第211話 家出 -1-

お屋敷から大通りまでの道をひたすら走る。

普段そんなに遠く感じないのに、なぜだか今夜は大通りまでがとても遠く感じる。


やっと大通りに突き当たり、これからどこに行こうかと左右をキョロキョロとしているところで、突然腕を引かれて路地裏に連れ込まれた。


「っ・・・!」


恐怖のあまり、暗闇で言葉にならない声を上げようとした瞬間、大きな手が私の口を塞いだ。

顔を上げてその人を目にした瞬間、さらに驚きで身体が固まる。


「どうしたの?」


そこにいたのは、今逃げてきたはずの蒼月さん・・・にそっくりな、蒼月さんのお兄さんで、ふと何かに反応したお兄さんは、


「手を離すけど、ちょっと静かにしていてね。」


そう言われてこくこくとうなずく私から手を離すと、私たちの周りに結界のようなものを張った。

すると、少しして目の前を蒼月さんが通り抜けていくのが見えた。


(追いかけてきてくれたんだ・・・)


自分で逃げ出したくせに、追いかけてきてくれたことに喜んでしまうなんて・・・。恥ずかしくて情けなくて、涙が出そうだった。


「え?蒼月から逃げてんの?どうして?」


流石に私が蒼月さんから逃げているなんて思わなかったのだろう。驚いた顔でそう尋ねたお兄さんに、なんと説明すれば良いか迷っていると、


「まあ・・・色々あるよね。」


それ以上深入りしない姿勢を見せたお兄さんは、ふと楽しそうな顔になると、


「・・・で?屋敷に帰る?送ってくけど?」


と、まるで答えはNOだと分かっているような感じで聞いてきた。お兄さんがお見通しなのは悔しいけれど、首を横にふるふると振ると、


「じゃあ、ちょっと移動しようか。ここにいたら見つかっちゃうよ。」


そう言いながら結界を解いたお兄さんは、私をヒョイっと抱き抱えると、蒼月さんによく似た甘いマスクに低い声で、


「声出しちゃ、ダメだよ。」


とそっとつぶやくと、裏通りを颯爽と駆け抜けながら、とあるお屋敷の裏口のようなところまで私を連れてきた。

裏口をくぐり抜けると、なぜかもう一つ門がある。


(家の中に、さらに門・・・?)


その少し変わった作りをいぶかしげに見ていると、お兄さんは私をそっと地面に下ろした。


「まあ、どうぞ。僕だけじゃないから、安心して。」


そう言ってスッと先を歩くお兄さんの後をついて、先ほどの門をくぐる。



門をくぐった瞬間、空気が変わった気がした。



一瞬身体がふわりと浮かんで別の世界に紛れ込んだような感覚に見舞われたけれど、お姫様抱っこから下ろされてまだ感覚が安定していないのだろうと特に気に留めず先に進む。



庭を抜けて玄関に上がると、お手伝いさんのような女性が迎えに出てきた。


「おかえりなさいませ、煌月こうげつ様。」


「ああ、戻りました。こちらはお客人。客間の用意はできてる?」


「はい。ご連絡いただいてすぐにご用意いたしました。」


そんな会話がなされているのを見て、あの状況でいつ連絡なんてしたのだろうかと不思議でたまらない。


「伝書は印を結ばなくても送れるんだよ。」


私の考えを読んだかのように、ハハっと笑いながらそう言ったお兄さん。さっきもそうなんだけど、なんだかこちらの考えていることが丸っとお見通しな気がして、恥ずかしい。

そうしてそのまま客間に通された私は、所在なく畳の上に正座をすると、部屋の入り口の障子に手をかけてこちらを見ているお兄さんを見上げた。


「あの・・・」


私が話しかけたのを聞いて、部屋に入り、私の目の前に同じように腰を下ろす。


「まずは、匿ってくださって・・・ありがとうございました。」


どこにも行く宛がなかった私を助けてくれたのは、確実にこの人だ。まずはお礼を言う。それから、


「これは・・・私のわがままです・・・蒼月さんは、何も、悪くありません・・・」


原因が蒼月さんの発した言葉だとしても、それにショックを受けて逃げ出したのはあくまでも私だ。だから、蒼月さんのせいではないことだけは伝えておかなくてはならない。


そして、さっき気づいたのだけれど、まだお兄さんに伝えていないことがある。


「今更ですが・・・私は、琴音と言います。自己紹介が遅くなってすみません・・・」


この前会った時はあっという間にお店から出て行ってしまったし、そういえば自己紹介をしていなかったことに、さっき、玄関でお兄さんが名前で呼ばれている時に気が付いたのだ。


すると、お兄さんも同じことを思ったのだろう。にこりと微笑むと、


「琴音ちゃんか。かわいい名前だね。僕の名前は煌月こうげつ。煌めく月、と書いて、煌月こうげつと言います。よろしくね。」


そう言って、パチンとウインクをした。


煌めく月・・・なんだかお兄さんのイメージそのまんまだなと思ったら、くすりと笑いが溢れた。そんな私を見て、


「やっと笑ったねえ。君は笑っている方が断然かわいいよ。」


そんな歯の浮きそうなセリフをサラッと言う。しかも、蒼月さんそっくりの顔で。

そうして、条件反射のように照れて赤くなった私を楽しそうに見つめた煌月こうげつさんは、


「まあ、とりあえず今日はもう遅いし、泊まって行ったら?」


そう言って、パンパンと手を叩いてお手伝いさんを呼んだ。


(蒼月さん、まだ私のこと探してるかな・・・心配かけてるよね・・・)


自分で逃げ出したくせに蒼月さんのことを心配していると、煌月こうげつさんはまたしても、


「蒼月にはうちで預かってるって伝えておくから心配いらないよ。」


と、優しく微笑んだ後で、


「あ、でも、迎えには来るなって言っておくから、気が済むまでここにいていいからね。」


ある意味初対面の、こんな得体の知れない私に、こんなに親切にしてくれる煌月こうげつさん。


普段なら、この人にも迷惑をかけたくないし、気持ちが落ち着いたら帰ろうとなるところだけれど、今日はどうしてもそんな気になれない。


『私は美琴さんの身代わりですか?』と聞いた時に、蒼月さんが見せた痛みに満ちた表情が忘れられない。


あの瞬間の蒼月さんの表情を思い出すたび、胸の奥がじんわりと重くなる。


(あんなことを言わなければ、彼を傷付けずに済んだのだろうか・・・)


私が美琴さんの身代わりであるかないかの真偽はさておき、あの瞬間、確かに私は蒼月さんを傷付けたのだ。


もちろん私も傷付いていたのだけれど、だからと言って誰かを傷付けていいことにはならない。


傷付いて逃げ出したのは私自身の選択だったはずなのに、蒼月さんを傷付けたという事実が罪悪感として私を静かに追い詰めていく。

言葉が喉に詰まる。胸の奥で罪悪感と傷ついた自分の心がせめぎ合い、何を選べばいいのか分からないまま、口を開いた。


「今日は・・・泊まらせてください。」


声は自分でも驚くほど小さく、震えていた。

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