屈曲ラヴァー 〜身を滅ぼしてしまいそうな初恋〜

榊 ダダ

第1章

倉田 奈央

第1話 女なら誰でもいいわけじゃないから




「じゃあ尾関おぜきちゃん、奈央なおちゃん、お先に失礼するね、お疲れさま!」

「あっちょっと待って下さい、香坂こうさかさん!よかったらこのカフェオレ飲んで下さい!」

「えっ、そんないつも悪いよ……」

「いいんです!いいんです!今日忙しかったみたいだから!」

「……ほんといつもごめんね。ありがとう、尾関ちゃん」

「いえいえ。今日も帰り道くれぐれも気をつけて下さいね!」

「うん。それじゃあ帰るね、尾関ちゃん頑張ってね!」

「お疲れさまです!」

「奈央ちゃんもね!」

「あっはい!お疲れ様です!」



 扉が閉まった後でも、コンビニのレジカウンターの中からアホみたいに口を半開きにして、ガラス越しにまだその後ろ姿を追ってるこの人が気に入らない……。



「先輩、いつまで見てるつもりですか?」

「見えなくなるまで」

人様ひとさまの奥さんをなんて目で見てるんですか」

「いいじゃん別に。見て癒されるくらい罪じゃないでしょ」  



 高1の四月、同級生よりいち早く誕生日を迎えて16歳になった私は、地元のコンビニで人生初めてのバイトを始めた。



 それからニ年が経った高3の四月現在18歳になった私は、バイト仲間の主婦にびる5つ歳上のレズに、本気で恋をしている……。

  








 バイトの初日、緊張でガチガチだった私に

 


「こいつが倉田くらたちゃんの教育係ね!『尾関先輩』って呼んであげて」



 と、とてもコンビニの店長とは思えないファンキーな女店長が紹介してくれたその人は、黒髪ショートが無性にかっこいい女の人だった。



「あっ……はじめまして、倉田奈央です…!よろしくお願いします…」



 かっこいいと言っても決して男らしいわけではなく、魅入ってしまうような深い焦茶の瞳と、天然とは思えない薄紅の色の唇からは女性らしさがにじみ出ていて、それだけでなぜか私の緊張は増してしまった。



「どうも、尾関です……」



 ダルそうな態度とは裏腹に姿勢よく立つ姿と顎から耳までの輪郭のラインが美しくて、今までそんな言葉なんて使ったことがなくて恥ずかしいけど「セクシー」という言葉が心底しっくりくる人だと感じた。




「倉田ちゃん!分からないことはこの優しい優しい尾関先輩が手取り足取りなんでも教えてくれるから、なんにも心配しなくて大丈夫だよ!」


 

 店長の話とは違って、すでに何か粗相をしてしまったのかなと心配になるくらい、私に対してなんとなく嫌悪感を抱いているような棒読みの挨拶にたじろいでいると



「おい!尾関笑えよ!私が優しいって紹介したんだから優しそうにしろよ!倉田ちゃんがビビっちゃってんだろ!!」



 と、店長はその人のお尻に後ろからヒザ蹴りをした。



いったぁ!てゆうか、私より店長にビビるわ!」

みせちょうに口ごたえすんな!ほら!早く!」

「…えーっと、倉田さん、よろしくね。分からないことは何でも遠慮しないで聞いてね」



 痛がりながらなかば強要されて見せてくれた笑顔に、私は胸を撃ち抜かれた。



 確かに一瞬で外見に見とれたのは事実だけど、一目惚れとかそうゆうんじゃない。



 それはただのきっかけに過ぎなくて、その日から尾関先輩を知ることが少しづつ増えるたび、私はその一つ一つに確実に惹かれていってしまった……







 二年経った今じゃ考えられないけど、あの頃の先輩は本当に優しくて、店長から言われた通り「尾関先輩!尾関先輩!」と何でもしつこく聞く私に嫌な顔なんて一つも見せずに、いつも丁寧に教えてくれた。



 お客さんを前に慣れない業務で困っている時は「倉田さん、大丈夫?何が分からないの?」とすぐに気づいて急いで側まで来てくれたし、暇な時間帯になればいつも自分から話しかけてくれた。自然を装ったその行動だって、気を遣ってを埋めようとしてくれていることだと、私にはちゃんと分かっていた。

 



 バイト中、カウンターの中では尾関先輩の左側が私の定位置だった。

 右を向くと、ちょうど私の目線の高さにはシルバーのピアスが3つ、毛先で見え隠れしながらいつも左耳に光っていて、いつしかそれを見るたびに私は、日に日に胸が苦しくなるようになっていった……。





 趣味で音楽活動をしているという尾関先輩は、ライブハウスのバイトとかけもちをしながら週に4日はコンビニのシフトを入れていて、私は最低でもそのうちの3日はかぶるように、自分のシフトを出すようになった。



 五つも歳が離れてると共通の話題なんかなかなかないはずなのに不思議と会話が途切れることはなく、尾関先輩と話しているととにかく楽しくて居心地がよかった。

 そんな風に感じていたのは私だけじゃなかったと思う。



 基本的にはクールな印象の尾関先輩だけど、私といる時はよく笑ってくれた。次第に、バイトが終わった後もなんとなくそのまま休憩室に残って話すことが多くなり、いつのまにか帰りも一緒に帰るのが当たり前になっていた。



 しかも尾関先輩は、乗って来ている自転車を押して歩きながら、「若い女の子が遅くに危ないから」と言って、自分の家とは正反対の私の家までいつも送ってくれた。




 尾関先輩が私を呼ぶ呼び方もすぐに“倉田さん”から“奈央”になった。先輩は他には誰のことも呼びすてにしてなかったから嬉しい気持ちと同時に、衝撃的すぎて驚いた。


 

 だけどそれを表に出したら元に戻っちゃう気がして、劇的なその瞬間も、私は自然すぎて気づいていないフリをして流した。

 でも本当は、心臓が細い紐できつく縛られたみたいだった。







 恋と呼べるようなものを今までしてきたことがなかった私は、これがもし恋じゃないと言われたら、きっと一生何が恋か知らないまま死ぬんだろうなと思えるくらい、もう尾関先輩を好きになりすぎていた。



 初めてそれだけ好きになった人が女の人だったってことも、私の中ではなんの問題にもならなかった。

 ただただ私は尾関先輩が好きで、その事実を覆すものなんて何もないと思っていた。




 学校からそのままバイトに行くと微妙に時間が余ってしまう私を、尾関先輩はちょこちょこ誘ってくれて、軽くお茶をしたり、ゲーセンに行ったり、バイト前に遊ぶこともあった。



 夏になると地元の小さなお祭りにも誘われた。今回はさすがにお祭りだしバイト仲間の人達も一緒だろうと思ってたけど、待ち合わせ場所に行くと2人だけで、人混みの出店の通りを歩きながら、その夜は一晩中ずっとドキドキしていた。



 暑さのピークを過ぎた頃からは、帰り道に先輩のおごってくれるマックを公園前のベンチで食べる…というのが2人の新しいお決まりになっていた。



 そして、そんな夏が終わりに差しかかったある日の夜。いつものベンチでなんてことない会話をしている時、尾関先輩は、自分が同性愛者だということを教えてくれた。



 

 そうだろうなということは、ずっと前からなんとなく分かっていたから、何も驚くことはなかった。



 その上で、以前から私は、尾関先輩にとって特別な存在なんじゃないかと薄々感じていた。だから、恋愛対象が女の人だと教えてくれたのは、きっと遠回しに私のことが好きだっていうサインなんだと思った。



 期待は期待でおさまらず、加速度を上げてて確信へと変わっていき、あとはどちらかが言葉にするだけでいい……と、そう信じて疑わなかった。





 でも、それから秋が過ぎても冬になって年を越しても、この嬉しい関係は上がることも下がることもなく、平行線のまま何も変わらなかった。



 それでも尾関先輩と過ごせる時間はいつも夢のように感じていた。



 そう、あまりにもそんな時間が幸せすぎて、私は勘違いという最悪な魔法をかけられたのかもしれない…。



 私がそっち側の人間じゃないから言いづらいんだ…って、きっと尾関先輩も私と同じで切ない想いをしてるんだ…って、思い込んで疑わなかった。



 そして、バイトを始めて二度目の春。ちょうど一年前に出会った記念日に二人のシフトが重なっていると気づいた時、私はこの日が運命の日だと信じて覚悟を決めた。





 その日、一緒にバイトから上がった後、尾関先輩はいつものように自転車を押して私の隣を歩いていた。



 いつものようにマックの前でいったん立ち止まり、「なんか食べる?」って聞いてくれたけど、珍しく私は「今日は大丈夫です」と遠慮した。そんなこと今までで一度もなかったから、先輩は少し不思議そうにしていた。



 そして、お互い言葉少なに公園の前まで来た時、私は人生史上最大の勇気を振り絞った。




「尾関先輩!」




 私が立ち止まったことに気づかないまま少し先を歩いていた先輩を、上ずってしまった声で呼び止めた。



 すると、何ひとつ予期していないような無防備な顔をして先輩は振り向いた。



「私たち……ちゃんと付き合いませんか…?」



 少女漫画の中だけの話かと思っていたけど、告白のセリフを口にした私は自然に目を閉じて、その返事を待っていた。



 10秒に感じる1秒を10回繰り返しても無音のままだったので恐る恐る目を開けると、尾関先輩は全く予想していなかった表情で私を見ていた。



 それはまるで私を軽蔑するような、鋭い針のような視線だった。



「…ちゃんとって何?今まで付き合ってるつもりだったの?」

「えっ……」

「もしかしてさ、私が女が好きだって話したから勘違いしちゃった?」



 言葉が出なかった。



「たまにいるんだよね、そうやってレズを勘違いしてるやつ。女が好きだからって誰でもいいわけじゃないから。そもそもガキのくせに…」



 面倒くさそうにそう言い放つと、信じられないことに尾関先輩は、呆然と立ち尽くす私を置き去りに、ひょいっと自転車にまたがって去っていった。



 傷つくよりもそれ以上に、あの豹変ぶりに動揺していた。現実の出来事じゃないみたいで、ちゃんと理解するまで時間がかかった。



 力が抜けたように側のベンチへ腰を下ろし、そのまま何十分も座り続けた。しばらくすると頬に涙がつたってきて、ようやく何が起きたか理解できたことを知った。




 次会う時、どんな顔をしたらいいんだろう…今度はそれに怯えた。





 でも、そんな心配をする必要はある意味全くなかった。その日を境に尾関先輩は私を避けるようになり、一緒に帰ることも、遊びに誘われることも一切なくなった。



 無視こそされないものの、バイトの間も必要最低限の業務的な会話しかしてくれなくなって、目も合わせてくれなくなった。



 極めつけは呼び方だ。“倉田さん”から“奈央”に昇格したはずだったのに、見事なまでにいきなり“倉田”になった。



 名字から名前に変わることはあっても、名前から名字に戻るなんて、そんなこともあるんだ…と、あまりの悲惨さに笑いさえ込み上げてきた。


 



 当然、あんなに仲良さそうにしていた尾関先輩と私の関係の変化に周りも気づいていた。












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