【Day 21 自由研究】

 日曜日の夜、仕事を終えた茜は実家のダイニングにいた。一人暮らしを始めて二ヶ月。実家に帰ってきたのはこれが初回だ。

 テーブルを挟んで向かいの席には父がいて、テレビを見ながら静かに微笑んでいる。見ているのはニュース番組で、スポーツニュースのコーナーに入ったところだった。口数少なく物静かな父で、自身は運動はしないのに、テレビでスポーツ観戦をするのは好きな人なのだ。お気に入りの野球選手の話題に、父の笑みが深まった。静かに、だが、ご機嫌である。


 茜はスマホをいじったり、スケジュール帳で予定確認をしていると、


「茜は、明日の午後、アパートに戻るんだろ?」

「うん。そうだよ」

「じゃあ、今夜は一杯どうだ?母さんが、頂き物のおいしい日本酒を冷やしてくれてたんだ」


 父からの晩酌のお誘いに、茜は苦笑してしまう。こちらは明日、明後日と、仕事は休みだが……。父は普通に、明日は出勤日だ。お酒が好きな人で、体質も弱くはない、と知ってはいるが。


「今から呑むの?明日、朝から仕事でしょ」

「あぁ、それは大丈夫。明日は午後からの出勤なんだ」

「え?そうなの?」


 茜が質問を重ねたところで、お風呂上がりの母がダイニングにやってきた。茜と父の会話が聞こえていたようで。


「あら?お父さん、これから呑むの?」

「そうみたい。でも、お母さん、今からはちょっとやめておいた方がいいってお父さんに──」

「だったら、アレ、用意しなきゃね!茜、お父さんの晩酌に付き合ってあげて。この人、ずっと茜が帰ってくるのを楽しみにしてたんだから。じゃあ、髪の毛を乾かしてから、軽くつまめるもの用意するわ。あ、私も今夜は一緒に呑んじゃおうかしら〜」


 母は鼻歌を歌いながら、そのまま洗面所の方へ行ってしまった。すぐに、ドライヤーの音が聞こえてくる。お喋り好きな母は、たまに人の話を最後まで聞かないのが悪い癖だ。


「……お母さんってば、もう〜」

「まあ、いいじゃないか。父さん、お酒持ってくるな」


 そう言って父も席を立って、いそいそと晩酌の準備を始めてしまう。

 私の両親って……マイペースなところが、似たもの夫婦かも。

 茜は小さなため息を吐いた。



   ◇◇◇



「ん?この徳利とっくりと、お猪口ちょこ、なんか見覚えあるんだけど。いつも使ってるのと違うよね?」


 ダイニングテーブルの上に用意されたのは、陶器製の徳利と三つのお猪口だった。濃い灰色で、鈍色にびいろと表現するのがピッタリだ。

 これは、普段、父が使っている物ではない。が、父は徳利とお猪口を見て、なぜか嬉しそうに笑っている。


 母は、茜の発言に一瞬きょとんとして瞬きをした。


「茜、覚えてないの?コレ、あなたが自由研究で作った物よ」

「…………。自由、研究?」


 反芻するように茜は言葉を繰り返し、古い記憶から一つ、出来事を思い出す。


「……あ。陶芸の体験教室!」


 あれは小学生の頃のこと、夏休みの思い出だ。小学三年か四年の時に、自由研究の宿題に困り果てていた茜を、父が陶芸の体験教室へ連れて行ってくれたのだ。


 いくつかの選択肢から、何を作るか迷っていた茜は、『私のお父さん、お酒が好きなの。だから、家族の分、お酒用のコップを作りたい』と言って講師の先生に笑われたのだ。当時、お猪口なんて言葉は知らなかったし、父親が酒好きだと公言してしまったこと、後から考えればかなりの赤っ恥だが。今となっては良い思い出である。

 講師の先生も笑った後にはお詫びに、と懇切丁寧に指導してくれた。父は茜を叱ることもなく、ただ微笑んで、教室の片隅から見守っていた。


「懐かしいな」


 父の声で、思い出の中から意識が引き戻される。父がご機嫌だった理由がなんとなく察せられて、茜は呑むつもりはなかったけれど……。


「一杯だけ、付き合うよ」

「そうか。最初は舐める程度がいいかもな」

「ふーん?」


 忠告通り、茜はお猪口に口をつけ、舌先で舐めてみた。


「うっ……!」

「ははっ」

「ふふ。お父さん、茜にはまだ早かったみたいね」


 あまりお酒に慣れていない茜は、眉間に皺を寄せて渋い顔をする。父が用意してくれた日本酒は、辛口の冷酒だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る