第38話 夜勤の相棒
「尾関ちゃん、お疲れさま!」
「
夜勤になって一週間が過ぎた。
店長の
「今日は珍しく本当にお疲れ気味だね?」
「まぁ、夜勤てやっぱりダメージありますよね…。本来人間が眠るべき時間帯に働くわけだし…」
「そうだよね、本当は夜中に働くなんて良くないよね!私も夜勤に入るようになってからやっぱり少し肌の調子が悪くなった気がするし…」
「そんなことないですよ!香坂さんはいっつも変わらずにお綺麗ですよ!」
「もぉー!上手いんだから!」
「本当ですって!とてもお子さんがいるようになんて見えないですもん!」
「…ねぇ、尾関ちゃん、よかったらこの後朝ごはん食べに行かない?」
「え!珍しいですね?香坂さん、昼の時はいつも仕事終わるとすぐに帰ってたのに…」
「…そうだね。でも、この時間は家族みんなまだ寝てるから…。主婦の息抜きって早朝か夜中くらいしかないの。だからちょっとだけ付き合ってくれる?」
店から5〜6分歩き、うちのバイト達にはお馴染みのファミレスで、私たちはザ・日本の朝食といった感じの焼き鮭にとろろと温泉卵までついた少し豪華な定食を頼んだ。
それをほぼ同時に食べ終わると、香坂さんは定食に無料でついてくるドリンクバーからホットコーヒーを持ってきてくれた。
時刻はもう朝の6時半を過ぎていた。
平日だから旦那さんは仕事だろうし、娘さんも学校のはずだけど、コーヒーを飲む香坂さんには急ぐ様子は全く見られなかった。
私がそんなことを考えていると、
「尾関ちゃん、最近何か悩んでない?」
突然香坂さんから思いもよらないことを言われた。
「えっ!?どうしてですか…?」
「話しかけると明るくはしてくれるけど、仕事中もずっと何か別のことを考えてるみたいに見えて…。だから、なんかあったのかな?って…。あっ、ごめんね!話したくないことなら無理に言わなくていいんだけど!」
仕事中もずっと考えてるのは、奈央のことだ。恥ずかしいけど、この歳になって私は人生初めての恋わずらいをしている。でもまさかそんなこと、香坂さんに言えるわけがない。
とは言え、この空気で『別に何もないです』と言うのは香坂さんを拒んでるようで傷つけてしまう気がした。
「……そんなつもりはなかったんですけど、何かあったかっていったら、彼女と別れた…とかですかね?」
私は当たり障りなく事実を話した。
「えっ!そうなの!?あの缶チューハイの彼女と!?」
「……みんな知ってますね、まぁ隠してなかったから仕方ないけど…」
「どうして?どうして別れたの?まだ付き合って何ヶ月かだよね…?」
「はい。4ヶ月くらいだったかな?彼女、元々長く付き合ってた人がいたんですよ、それでまぁ色々あってその人のところに戻ったっていうか…」
「うそ………」
「でも別に全然気にしてないんで。むしろ幸せになって良かったなーっていう感じですし」
「嘘だよそんなの!……だって、一番辛いと思う……そんな別れ方……」
「いやいや、本当に。実際そうでもないんですけどね」
「……尾関ちゃん、私にだけは強がらなくていいんだよ?私もおんなじなんだから……」
「香坂さんもおんなじって…何がですか?」
「……私、さっき嘘ついちゃった…、家族はみんな寝てるって……。ううん、多分寝てるだろうな。二人とも朝弱かったから……」
「あの……どうゆうことですか?」
「私ね、離婚したの。それで少し前から今まで住んでたマンションを出て、今はアパートで一人暮らしなんだ…」
「えーっ!!!」
全く予想してなかったことを言われ、大きすぎるリアクションをとってしまった。香坂さんはそんな私の声にびっくりしていた。
「あっ、ごめんなさい!正直ちょっと意外過ぎて…なんとなく香坂さんの家庭ってめちゃくちゃ円満なイメージだったから…」
「私、
そう言って笑う香坂さんは、確かにどこかもの淋しげに見えた。
「それで夜勤の話受けたんですか?」
「うん。名字も住所も変わるから店長には少し前から話してたんだ。それでどうかって聞かれて…」
「不思議だなとは思ってたんですけど、そうゆうことだったんですね……」
「でも、尾関ちゃんにはとっくに伝わってるかと思ってた」
「あの人、ああ見えてそうゆうところ出来た人間だから、いくら仲良くても人に勝手に言われたら嫌なことは絶対言わないですよ!」
「そっか、そうだよね」
「その……一人暮らしっていうことは、お子さんも旦那さんの方に……?」
「うん。……実はね、娘は私の実の子じゃないんだ…。旦那、バツイチでね、娘は前の奥さんとの子なの」
「そうだったんですか………」
「前の離婚は奥さんの浮気が原因だったみたいでね、旦那は若くして小さい子どもを育てながら頑張ってたんだ…。そんな旦那と職場で出会ったのがきっかけで結婚することになってね……その時は娘はまだ2歳になる前で、お母さんがいなくなった記憶すらなくて……私は本当の娘としてしっかりこの子を育てる!って決めてね、仕事も辞めて家庭に入ったの。そうやって、妻としても母としても、自分なりに一生懸命やってきたつもりだったんだけど……、私の知らないところで、前の奥さんからずっとやり直したいって言われてたみたいで……」
「…………」
「……もともと旦那が前の奥さんに未練があったのは昔から知ってたし、娘のためにも出来るだけ小さいうちに本当の母親といられるようにしてあげたいって言われて……どんなに納得がいかなくても、私が去ることが正解なんだろうなって……」
「……なんて言っていいのか、ごめんなさい、言葉が見つからなくて……」
「こっちこそ気遣わせちゃってごめんね!なんかつい流れで話しちゃった。そんなつもりなかったんだけど、尾関ちゃんの話聞いたら、私とおんなじだって、少し心が救われる気がしちゃって……」
「全然同じなんかじゃないですよ!香坂さんの方が比べ物にならないくらい辛いです、絶対!」
「尾関ちゃん……」
私が思い悩んでることなんて、言ってみれば幸せなことだ。人を好きになって、それで心がいっぱいになってるだけなんだから。
大切な人が自分を捨てて去っていく辛さは他に変えようがない。
私にはそれが少し解かった。
「でも実際はね、案外楽しんでるの、今の生活。いつでも一人だからいつでも自由に動けるし、こうやって今までは絶対出来なかったのとも出来るし!ファミレスで朝ごはんなんて優雅なこと、今までは考えなれなかったもん!」
わずかな幸せを掲げて明るく見せようとする香坂さんは、私の目に悲しく映った。
「……無理に笑わないで下さい。そんなことにまで頑張ってたら、心が壊れちゃうから……。私に出来ることなんて何もないけど、もしぶちまけたいことがあったら遠慮しないで何でも聞かせて下さい」
「……ありがとう」
香坂さんは満面の笑みでそう言ったけど、その目には涙が滲んでいた。
「……じゃあ一つお願いしちゃおうかな」
「なんですか?」
「またこうして一緒に朝ごはん食べてくれる…?」
「もちろんですよ!」
「ありがとう、うれしいな…」
「あ、あとその……『香坂さん』って、旦那さんの名字なんですよね…?」
「…うん、そうなの。もう籍を抜いてるから本当はもう『
「下の名前って、すみれさんでしたよね?」
「えっ?うん……」
「帆波すみれさんかぁ……名前も綺麗なんですね!」
「…そ、そんなことないよ……下の名前なんて自分でも久々に聞いたくらい…」
「あの、提案なんですけど、別れたって知ってて前の旦那さんの名字で呼ぶのもどうかと思うし、帆波さんで呼ぶと離婚を意識させちゃうから、すみれさんて呼ぶのはどうかなって思って…。ダメですか?」
「……尾関ちゃんて、だから女の子が寄って来ちゃうんだろうなぁ……」
「はい?」
「ううん!素直にうれしい!じゃあ私も、今度からきみかちゃんて呼んでいい?」
「きみかちゃんて……ちょっとキャラじゃないですけどね……」
「そんなことないよ!すごい似合ってるよ?それに、私だけ名前呼びだと恥ずかしいし……」
「……分かりました…。じゃあ……き、きみかちゃんで……。自分で言っててもウケちゃいますけど…」
「やった!聞こえないフリとかしちゃだめだよ?ちゃんと返事しないと!」
「返事はしますけど…」
「きみかちゃーん?」
「……は、はーい……」
「なんか面白いね!」
「ちょっと!すみれさんは笑っちゃダメでしょ!」
香坂さんはやっとリラックスしたように笑ってくれた。それでもその笑顔の中には、消しきれない心の傷が見えた気がした。
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