第182話 境界線を超える予感 -5-

千鶴さんは何事もなかったかのようにこちらに向かって歩いてくる。


「千鶴さん!」


そんな千鶴さんに駆け寄って何度も頭を下げる私に、千鶴さんは、


「何もなかったのですから・・・」


と涼しい顔で言う。翔夜くんは翔夜くんで、苦い顔をしてなにやら含みのあることを言っている。


「相変わらず涼しい顔で流しますね。」


「翔夜さんくらいになら、私もまだまだ負けませんわよ。」


それに対してそう返した千鶴さんがあまりにも意外で、思わず驚いた顔で見つめていると、


「琴音さんは水の元素なのですね。私は風の元素なんです。」


うふふ、と微笑みながらそう言われて、なぜか千鶴さんにぴったりだなと思ってしまった。そんな中、


「そうそう。蒼月さんを追ってきたのですけれど・・・長老のところに忘れていかれて・・・」


千鶴さんはそう言って胸元から袱紗ふくさを取り出す。中身は手帳だそうだ。

そんな千鶴さんに、蒼月さんは番所には戻ってきてないですよ、と言おうとしたところで、翔夜くんが言った。


「あー・・・さっき戻ってきたんですけど、すぐ出て行っちゃいました。屋敷に帰ったのかも。」


(え?私は蒼月さんなんて見てないけれど・・・翔夜くんが私を迎えにくる前のことかな?)


と私が首を傾げていると、


「あら・・・どうしようかしら・・・」


千鶴さんは少し困った顔をして、それから何か閃いたように目を輝かせると、一通の伝書を送った。少しして伝書に返事が来たのか、軽快な音がした。


「小鞠様に聞いてみたのですけれど、まだお戻りではないようですね・・・」


そう言って少し考えごとをするそぶりを見せた千鶴さんは、私に向かって予想外のことを言った。


「まあ、これは一旦持ち帰りますわ。それよりも、琴音さんはこの後何か用事はおありですの?」


突然のことでなにを聞かれているかさっぱりわからなかったけれど、千鶴さんは被せるようにこう言った。


「特に用事がないようでしたら、たまには長老のお屋敷に泊まりにいらっしゃいませんか?たまには女同士、積もる話でもいたしましょう。」


千鶴さんからのまさかの女子会のお誘いに、私は一も二もなく「ぜひ!」と返事をしてしまった。


しかし、そのすぐ後で、


「あ、でも、小鞠さんに・・・」


と口ごもると、千鶴さんは、


「私からお伝えしておきますね。」


と微笑んだ後で、


「ということなのですが、よろしいかしら?」


と、最後に翔夜くんに問いかけた。翔夜くんはそんな千鶴さんに苦笑いをしながら、


「どうせ断る選択肢はないんでしょ。」


そう言って、どうぞという仕草を見せた。


(この二人のやり取りって普段見たことなかったけど・・・こんな感じなんだ。)


翔夜くんがなんとなく千鶴さんに頭が上がらない雰囲気なのは、先輩の月影さんの奥さんだからなのだろうか?

それとも、他に理由があるのだろうか?

思っていたより親密そうなやり取りが意外だったけれど、それも今夜の女子会で聞いてみよう。


お姉さんみたいな千鶴さん。

月影さんとの馴れ初めも聞いてみたいし、蒼月さんに対する私のこの浮き沈みの激しい気持ちも聞いてもらいたい。


そうして、翔夜くんに一切れだけシフォンケーキを残し、残りは全て(小鞠さんにはホールで持たされた)女子会への手土産として包み直した。


「千鶴さんがいれば十分護衛になると思うから、安心して。また伝書するね!」


翔夜くんはそう言って手をひらひらと私たちに振ってみせる。

千鶴さんは千鶴さんで、


「まあ、そうですわね。では、参りましょうか。」


そう言って私を促す。一体この二人はどういう関係性なんだろう。そして、千鶴さんはどれだけ強いのだろう。

聞きたいことが多すぎて、楽しみで自然と顔がニヤけてしまうのを感じながら、千鶴さんと私は長老のお屋敷へと向かった。

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