18、成人の義でのパートナー
時は経ち、早生まれのプリンツェッスィンが十七歳、初夏生まれのヴァールは二十四歳になった。
いつものように家族六人でテーブルを囲み夕食をとっていた時、ゲニーがヴァールに話しかける。
「ヴァール、三ヶ月後のお前たちの成人の義のパーティーなんだが、誰と行くか決めたか?」
それはつまり誰を婚約者として皆の前に紹介するかというのと同義語であった。成人の義はフリーデン王国の直系の王子王女が十八歳になる日に行われることになっている。ヴァールは王位継承権第二位だが、王子ではない。ただの王甥なのだ。とっくに国民の成人の歳である十八歳を超えていたので、ヴァールも好んで飲んだり吸ったりはしないが、酒やタバコなどは許可されている。ヴァールの成人の義はプリンツェッスィンが十八歳になったら一緒にすると言う約束の元、婚約者も先延ばしにしてもらっていた。
「私が御一緒します!」
プリンツェッスィンがにこにこしながら高々に手を挙げる。
「ツェスィーがパートナーになってどうする。つまり、ヴァールは誰を婚約者として望むかを聞いてるんだ」
ヴァイスハイトは溜息をつきながら、プリンツェッスィンに説明した。
「ですので、わた!!」
「あはは。ツェスィーは可愛いなぁ。まだお兄様離れできてないんだね」
ヴァールは笑顔でプリンツェッスィンの口に人差し指を当てる。仲の良いと言うより、良過ぎる二人を見て、デーアが口を開いた。
「ツェスィー。いい加減ヴァール離れしなきゃいけないわよ? 良さそうな男性たちの身上書は渡しておいたけど、気になるお相手は見つけたのかしら。いつまでもお兄様お兄様言ってられないのよ?」
聞くだけだと厳しいことを言っているようだが、デーアも好きで言ってる訳ではなく、皆がプリンツェッスィンを甘やかすので仕方なくお小言を言わざる得ないのだ。それはプリンツェッスィンもちゃんと分かっていて、デーアの優しく、時に自分を律する深い愛情を嬉しく思っていた。
「まあまあ。確かにツェスィーはヴァールにべったりでちょっと心配になるけど、ツェスィーもヴァールも運命の人に出会えばその人に夢中になるわよ」
アンジュはうふふと笑いながらそう言い、隣に座る愛しい夫を見つめる。
「そうだね。ツェスィーも僕たちみたいに運命の人との出会いをすれば、ね。……アンジュ、愛してるよ」
「ふふ。私も愛してるわ」
「世界一可愛くて綺麗な君にキスしていい?」
「ゲニー、ここじゃダメよ」
「何で? 家族だけなんだからいいじゃないか」
「ツェスィーたちもいるから、ダメ」
通常運転でイチャつくゲニーとアンジュを
表面をパリパリに焼きあげたそれはバターのコクとレモンの爽やかさが広がるソースが添えられ、白ワインと相性がよい。
既に二十四歳になってるヴァールは飲酒してもいいが、三ヶ月後の成人の義の日が十八歳の誕生日であるプリンツェッスィンはまだ飲酒しては違法だ。なので白ワインではなく、マスカットジュースを飲むのだが、酒を基本飲まないあとの五人もそれを給仕に出してもらう。酒タバコとは無縁の家族なのだ。
淡々とメインを口に運ぶデーアをヴァイスハイトが愛しそうに見つめる。普段は動かない表情筋と冷静沈着なスマートな頭脳を持つヴァイスハイトは氷の宰相様と呼ばれ、クールで格好良いと城に仕える女性たち、いや国中、他国の女性ファンも黄色い声をあげていた。だが実際は愛する妻にベタ惚れな国一二を争う愛妻家で、デーアを溺愛しているのだ。国一二といったが、もう一人は言わずと知れたゲニーである。
「ふっ。デーアは素直じゃないな。まあ、そこが可愛いんだが」
デーアの髪を一掬いし、キスを落とした。それに気付いたデーアは顔を赤らめる。
「赤くなって可愛いな。夕食より君を食べてしまいたいよ」
耳元で落ち着いたヴァイスハイトの低い声で囁かれ、デーアは更に顔を赤くした。
「ヴィー、やめて。皆が……アンジュたちはいいとして、ヴァールとツェスィーが見てるわ」
デーアは両手でヴァイスハイトを押し、窘める。
「何でだ?」
「何でも何もないわよ。ダメなものはダメよ」
「何故だ? 夫婦が愛し合うのはごく自然な事だ。寧ろ両親が不仲なのは子供に悪影響だぞ。何が問題ある」
「だから、ダメなものはダ?!」
ヴァイスハイトはデーアの顎を掬い、唇で言葉を遮り、官能的にねっとりと深く交わった。デーアは抵抗しようともがくが、ヴァイスハイトに長年調教され、ダメだと思っても受け入れてしまうのだ。
扇情的な音を立てながら接吻をするデーアとヴァイスハイトを見たアンジュは、仲が良いねと微笑みながらゲニーに耳打ちする。
「仲が良いのは僕たちもなんだけど?」
にこりと微笑むゲニーはアンジュの頬を両手で包み、はむはむと
「ダメよ」
アンジュの訴えはゲニーには届かず、更に深いキスをされる。嫌がるアンジュの唇に舌をねじ込みこじ開け、口内を蹂躙した。アンジュも愛しい夫にここまでされると降参するしかなく、可愛らしく一生懸命大好きな人からのキスに応える。
一方両親と叔父叔母たちが愛し合ってる、もとい官能的に愛し合ってる姿をプリンツェッスィンに見せるのは如何かと思うヴァールは両親指を耳の穴に、あとの八本の指で大切なお姫様の目を覆った。だがヴァールがそうするのは遅く、既に始まってた最初の方をちゃんとプリンツェッスィンは見ていて、今後のヴァールとのキスの参考にしているとは誰も知らないことである。
ともかく両親たちに余計な詮索をされずに済んだプリンツェッスィンとヴァールは夕食を食べ終え、各自室に戻るため近くに従者たちを忍ばせながら並んで廊下を歩いていた。プリンツェッスィンの部屋の前につき、ヴァールはおやすみを言おうとしたが、可愛いお姫様に部屋へ入って欲しいと言われ素直に入る。そしてドアを閉め、プリンツェッスィンがヴァールを扉に背を向け立たせ問い詰めた。
「ヴァール兄様、なんであの時止めたのですか?」
「いや……。まだ言わない方がいいかな……と」
ヴァールの生半可な返事を聞き、プリンツェッスィンは不審がる。
「兄様……。もしかして私のことは遊びだったんですか?」
既に瞳に涙をためるプリンツェッスィンはヴァールを見つめた。
「違うよ……。違うんだ。僕は本気でツェスィーが好きだし、愛してる。世界で一番大切なんだ。結婚もしたいし……出来たら……子供も、欲しい……」
ヴァールはプリンツェッスィンを抱きしめながら、体を震わす。愛しい人なりに何か考えがあるのかもしれないと、プリンツェッスィンはそれ以上言うのをやめて、ヴァールを抱き締め返した。
「分かりました。ヴァール兄様を信じます。何か思うことがあっての事なのですよね。で、す、が!!」
抱きしめ返すのをやめたプリンツェッスィンはさっきのお返しかとばかりに、ヴァールの唇に人差し指を当てる。
「成人の義のパーティーのパートナーは私を指名してください」
プリンツェッスィンはふわりと可愛らしい笑みを浮かべた。
「いや、だからそれは!」
ヴァールは焦り、反論しようとする。
「じゃあ兄様は誰と行くつもりだったのですか?」
プリンツェッスィンにじとりと見つめられ、ヴァールは気まづい顔をした。
「誰とも行かないけど……」
ここで取り繕うとダメだと本能的に察したヴァールは素直に答える。
「それが許されるとお思いですか?」
プリンツェッスィンは容赦なくずいずいとヴァールを立て続けに質問攻めにした。
「ほら、僕は別に直系の王族じゃないし、王子でもないし?」
プリンツェッスィンは溜息をつき、口を開く。
「ヴァールお兄様が一人でパーティーに出たら何が起こるか分からないのですか?」
「え?」
検討もつかないヴァールは首を傾げた。
「血祭りです。ヴァール兄様を手に入れようと令嬢たちがあの手この手を使い、ライバルを蹴落とし合うのです。死人が出る可能性も低くありません。ご自分の容姿、能力、内面などを把握してみてください」
「はぁ……」
更によく分からないと言わんばかりの顔をするヴァールに痺れを切らしたプリンツェッスィンが口を開く。
「まず容姿ですが。あの稀代の天才魔法使い、もとい世界一の天才魔法使いでこの国の王であるゲニーお父様と、クールで格好良く頭が良過ぎて世界中にある本を読み漁り、尚且つ内容までそっくりそのまま書き移せるほど記憶してるヴァイスハイト父上、よりも!!」
ツェスィーが大きな声で熱弁した。
「よりも?」
本気で分からないヴァールはプリンツェッスィンに問うようにオウム返しする。
「よりも格好良いのです!! 良いですか? これはちゃんと国民の調査結果なので、総体的に正しいのです!! 確かに身内ながらお父様も父上も極上に顔が整ってます! しかも容姿はお父様の『王族だから見目麗しくなきゃな!』という突拍子のない思いつきからお母様たち含めあの四人の容姿は二十五歳のときのまま変わらずお若くいらっしゃいます! 話は飛びましたが、男性の二十五歳ですよ?! まだまだ若くフレッシュで、でも経験はそこそこあり、微かな貫禄がでてきた美丈夫ですよ?! それなのに!! それよりヴァールお兄様の方が格好良いと世が言ってるのです!!」
プリンツェッスィンの熱弁を聞きヴァールは呆気にとられた。
「はぁ……。でもただ若いからってだけじゃ?」
ヴァールも二十四歳で二十五歳と一歳しか変わらないのに差を求められ、辛うじて一歳若いからという答えを出してしまう。
なかなか腑に落ちないヴァールに痺れを切らしたプリンツェッスィンは、母親たちに言うなと言われていることを暴露しようと思い立った。
「ここまで言っても分からないなら、機密事項をお伝えしましょう!! ……このことはお父様と父上にはぜぇーったい秘密ですよ?」
「う、うん?」
「それは私が八歳のときでした。普段何かとお父様と父上にべたべた愛でられてるお母様と母上の姿が見えなくて城中探し回ってた私は、庭園の角に何やら見たことない建物を見つけたのです。そこにお母様と母上が入っていくので私も入ろうと思ったら目の前でその建物が消えたんです。あまりにも恐ろしくて悲鳴をあげた私は気を失ってしまいました。そして目を開けるとそこには……」
まさかの怪談話みたいなことを言い出すプリンツェッスィンの語りは恐ろしく、ヴァールは顔が青ざめていく。
「お母様と母上がいました!」
「は?」
幽霊とかの話かと思ってたヴァールは拍子抜けをした。
「そこはお母様と母上が女子トークする為に作られた秘密の花園だったんです! その時教えてくれましたが、あんまりにもお父様と父上がお母様と母上を離さないので姉妹だけで話したいこともあると二人以外入れない建物を作ったんです。まあそもそも二人は双子で尚且つ女神の慈しみ子なのでテレパシー出来るんですが、気分的な問題ですよね〜。あ! でもお父様や父上がウザイとか離れたいとかいう理由じゃなく、惚気けたいが為にあの建物を使ってるのでちゃんと両夫婦仲は健在ですので安心してください!」
そんなことの為だけに膨大な魔力を使う親たちに呆れるヴァールはふと何か忘れてることを思い出す。
「えっと。で、機密事項って?」
話を逸らしたままじゃなく、ちゃんと軌道修正するのが何とも誠実なヴァールらしくプリンツェッスィンは自然に笑みが零れた。
「お母様と母上が言ってたんです。顔は一番ヴァールお兄様が整ってるって!」
褒められたことより、これからそれが父親たちの耳に入り、体の細胞が残らないほど切り刻まれ
「あっ! でもこうも言ってました! 確かに顔が整ってるのはヴァールお兄様ですが、好みは断然夫だから自分の夫が世界で一番格好良いと!」
「首の皮一枚で繋がった気がする……」
ヴァールは母親たちに墓まで持っていってくれと明日すぐに釘を刺そうと心に決めたのだった。
「これで容姿のことは分かりましたよね? 次は能力についてです!」
まだ続くのかと苦笑いしそうだが、熱弁してるのは誰でもないヴァールにとって愛しい愛しい目に入れても痛くない可愛いたった一人のお姫様である。その愛しい愛しい目に入れても痛くない可愛いたった一人のお姫様はヴァールの心情なんかお構いなしに語り続けた。
「兄様は五歳から始めた剣術はもちろん同じくその年に始めた体術は国一番の実力、父上の厳しい扱きにも耐えその父上と並ぶほどの学力、母上から学び世界八カ国五部族の言語をマスターし、世界に数人しかいない聖女であるお母様から稀有な治癒魔法を教わり、世界一の天才魔法使いのお父様から手取り足取り魔法を学び稀有な存在である魔法を作り出せる人百選の年鑑に僅か十歳の時から載り続ける……一言で表すとめちゃくちゃ高スペック男子なのです!」
プリンツェッスィンはそこまで一気に言い放つ。
「確かにそれだけ言われたら高スペック? かも」
えへへとヴァールは照れた笑みを見せた。
「はい! ここで丁度よく内面に入れます! 今みたいなあざといのに全然狙ってない天然の可愛さ! 母性本能をくすぐる笑み! なのに! なのに面倒見がよく頼りがいがあり、穏やかで優しく、人によって態度を変えず、誰にでも分け隔てなく接する聖人! ……あと兄様は……人に対して怒りませんよね。怒ってたとしても感情をむき出しにせず、理性でとめられていて本当にすごいと思います。私は比較的感情に左右されますから、私と全然違います」
自分を恥ずかしいと思い、苦笑いするプリンツェッスィンを見たヴァールは目の前の愛しいお姫様を見つめる。
ちゃんと自分の欠点を見つめ向き合う強さ、そして彼女自身は自覚がないだろうが、彼女こそ誰とも分け隔てなく接し、慈愛の心で沢山の人の心の氷も溶かしていっていた。
感情に素直で表裏もない性格は純粋に側にいて心地よい。
正義感が強く、弱い者いじめが嫌いな彼女は、よく人を助ける代わりに腹いせで嫌がらせを受けていた。だが彼女のすごいところはそんなことではめげない逞しいメンタルである。
ただそのメンタルも誰かがやはり支えないと続かないもので、皆にはいつも明るく振る舞う彼女が唯一弱みを見せるのがヴァールであった。
彼女はけして人にされたことで泣かないが、ヴァールに関しては涙腺が緩い。
生まれてこの方ほぼ一緒に過ごしていたのでわかるが、ヴァールはプリンツェッスィンが自分関連以外で泣くところを見たことがなかった。
鋼の強さの彼女を泣かせるのは自分だけなのだと、他のものでは感じない所謂嗜虐心を微かに感じるのだ。
プリンツェッスィンが泣いた顔より笑った顔を見たいと思うヴァールだが、泣いてる彼女も愛おしく感じてしまい、罪悪感に苛まれた。
自分がおかしいのかと悶々としていたとき、アンジュに大丈夫かと声をかけられ友人がというていで相談をしてみる。
そしたらアンジュから意外な言葉が返ってきた。
『それってつまり、その人のことぜーんぶ好きってことなんじゃない? 笑ってるのも、怒ってるのも、泣いてるのも好きなんでしょ?』
それを言われヴァールは腑に落ちる。
プリンツェッスィンが生まれて初対面で雷に打たれたような衝撃を受け、医者にかかるが何もないと言われ結局は恋の病でしょうと冗談で笑われた。
だがヴァールはそのときこれが恋なのだと分かり、正直嬉しかった。両親たちを見て、自分もいつかこんな風になれたらと幼心ではあったが思っていたからだ。
その日からヴァールはプリンツェッスィンのお世話は自分がやると言い出し、周りの反対を押しのけ、ちゃんとお世話できるという証明をし実績を積み、プリンツェッスィンが生まれて三ヶ月経つ頃には完全にヴァールが親代わりになっていた。
もちろんオムツも替えるが、嫌だとか汚いとか思ったことはなく、ただただ可愛い愛しいと思うのである。腑に落ちた理由は、こういう風に、どんな彼女も愛せるという自信だった。
「わ!!」
色々思いを巡らせていたヴァールは愛するお姫様のけたたましい音量の声で意識を取り戻す。
「もう。ヴァール兄様の意識どっかにいってましたよ? つまりですね! 容姿、能力、内面どれをとってもこの国最高の男子なのです! もしかしたら、もしかしなくても世界一最高な男子ですよ! パーティーで誰かを選ぶなんてしてみてください! 血祭りどころか戦争になりますよ! で!! そこで私の登場なんです!」
プリンツェッスィンはふふんと自慢げに、悲しいほど凹凸がない胸を張った。
「私は王女です。この国の姫です。身分的には私を超える令嬢はいないでしょう。そして私はヴァールお兄様の実の従妹です。なので私以上にヴァールお兄様のパートナーになりつつ、パーティーを血の海にせず、平和な宴にする者はいません!」
プリンツェッスィンがドヤ顔をし、熱弁が終わる。
「うん。そうだね」
ヴァールは慈しむような笑みでプリンツェッスィンを見つめた。目の前のお姫様が愛おしくて仕方の無い顔は隠そうとしても隠しきれない。
プリンツェッスィンもヴァールを見つめ返した。
「今日、キスしてないね」
ヴァールはプリンツェッスィンの頬に手を添え、囁く。
「はい」
プリンツェッスィンはうっとりとした目でヴァールを見つめた。
「キス、していい?」
こてんと首を傾けプリンツェッスィンに懇願する。
「聞かなくても私にはいつでもしていいですって何回も言ってますよ?」
プリンツェッスィンは愛らしい表情でヴァールを揶揄った。
「ん〜、でもやっぱり君がしたい時にしかしたくないな」
少し困った様子のヴァールは眉を下げ微笑む。
「いつでもしたいです」
もうプリンツェッスィンのスカーレットの瞳にはヴァールしか映らなかった。
「いつでも?」
それはヴァールも同じでリーフグリーンの瞳には目の前の愛らしいお姫様しか映っていない。
「はい。ずーっとしていたいです」
プリンツェッスィンはヴァールの胸に顔を
「うん。僕もツェスィーとずーっとキスしていたい」
そしてヴァールは瞼を閉じてプリンツェッスィンを抱きしめる。
「ふふ。ずーっとは、今は無理ですよ? 結婚したらわかりませんが」
「うん……。僕頑張るから。待たせるかもしれないけど、絶対ツェスィーと結婚する」
プリンツェッスィンを抱きしめるヴァールの腕の力が強くなった。
「……なにか分かりませんが、兄様。無理はなさらないでくださいね。私に話せることは話してくださいね。今は従兄妹なのでいいですが、夫婦になったら隠し事なしですからね!」
プリンツェッスィンは真剣な表情でヴァールを見つめる。
「うん。ありがとう。夫婦になったら何もかもツェスィーに話すし、ツェスィーに相談するから」
ヴァールは自分を案じてくれている愛しい人に感謝し、プリンツェッスィンの頭を優しく撫でた。
「愛してます、兄様」
「愛してるよ、ツェスィー」
吸い付くような、元は一つのものであったものがまた一つに溶け合うかのような口付けをし、更にそれが深くなる。唇が離れ、二人の銀の橋がかかった。お互い舌を出し、それだけで愛を確かめるキスを交わす。唇は使わないが、舌先をなぞるように、上下左右に変えながらお互いのそれを刺激していった。舌先が絡みどちらとも分からない透明の雫を交換し合う。まるでそれ自体が男女の交わりような扇情的なキスは二人の体温を上昇させた。
舌先を絡ませ合うキスをし終わり、はあはあと息を荒くしていた二人は暫し見つめ合う。そしてプリンツェッスィンが沈黙を破った。
「兄様……ダメですか?」
もうすぐ十八歳になるはずなのに、姿形は十になるかならないかの幼い少女であるプリンツェッスィンの上目遣いで愛する人に強請るさまは、まるで傾国の美女の様に妖艶で、ヴァールの下半身は痛いほどに張り詰めてしまう。
「私……お腹キュンキュンして辛いんです」
愛する人に自分と交わりたいと言われ、ヴァールの表情が悲痛に歪んだ。
「ツェスィー、それは……それだけはダメなんだ」
本当はしたいに決まってるヴァールは歯を食いしばりながらプリンツェッスィンのお願いを断る。
「何でですか? 結婚してないからですか? この国は確かに婚前交渉は推奨されてませんが、他国はもっと緩いですし、第一お父様たちは婚前交渉してます!」
プリンツェッスィンは断られて腹を立てヴァールに抗議した。
「そうじゃないんだ……。ごめんね。待っていて欲しい」
愛する人の深刻な表情を読み取り、プリンツェッスィンの怒りも同時に収まる。
「どのくらい待てばいいんですか?」
「分からない……」
プリンツェッスィンは瞼を薄く開け下を向き、ヴァールは涙が落ちないように天井を見上げた。
「私、おばあちゃんになっちゃいますよ? ……うぅ……兄様の赤ちゃん欲しいです……」
とうとう泣くのを我慢していたプリンツェッスィンが大粒の宝石みたいな綺麗な雫を流す。
「僕だって欲しいよ! 今すぐにでもツェスィーを孕ませたい! 僕だけの
ヴァールは我慢が限界になり、嗚咽を漏らしながらはらはらと涙を流した。
「兄様……」
「兄様。兄様が泣くのは見てられない気持ちになるので、涙を引っこめるために男の子なんですから泣いてはダメですよ……と言いたいところですが! 男女関係なしに、泣きたい時はありますし、赤子のように甘えたい時だってあります!」
泣いていたはずのプリンツェッスィンだったが、今はまるで女神のようなはたまた天使のような、柔らかい優しい微笑みをヴァールに向けていた。さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。
「私が本当は泣き虫なのに泣くのを我慢してる兄様が泣ける場所になります。頑張り屋で努力家の兄様が甘えられる場所になります。気を遣いながら人と接して疲れてしまう兄様を癒す場所になります。大丈夫です。私は兄様以外好きになりません。どうやったら兄様以外を好きになれるんでしょうか? 私は本当は怒ったことがないんじゃなくて怖くて怒り方が分からない、不器用で人の何百倍も頑張らないと人並になれない、臆病で優しいが故に人に気を遣いすぎて疲れてしまう、そんな可愛い兄様が愛おしくて大好きです。兄様以上に素敵な人なんか現れません」
ヴァールはプリンツェッスィンを見上げ、頬を赤くすると、恥ずかしそうに顔を背ける。
「それって格好悪くない? ツェスィーはこんな僕がいいの?」
ヴァールは両親たちに比べたらたいして才能もないと言える子だった。
ヴァールが剣術、体術、座学、魔法に至るまで人並み以上、いやほぼトップと言っていいほどに上り詰めることが出来たのは、最初は褒めてくれる両親たちを喜ばしたかったからであったのだ。
しかしそれも頭打ちになりかけた頃、プリンツェッスィンが生まれ、こんなに可愛い子はきっと格好良い人が好きなはずだと思い、それからはただひたすらこうしたらプリンツェッスィンに好かれるかなとか、ああなったらプリンツェッスィンが笑ってくれるかなというプリンツェッスィン至上主義の俗に言う煩悩に従って生きてきた。
だがヴァールの面白いところはプリンツェッスィンが幸せになることだけを求めず、できるだけ多くの人を幸せにしようとし、それによってプリンツェッスィン自身も更に幸せになることを願ったのだ。
幸福はけして一人だけが幸せになり築けるものではない。人を不幸にして築いたつもりの幸福など
「はい。〝こんな〟に素敵な兄様が世界で一番好きです」
プリンツェッスィンはそう言い、ヴァールの頬に手を添え顔を自分に向け、唇を落とす。深く交わることのない極々普通の口付けは、そのままのあなたが好きだと伝えるためのキスであり、それはヴァールにもしっかりと届いた。
「ツェスィー……ごめんね。もう、君を離してあげられないよ。本当は……〝あのこと〟が無理なら、身を引けるよう君の乙女は守り続けるつもりだった。でも……もう無理だ……」
ヴァールは立ち上がりプリンツェッスィンの手を引きあげ抱きしめる。
「君が〝悲しまない〟ように、避妊はちゃんとするから……。成人の義が終わったら、僕の奥さんになってくれる? 精一杯、僕ができる限り、君を幸せにすると誓うよ。愛してる。ずっと側にいて」
きゅっとプリンツェッスィンをヴァールの細めだが、無駄なく鍛えあげてる逞しい腕が優しく締め付けた。
ヴァールの硬い胸に抱かれ、服の上からも分かる早い鼓動の音を聞きながら涙を流したプリンツェッスィンは顔を上げ、目の前の愛しい人の綺麗な若葉のようなライトグリーンの瞳を見つめる。
「私を、ヴァールお兄様の妻にしてください。もう後戻りできませんからね。私は兄様以外に嫁げなくなるんですから。もし……兄様がいう〝あのこと〟がよく分かりませんが、それが無理なら、二人で駆け落ちしましょう? お母様たちと離れ離れになるのは悲しいですが、兄様と添い遂げられるならそれを選びたいと思います。きっとお母様たちも分かってくださります。私は色々考えてたんですよ! 駆け落ちのことも! なので苦手だった料理や裁縫、洗濯掃除、生活において大体大切なことはマスターしました! シャイネンのお墨付きなので安心してください! それに、あの二人はきっと私たちについてきてくれますよ」
生活力皆無な女の子だったプリンツェッスィンが、隠れて自分と添い遂げるために頑張っていた事実を知り、ヴァールは胸が熱くなった。
そして十一歳のときから影として側にいてくれるグレンツェンと、プリンツェッスィンの影であるシャイネンは味方でいてくれることに安堵し胸をなでおろしたのだった。
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