤはアドレナリンが爆発していて超ハイテンションモードだ。

 そうでなければ全身の痛みに耐えられるわけがないのだが、それは同時にこれ以上多少の傷がつこうが関係ないと割り切れているということでもある。

 つまり斬り裂かれることをあまり気にせずに最低限の動きで躱せるということ。


 また、覚悟が決まっているからだけでなく、散々攻撃を受け続けて間合いに慣れて来たのも大きい。


「おりゃあ!」


 左手を振り下ろした後は、左側面がガラ空きだ。

 なるべくそちら側に避けて、タイミングが合えば蹴りやパンチを入れる。


 ついにダイヤからの攻撃が届くようになってきた。


『ぐるぅうぅう!』


 だがレッサーデーモンも馬鹿では無い。

 爪の攻撃の直後にダークフレイムを放ち、魔法と物理の連撃を仕掛けて来た。


「あぶな!でも爪よりも避けやすいよ!」


 威力が高いとはいえ、直線的に飛んでくるだけのボールだ。

 注意して観察していれば避けられる。


 射線上にいんが入ってしまうなんて失態はもうしない。


「ほらほらどうしたの。そんなんじゃ僕は倒せないよ!」


 煽り、避け、数少ないタイミングで脇腹や足を攻撃し、レッサーデーモンを苛立たせる。


 そしてついにその時が来た。


 レッサーデーモンが左爪を大きく振るい、その先端が地面にまで到達したのだ。


「喰らえ!」


 右爪を折った時のように、爪の根元に全身の体重をかけた。


『ぐるぅうぅうおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 左爪の方が脆くなっていたのか、今度は少しも耐えることなくあっさりと折れた。


 これで両方の爪が無くなった。

 後は魔法に気を付けながら格闘戦だ。


 しかしここからが難しい。

 武器を失ったレッサーデーモンは、全身をフルに使って攻撃してくるようになった。


 ダイヤよりも遥かに恵まれた肉体を持つレッサーデーモンの方が動きが鋭い。

 ましてやダイヤは気合で動いているだけで傷だらけなのだ。


「がはっ!」


 レッサーデーモンの蹴りがダイヤの右の腹に直撃して軽く吹き飛ばされる。

 内臓を吐いてしまいそうな程のダメージだが、なんとかすぐに立ち上がる。


「ぐうっ!」


 攻撃を躱して懐に入れたかと思ったら胸に頭突き攻撃を喰らって強制的にバックステップさせられる。


 お互いに格闘系のスキルは持っていない。


 ゆえに素の身体能力が物を言い、ダイヤが攻撃しようとも躱されて反撃され、逆にレッサーデーモンの攻撃を躱しきれない。


 それにもう一つ問題がある。


「うりゃあ!ぎゃっ!」


 辛うじてパンチが当たったとしても、相手の耐久力がかなりのもので怯んですらくれず、カウンターを喰らってしまうのだ。

 この調子では百発当てようが倒れてはくれないだろう。


「ふーふーふーふー!」


 もうダイヤは限界に近い。

 気力だけでここまで持たせているが、その気力が切れてしまえば体中が悲鳴をあげて動いてはくれなくなるだろう。


 それでもまだ折れない。

 ダイヤは最後まで決して諦めない。


「(勝つ。絶対に勝つ!)」


 その執念が、体を動かす。

 レッサーデーモンの懐に再度入り、その腹に全力の一撃を叩き込む。


『ぐるぅうぅう』


 だがそれは罠だった。

 しつこいダイヤを確実に仕留めようと敢えて攻撃を受け、全力のカウンターを喰らわせるために。


「かはっ!」


 レッサーデーモンの全力のフックを至近距離でまともに喰らい、ダイヤは大きく飛ばされて地面に倒れる。


『ぐるぅうぅう』


 これで勝ったと確信したかのような唸り声をあげ、強く握った右拳を寝転がるダイヤに振り下ろさんと追撃してくる。




「かかったね……」




 ダイヤもまた、全てを賭けた罠を張っていた。

 カウンターを受けて吹き飛ばされ、追撃してくるのは狙い通りだ。


 カウンターで体が動かなくなってしまったら負け。

 追撃してこなかったら負け。

 吹き飛ばすようなカウンターではなく、例えば掴まれていたら負け。


 膨大な負けパターンを回避し、どうにか唯一の勝利の可能性を手繰り寄せた。


 レッサーデーモンが拳を振り下ろす瞬間。

 ダイヤはそれをギリギリで躱して、手にした物をレッサーデーモンの胸に突き刺した!


『ぐるぅうぅうおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 ソレは折れたレッサーデーモンの爪だった。

 何物をも斬り裂きそうな爪であれば、レッサーデーモンの身体すら貫けるであろう。


 だが普通に拾ったところで素直に攻撃を受けてくれるとは思えない。

 そもそも鋭すぎて握ったらそれだけで手のひらがズタズタになってしまうから長くは持てない。


 チャンスは一度。

 しかも確実に当てなければならない。


 ゆえにダイヤは爪を利用しようとしていることがバレないように偶然を装い、わざと攻撃を受けて爪が転がっている場所に吹き飛ばされ、カウンターでレッサーデーモンに突き刺したのだ。


「これで終わりだあああああ!」


 ダイヤはレッサーデーモンの胸に突き刺さる爪を全力で殴り、刺さった爪を強引に奥までねじ込んだ。


『ぐるぅうぅうおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 いかにレッサーデーモンとはいえ、胸を貫かれて生きてはいられない。


『ぐるぅうぅうおお……おおおお…………おお……』


 やがて膝をつき、目から生気が失われ、その体勢のまま消滅した。


「今だ!」


 レッサーデーモンを撃破しても、ダイヤは安心して呆けるなんてことはしなかった。

 今ここで絶対にやらなければならないことがある。


「…………」


 レッサーデーモンが消えた場所を睨みながら、必死で何かを考える。

 それが成功するかどうかで、ダイヤ達の命運が大きく変わるだろう。


 やがてその場に緑のもやが出現する。

 そしてそれは横長の形を取ると、ある物として実体化した。


「やった!成功だ!」


 カランと音を立てて地面に落ちたのは、ランスだった。

 壊れて失ったいんの新たな武器を、レッサーデーモンのドロップアイテムとして願ったのだ。


 これまでダイヤは、雑魚魔物相手だとその相手が本来落とすであろうドロップアイテムしか願ったことが無かった。

 レッサーデーモンは装備をドロップすることは無く、精霊使いが願ったところで落としてくれるかどうかは賭けだった。

 ダイヤはその賭けに勝ち、新しい武器をゲットした。


 それを拾い、いんの元へと歩いてゆく。

 体中がボロボロだが、勝利の喜びと、この武器をいんが喜んで受け取ってくれるかなと思うとまだどうにか動けた。


「勝ったよ、猪呂いろさん」


 呆けたまま動けず、茫然とダイヤの姿を見ているだけのいんに向けて笑顔で勝利宣言をする。もう大丈夫だよと安心させてあげようとする。


「それとほら、これ猪呂いろさんにプレゼント」


 手にしたランスを差し出してみるが、いんはそれをチラりと見ることもせず、ぼぉっとダイヤを見上げている。


猪呂いろさん?」


 心配になったダイヤはもう一度彼女の名前を読んだ。

 すると彼女の口が微かに動いた。


「生き……………………てる……………………?」

「うん。生きてるよ。僕も猪呂いろさんも生きてるよ」


 ひとまずランスを地面に置き、多少汚れがマシな左手をズボンで軽く拭いていんの頬にそっと添えた。体温を伝えることで生きていることをしっかりと伝えるために。


「あ……ああ……」


 ほろり、といんの瞳から涙が零れた。

 一度流れた涙は止まらず、滝のように流れ出す。


 頬に添えられたダイヤの手に、彼女の手が重なった。




「うわああああああああん!良かったよおおおおおおおお!」




 彼女は子供のように泣きじゃくるのであった。

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