あやかし恋奇譚

天宮 るちあ

プロローグ

夜空に浮かぶ満月が、静かに世界を見下ろしている。





幼馴染の結婚式からの帰り道、私は普段とは違う道を選び、導かれるように神社へと足を運んだ。


参道の石畳は湿り気を帯び、足を踏み出すたびにひんやりと冷たい感触が伝わる。その隙間から小さな草が顔を出し、古びた灯籠がかすかな光を放っている。

冷たい風が神社の境内を吹き抜け、古びた鳥居をくぐるたび、木々の影が踊る。


鳥居の奥に進むほど、周囲の空気が妙に重たく感じられる。風の音は静まり、代わりに耳に届くのはどこか遠くから響く鈴の音――


てんてんてんこ、稲穂が揺れる

さらさら流れる、水のそば~

静かな静かな祠の下で

いい子にいい子にねんねしな~


幼い頃、母と何度も訪れたこの神社で聞いた子守唄を思い出し、微かな懐かしさに胸を締め付けられる。


そして、誰もいないはずの神社に漂う微かな霊気。


霧が立ち込める参道の奥、神秘的な光が私を誘う。


心のざわめきに抗えず、私は一歩、また一歩とその光に導かれるままにと進んで行ったのだけれど・・・



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



(心臓が爆発しそう・・・)


恐怖で足が震え、思わず涙が滲んでくる。


目の前の獣がこちらに向かって一直線に向かってくるのを見て、足がすくんで動けない。


逃げたいのに、逃げられない。


身体が硬直して、声すら出ない。


思っていたよりも大きな獣のような姿だが、顔だけ見ると猿に見える。


しかし、落ち着いて分析する余裕なんてなく、あと少しで飛びかかられてしまう位置まで来たのを見て、思わずしゃがみ込んで目をつぶる。


怖くて身体が動かない・・・


「ガゥゥゥ!」


獣の叫び声が耳に届き、息を呑んで固まる私。もうダメ・・・・・そう諦めかけたその時、


「自らにえになる気か?」


背後から力強い低い声と風を切る音が聞こえて、パチリと目を開ける。


なに?と思った次の瞬間、眩い光に包まれた。

その瞬間、眩い光とともに現れたのは一人の若い男性で、薄暗いこの場所で唯一光を纏ったような圧倒的な存在感だった。鋭い瞳が獣を見据え、空気が一瞬凍りつくような気配が漂う。

彼は無造作に前に進み出ると、その身をもって私を守るように立ちはだかった。


「ったく・・・」


ため息混じりに、彼は獣に向かって一閃の光を放つ。その動きは鮮やかで、まるで舞を踊るかのように軽やかだった。


「グゥアアアアーッ!」


獣は断末魔の叫びを上げ、次の瞬間には消え去っていた。




驚きと恐怖で身動きが取れない私に向かって、その男性はゆっくりと振り返った。

銀色の髪が風に揺れ、その瞳は灰色に冷たく輝いていて、まるで全てを見通すようだった。冷静さと力強さが同居する彼の姿は、この場に似つかわしくないほど異質で神々しく感じられた。


静けさが戻ってからどれくらいの時間が経ったのだろう。


呆然と男性を見つめたまましゃがみ込んでいる私に、


「なぜこんなところに女が一人でくるのだ・・・」


はぁ・・・とため息まじりに先程の低い声が呆れたように言う。


しかし、彼の低い声が耳に届いた瞬間、先ほどまでの恐怖が嘘のように薄れていくのを感じた。けれど、その不思議な存在感に圧倒され、言葉を紡ぐこともできず、ただ茫然と彼を見つめることしかできない。



でも、この時の私はまだ知らなかった。

この出会いが、私をあやかしの世界の渦中へ、そして避けられぬ運命の恋へと引き込むことになるなんて・・・。

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